analysis 移ろいゆく想い
各地で猛暑を訴えるこの夏、いくら科学技術が発達したこのご時世とはいえ、ごく狭い範囲での天候変化は可能でも、都市単位の天気となると不可能だ。それはもちろん、ここ東京でも例外ではなく、50年程前にはかなりうるさく言われていた地球温暖化が収まったといっても、日本の夏といえば、暑いと相場は決まっている。なので、そこら中のビルから陽炎が立ち昇っているさまが見られ、それが余計に見た目の暑苦しさを増幅させていた。
かといって、建物の中に入りさえすれば快適そのもので、この警視庁舎もそのひとつである。外回りに行く刑事達に不快を与えない程度の適度な温度設定になっていて、ほかの建物に比べれば気温は高めだろうが、外に出ないものにとっては十分だ。
ざっと資料に目を通し終え、顔を上げてなんとなく外を見やった女性は、自身がいる庁舎をそんな風に考えていた。警視庁の中では、特別捜査スプレス課管理局に所属する彼女は、年の頃は20歳ほど、ブロンドの髪に緑瞳で、ワインレッドのパンツスーツに身を包んでいる。長めで緩やかにウェーブのかかる髪に、ほとんど化粧っけがないくせに美しく白い肌、長身と息を呑むような美しさゆえにどこか威圧感があって、クールに見える。それは管理局の人間も感じているようで――
「ちょっと特捜S課に行ってくるから、後のことはお願いね?」
「あ、は、はい!解りました、中央局長!」
近くにいた事務担当の少女に普通に言ったつもりだったのだが、かなり慌てた返事をされてしまう。最初の方こそ、それには彼女、中央倫子の方が驚いていたのだが、慣れてしまえばもう何も言わなくなった。
彼女が向かっているのは、通称特捜S課といわれる、特別捜査スプレス課だ。刑事部に属しながら、殺人、強盗などを扱う捜査一課同じような担当をしているわりに、区別されているのにはちゃんとわけがある。
ここ50年程前から盛んになり始めた科学の発達で、人類はある極みに到達した。それは、生まれてきた子供の遺伝子を操作し、能力的に短所と思われる部分を削除する技術、それから動物の特性を人間の遺伝子の中に組み込む技術だ。それによって、例えば一般的に言う足の遅い子や、障害を持った子供が生まれなくなり、自分自身の力で空を飛ぶ者、とんでもない脚力を身につけた者、動物の言葉を理解する者が生まれるようになった。もちろんそれも良いだけでは終わらず、彼ら、超人類と呼ばれる者達は、蔑視されるという歴史を辿る。だが、彼らを蔑む超人類外の人間、ラジカルには、圧倒的な力の差のために、超人類を抑制することができない。それで作られたのが、特捜S課なのだ。この部署は、超人類とされるジェネティックレイス――遺伝子改良された人間――や、バスタード――動物遺伝子を組み込まれた人間――の起こす犯罪を専門とするスプレスという特別な刑事が所属することになった。ただ、警視庁に始まり、今は全国の警察で設置され、せっかくできた部署も、超人類による犯罪が後を絶たないにもかかわらず、警視庁の中では一部を除いて低く見られがちで、それほど志願者もいないために人員不足に悩んでいるのが現状だ。
その特捜S課は、現在4人で構成されている。課長の警視正、仁科響一、その部下で、死体が苦手なために得意のパソコン処理が主な担当の警部、清宮明香莉、それから…
「うわぁっ!」
もうすぐ特捜S課の前、という所にさしかかって、唐突に叫び声が聞こえてきたが、倫子はいぶかしげな顔をしただけで、まったく不審に思った風もなく、そのままセンサーに手をかけ、シャッタードアを開こうとする。
「ッ、バカ、そこはダメだって…!」
「…ったく、口の減らない奴だな。黙ってりゃかわいいのによ」
「ちょ…ッ!ま、待てってば!」
「何が待てだよ?今はそれよりも、だろ?」
「ッ、うわぁ!?」
最後に再び叫び声が聞こえたのを最後に、いきなり室内が静まり返る。どう考えてもいかがわしい会話に軽く頭を抱えながら、倫子は当然のようにドアを開けた。
「へ…?」
ドアが開くや、中にいた人物が間抜けな声を上げる。予想通りと言うか、職場なのに、と言うべきか、そこには驚くべき光景が広がっていた。
見ようによっては2人がもつれ合って転んだように見えるが、会話的には上に覆いかぶさる人物が押し倒したとしか思えない状況だった。
下敷きになっている人物は、年の頃15歳ほど、エメラルドグリーンの髪に青瞳、中性的な顔を今は驚愕に歪ませている。
