認めたくない。
この想いを認めてしまったら、きっと後悔するから。
だから・・・。
――アントワネットブルー――
人間の想いなんて、そう簡単には出来ていない。
忘れたいこと、忘れなければならないこともたくさんあるのに、そんなこと、出来ずにいる。
「お、〜!」
呼ばれて、振り返れば、そこには会いたいようで会いたくない人の姿。思わず顔がこわばるのが自分でもわかった。
「お、どうしたんさ? そんな難しい顔して」
「な、何でもないよ」
取り繕うような笑顔を何とか見せて、私は声をかけてきた人物、ラビに向き直った。
相変わらず無邪気な笑顔を見せてくれる彼に、心がざわめく。そんな自分に、何度も、ダメだ、と言い聞かせながら、他愛もない話を切り出す。
「今日任務から戻ったんだね?」
「そうなんさ。もうヘトヘトさぁ〜」
わざとらしく肩を落としてみせる彼に、私はようやく普通に笑うことができた。大変だったね、なんて、声もかけられる。
「ラビ、報告に行きますよ」
「お〜」
アレンに急かされて、ラビは曖昧な返事をする。それから、私に向き直って、笑ってみせた。
「じゃあ、また後でな、」
「うん」
いってらっしゃいと手を振って、彼の姿が見えなくなったところでようやく安堵する。
ラビが、私の名前を呼ぶ度、私に笑顔を向けてくれる度、気付かされる想い。けれど、すぐに思い直す。
――ダメ、彼は、次期ブックマンなんだから。
ラビから聞いた、ブックマンの使命。じじいには内緒さ、なんて茶化して言っていたけれど、ラビの言葉の意味は私にも嫌と言うほどわかっていた。それは、いつか、ラビが、私の目の前からいなくなってしまうかもしれない、ということ。その時には、この想いを捨て去るには、もう遅すぎた。
「そうだ、神田と座禅でもしてこようかな」
気分を変えるためにわざと口に出して言って、修練場に向かう。
神田がいるなんて保障はない。要するに、逃げだ。故郷を離れても残る、私の知る精神統一の方法。ただ、それが成功した例はない。
それでも、断ち切らなくちゃ。
それは、もう意地にも近かった。
『あんたが、?』
ラビと出会ったのはいつだったか。私が入団して、ようやくイノセンスとのシンクロ率を上げようとしていたところに、背の低い老人と一緒に、赤茶の髪の青年は声をかけてきた。
『そう、ですけど…』
任務から帰ったばかりで疲れていた私は、曖昧な返事だけをした。きっと、愛想が悪いと思われただろう。けれど、そんなことを気にする余裕もない程、私は憔悴していた。
そんな私の態度を、彼はどう思っただろう。笑顔なのに、何だか心の内が読めないような顔で、すっと手を差し伸べてきた。
『オレはラビ。あんたと同じエクソシストさ。よろしくな?』
『こちらこそ』
形式的な挨拶。まるで、それは事務作業のようで。初めて会った時の印象はそんな感じだった。
それが、1つ、2つ、と、一緒の任務を重ねていく度に、私は、ようやく本当のラビを知ることになる。
エクソシストとブックマン後継者。
その2つの役割の中で、彼は葛藤していたのかもしれない。感情的になりやすいラビを、密かにブックマンが諫めているところを、何度か見たことがあった。
そんな時、
『誰かいるんさ?』
不可抗力ではあったけれど、盗み聞きしてしまった罪悪感から、すぐには顔を出すことができない。
そのまま、逃げてしまおうか、とも思ったけれど、
『か?』
『ッ…!』
気付かれてしまっては、もう逃げ場もない。そのまま、おずおずと顔を出せば、ラビは、困ったような笑顔を見せた。
『カッコ悪いとこ見られちゃったさ』
『ご、ごめん…』
思わず謝れば、良いって、と言って手を振ってみせてから、ラビは満天の星空を見上げた。
『ほんと、情けねぇなぁ、オレ…』
そう言って、自嘲的に笑うラビは、いつものラビじゃない気がした。いつだって、笑っていて、軽い冗談でみんなを和ませたり、自然とみんなの輪の中に溶け込んでいたり。