その上に乗っているのは、年の頃15歳ほど、赤髪金瞳で、まだ幼さの残るその顔に、間抜けな声を上げた後の顔のまま、引きつった笑みを貼り付けていた。
そして、2人の格好といえば、赤髪の少年がエメラルドグリーンの髪の人物を敷きこんで、左手で下の人物の両腕を押さえ、密着はしているものの、見えた右手はしっかり胸元に当てられている。こんな状況では、疑わない方がおかしい。これでも、一応、この2人は、特別労働法――その能力に応じて、満10歳になる者に職につくことを許可する法――に基づいて、この若さながら国家公務員の資格を持つ、スプレスであるはずなのだが…
「柊一くん、翠くん、貴方達、覚悟は良いわね?」
引きつるこめかみを押さえながら、倫子。人一倍仕事熱心で完璧主義な彼女の性格を知っている2人は、その言葉に体勢を直そうともせず声を上げる。
「ご、誤解ですよ、倫子さん!」
「ちっ、かつてないくらい良い体勢だったのに…」
必死の弁解を打ち砕くような言葉に、下敷きになっていた人物――東麻翠が自分の上の少年――仁科柊一の赤髪をはたくと、さらに言葉を続ける。
「とりあえず、詳しい説明は後でしますから、今はこの仔を捕まえてくれませんか?」
「この仔…?」
訝しげな表情で倫子が聞き返すと、ようやく柊一が体を起こす。すると、翠の胸の辺りで、不自然なふくらみがもぞもぞと動いた。
「あたし、頭痛くなってきたわ…」
何とも言えない光景に倫子が頭を抱えると、やはり、というべきか、反論が返ってきた。
「い、今とんでもないこと考えてませんか!?」
「バカなこと考えんなよ?倫子。こいつのどこにこんな胸があるってンだ?」
「うわぁっ!」
今日何度目になるかの叫び声が上がるが早いか、柊一がいきなり翠の服をめくりあげる。すると、中から何かが飛び出してきた。それを見るや、倫子は反射的に手を伸ばす。先に捕まえろと言われていたため心積もりができていたからかもしれないが、それは難なく捕まった。手の中を見ると、そこにはわたわたと忙しく手足を動かす仔猫がいた。
「はぁ、やっと捕まったか、このじゃじゃ馬が」
「で、貴方はいつまでそうやっているつもり?」
「へ…?」
言われて、ようやく気付いたように柊一はゆっくりと、というかおそるおそる顔を翠に向ける。見れば、柊一に腰の辺りに跨られたまま、シャツを捲り上げられ、両腕を固定されたままの翠が、恥ずかしさに潤んだ瞳で睨みつけている。
「うわっ、わ、悪りぃ!」
慌てて拘束を解くが、服装を整えた翠に、問答無用手加減なしに殴られたことは言うまでもない。
☆
それから2人から説明を受けた倫子は、ようやく状況を把握することができた。
この猫は先日起こった傷害事件の現場近くに根城をたてているらしく、捜査一課担当の事件だったのだが、ほかに目撃者もなかったため、唯一の目撃者としてここに連れてこられたのだ。それは、柊一達の面倒を良く見てくれる大鎌警部が、バスタードで動物の言葉を理解する柊一の能力を見込んで頼んできたのだが、抱きかかえて話を聞こうとした途端、暴れだし、逃げ回っている仔猫を、柊一と翠で捕まえようとしたのだ。
「で、あの不穏な会話の意味は?」
「どこから聞いてたんですか?」
嘆息交じりで倫子が問うと、それにコーヒーを入れてきた翠が聞き返す。彼女が科白を思い出して言うと、今度は柊一が答えた。
「こいつが翠の服ン中入り込もうとしたから、俺がその隙ついて捕まえようとしたのに、翠に手ェはたかれて、そしたらこの仔猫、ざまぁみろって笑いやがってさ」
「だから、黙ってればかわいい、ね?」
「そう。ンで、翠も服の中にいるそいつ捕まえようとしたんだけど、綺麗にかわされて、いい加減俺が手伝おうとしたら文句言ってきたから無視して手ェ伸ばしたら、何とか捕まったのは良いけど、そのままぶっ倒れちまって、身動き取れなくなった、ってとこだよ」
言いながら、柊一は赤く腫れた頬を氷の入ったビニール袋で押さえ、恨みがましく翠を睨みつける。だが、翠は涼しい顔でそれを交わすと、一応柊一の分もコーヒーを入れてきたのか、前に出してやりながら嘆息した。
「自業自得、だろ?あんなやり方しなくたって…」
「じゃあ、他にどんなやり方があるってンだよ?」
「う…、と、とにかく、ないにしたって、すぐ離せば良いじゃないか!それに、胸なんかあってたまるか!」
「そりゃそうだ。俺はほんとのこと言ったまでだろ?前と後ろの区別つかねェくせに」
「だからって、言わなくても良いだろ!ぼくだってどっちでもない自分の立場解ってるんだから!」
「はい、ストップ!」
見るに見かねて、とうとう倫子は2人の舌戦に口を挟む。すると、彼らはお互い何か言いたそうな顔をしながら、ふんっ、とそっぽを向いた。その高校生とは思えない光景に、倫子は再び盛大なため息をつく。
「ほんっと、進歩しないわね、柊一くん」
「何で俺だけなんだよ!?」
言うと、柊一は心外そうに怒鳴ってきたが、倫子はそれを手刀で黙らせると、そっと耳打ちする。
「翠くんのこと、考えてるの?あれだけ性別のことに触れちゃダメだって言ってあったのに…」
「……」
何度も言った科白をまた聞かされ、柊一は弾かれたように顔を上げた。そして、すぐにバツの悪そうな顔で俯く。
翠には性別がない。それは翠と親しくしている者なら大抵の人は知っていることだ。翠は、幼い時に医者であった父が携わっていたヒトゲノム解析計画の第2段階――成長段階で発見された悪性遺伝子の除去法を探るもの――の被験者となり、遺伝子操作されたのが原因でそうなった。その後遺症か、急に発熱したり、意識を失ったりすることがある上、被験者になる前の記憶が混濁していて、自身の本当の性別が解らなくなってしまった。その当時、その解析計画のせいでかなりの被験者が身体的、精神的に被害を被ったことから、急遽俗に言う『トリッキー』という法律が制定され、人体実験が全面的に禁止され、逮捕を恐れたのか、父親はそれ以来蒸発してしまった。また母親を早くに事故で亡くしているし、かといって親類にも手がかりは求められず、その他写真や出生届など、性別を決定する資料は読み漁ったのだが、それでも答えは出なかった。
だからこそ、翠はスプレスになったのだ。人一倍曖昧なまま放置しておくのが許せない性格だから、父親を見つけ出し、『トリッキー』の名の元に逮捕して、真実を掴むために。
その性格のためか、翠は自分の身体のことを言われるのを気にしている。それに、仕草が女っぽいなどと柊一がうっかり口にした時は、いつもの威勢の良さも失くし、悲しげな表情を浮かべてしまっていた。翠がこの警視庁に初めて来てから10年以上付き合いのある倫子は、ちょっとした心の変化にも気付くことができるようになっていた。今も、柊一の言葉に思いっきり反発しながら、微かに悲しげな表情を浮かべていた。
だが、素直に謝れないのが柊一である。自分でも解っていながら口をついて出てしまったので、悪いとは思っている反面、自分で気付けなかったので言い出しにくいらしい。だから決まって、
「…何だよ?」
じっと見られて、翠は訝しげ、というよりは半ば敵意むき出しで聞く。だが、それでも柊一が様子をうかがうようにしていると…
「言いたいことがあるならはっきり言えば良いだろ?」
「ッ、別にねェよ!」
怒鳴るように言って、柊一は翠が持ってきたコーヒーを一気に飲み干す。そう、いつもこうやって謝る機会を失くすのだ。そして、これもお決まりのことなのだが、
「翠くん、ほんとは解ってるくせに」
意味ありげな笑みを浮かべて言ってやると、やはり予測どおりの返事があった。
「その気があるんなら、それで謝ってるのと一緒ですから」
ただ、絶対に本人に言ってやりませんけど、とご丁寧に付け足して、翠は笑顔を見せる。あまりに予想通りなので思わず笑ってしまったが、吹き出すようなことをしなかったためか、追究されることはなかった。
「そういえば、何しに来たんだよ?倫子」
問われ、今更ながら思い出したように、彼女はファイルを取り出した。
「何って、管理局の仕事よ。さっきのことも、ちゃんと書かせてもらうわ」
「勝手に脚色すんじゃねェぞ?」
「まさか。貴方じゃあるまいし」
半眼で指摘されても、倫子は涼しい顔でそれをかわし、事情聴取を進めるように言う。すると、まだ柊一は胡散臭そうにこちらを見ていたが、翠に促され、しぶしぶ了承した。
「あ、そうそう、柊一くん」
「何だよ?」
呼ぶと、ぶっきらぼうな返事が返ってくる。それを聞くや、倫子をおもむろに柊一の口端を掴み、引っ張った。
「そんな言い方するのはこの口?」
「い、いへぇって!」
情けない声を上げる柊一を、ほとんど表情を変えることなくからかってから、ようやく倫子は言葉を付け加えた。
「この仔、女の子なんだから、いきなり抱きかかえようとしちゃダメよ?最初にあたしに捕まった時に言っていたけど、身体見られて恥ずかしかったんですって。だから、翠くんの言うことなら聞くって」
「へ…?」
倫子の指摘に柊一が目を丸くしていると、いきなり翠が後頭部を叩く。
「デリカシーのない奴」
「ンだと?」
そのままの勢いで再び舌戦を始めそうになったが、倫子がファイルを持って様子を観察しているのに気付くと、2人はあわてて事情聴取を始めた。
猫の遺伝子を持ったバスタードであるため、倫子は猫の言葉なら理解できるので、先刻の舌戦の時に少し話をしたのだ。この2人の様子はどうだったかと。答えは、仲が良くて楽しそうだった、だそうだ。
――だったら良いんだけど…
胸中で独りごちると、倫子は静かにため息を漏らした。
何も柊一と翠の仲を疑っているのではない。彼らの仲の良さは、ずっと管理局の人間として見守ってきた倫子には良く解る。ただ、そうやって、たまに確かめないと気になるのも事実だった。
柊一と翠がお互いのことを信頼しつくしているのは倫子も知っている。それでも不安になるのは、昔は柊一が一方的に翠に反発していたのを知っているせいか、2人の関係が以前の友達兼相棒に収まりきらなくなっているからか、それとも――
――これは、あたしのエゴなんでしょうね…
言って、倫子は目を閉じた。思い出す光景は、楽しかったあの頃だ。翠がまだ特別労働法の適用外で、スプレス見習いをしていた頃、ここには、和歌山から上京してきて関西人根性で笑いを展開していた三森有哉がいて、そのボケをクールにかわしながら、しっかりと彼を支えていた神條美咲がいて、今と同じように仁科課長がいて、幼い翠が懸命に自分の仕事をこなしながら成長していく様子を、一緒に温かく見守っていけるのだと思っていた。まさか、それから5年程で、終わりが来るとは思っても見なかったが。
今でも、倫子は、有哉と美咲が殉職したのは自分のせいだと思っている。翠をかばって2人は死んだと知って、まずは翠がそのことを気にしないようにと自分のせいだと言い続けていたのだが、実際にそうだったのだと思う。10歳になって特別労働法が適用されたから、実践訓練の真似事をさせてあげたら、と言い出したのは自分なのだから。そこで麻薬の密売が行われていたなんて知らなかったから、軽く言ったつもりだったのに。
それが、結果、翠にも倫子にも深く傷跡を残すことになった。その事件を境に、翠は正式にスプレスになり、代わりに倫子は特捜S課を去って、管理局に身を置くことになった。ここで、見守っていくことで罪を償っていこうと思って。
――美咲が聞いたら、逃げるんじゃない、って怒るでしょうけど
かつての仲間のことを思い出し、思わず苦笑すると、倫子は目の前の2人に視線を戻した。こうやって仕事に一生懸命な姿を見ていると、自分のしてきたことも無駄ではないように思える。少なくとも、柊一がいるから、翠はいつまでも過去を引きずらずにすんでいるのだろうし。
そんな2人を見ていて、倫子が思わず笑みをこぼすと、2人は訝しげな表情でこちらを見てきた。
「どうかしたんですか?倫子さん」
「また良からぬこと書いてンじゃねェだろうな?」
2人に問われ、倫子はファイルを閉じると、席を立った。
「いいえ、何でもないわ。2人共、これからも頑張ってね?」
言って笑顔を見せると、半ば納得がいかないような表情をしつつも、一応2人共頷いてみせる。それを見届けてから、倫子は開いたドアから外に出て、それから思い出したように付け加えた。
「そうそう、今日の報告書は後でちゃんと課長さんに渡すから、そのつもりでね。もちろん、あたしが見たままに、だけど」
「ッ!?」
刹那、2人は顔を赤くする。その様子に満足そうな笑みを浮かべ、倫子は手を軽く振って特捜S課を後にした。
「倫子、てめェ!」
ドアの向こうで柊一の怒鳴り声が聞こえたが、倫子はそれを黙殺すると、薄く笑みを浮かべた。
ちなみに、彼女が手にした報告書の中には、柊一、翠、明香莉の3人のそれぞれの仕事の様子については書かれていたが、今回の騒動のことは何一つ書かれていなかった。
あとがき:
久しぶりの短編の更新になりますね。
これはかなり前に書きあがっていたんですが、一応時期ものっぽかったので、ここまで待って出してみました。
初の倫子視点の話ですね。一人称ではないですが。
しかも、少し長めです。
ここまで読んでくれた人には本当に感謝ですよ。
まぁ、今までにも長い話を大概書いているわけですが、そこはあえて気にしないことにして。
とにかく、今回は倫子なりの苦労もあるんだというところを見せたかったわけです。
あと、彼女は書いていて楽しいんですよ。描写でいろいろ遊べますし。
一番遊べるのは柊一なんですが(笑)
〔2004.7.3〕