けれど、それは、本当のラビじゃないんだ…。
『…?』
気付いたら、私はラビに抱きついていた。
『カッコ悪くなんかない。情けなくなんか、ないよ』
そんなことを言ったって、気休めにしかならないだろうに。それでも、言わずに言われなかった。今、こうしておかないと、ラビがどこか遠くに行ってしまいそうで。
『こんな美人に心配されるんなら、役得さ』
『…嘘吐き』
美人だなんて言われても、嬉しくないんだから。いつもの調子で冗談を言ってるみたいで、いつもみたいな元気がないのも知ってるんだから。
そんな本心を吐き出さないまま、ラビに抱きしめ返されて、ようやく気付いた。
あぁ、私は、いつの間にか、こんなにラビのこと…。
「お、真面目に訓練中さ?」
唐突に聞こえてきた声に、私は大袈裟なくらい体を震わせていた。気付けば、目の前に、団服を脱いだラビがいた。
「あれ? 神田は?」
「ユウ? 始めからいなかったさ」
おかしいな、最初は一緒に座禅していたはずなのに。いつの間にか、意識を集中しすぎて、神田がいなくなったのにも気付かなかったみたいだ。とは言っても、考えていたのは座禅らしからぬこと。そんなこと知られたら、間違いなく神田に斬られるな、私。
「何? ユウと座禅してたんさ?」
「あ、うん、まぁね」
首をかしげながら言ってくるラビの言葉に、私は曖昧な返事をする。もしかして妬いてくれないかなぁ、なんて淡い期待は、表情がよく変わる割にはポーカーフェイスな彼からは読み取れない。
「なぁ、訓練が終わったら、どっか出かけねぇ? オレとの休みが合う時なんてそうそうないしさ」
「え…?」
唐突な申し出に、私は思わず聞き返していた。まさか、ラビからそんなことを言われるなんて。
「うん、じゃあ、行こうか」
「おしっ、決まり!」
頷いてみせたら、ラビは満面の笑みを浮かべて言う。本当に嬉しそうなその表情。ねぇ、期待しても良いの? それとも、これを、最後の思い出にするべき?
結局、私の中で明確な答えが出ないまま、私達は街へと出かけた。
次の日、私はラビと入れ替わるように任務に出かけた。神田との任務は順調で、同じ日本人同士だからか、それとも、多少神田の扱いを心得ているからか、戦闘の相性はよく、やりやすい。
今回の任務も、大きな被害もなく、滞りなくイノセンスの回収に成功していた。
教団に帰れば、いつも通り任務の報告をして、部屋に戻る。疲れた、なんて思いながら肩を回していると、
「お、、お帰り〜」
「ラ、ラビ!」
いかにも待ってました、という感じで私の部屋の前に立つラビに、思わず声がひっくり返ってしまう。それには、ラビも吹き出して、ひとしきり笑ってみせてから、何かを差し出してきた。
「ほい、任務、ご苦労さん」
反射的に受け取れば、それはシルバーのネックレス。この間、買い物に行った時、迷った挙句に買わなかったもの。
「ラビ…ッ!」
どうして、急にこんなものを?
そう聞き返す前に、ラビが先に口を開いた。
「オレ、明日から任務なんさ」
「え…?」
「長期の、ちょっとやばそうなやつ。もしかしたら、ひと月くらいかかっちまいそうだったから、先に渡しときたかったんさ、誕生日プレゼント」
そう言って、いつものへらっとした笑みを浮かべるラビ。ラビにとって、それは何の気のないことなのかもしれない。
けれど、私には…。
「ありがとう、ラビ…」
聞こえるかどうかの声で、お礼を言うのが精いっぱい。
それから、二言三言話して、ラビは自分の部屋に戻っていった。
どうしよう。
そればかりを、部屋に戻ってから反芻した。
ラビは、明日から任務でいない。しかも、長期だって言ってた。ラビは私よりも強いし、今までもボロボロになりながらもちゃんと帰ってきていた。
でも…。
モシ、らびガイナクナッタラ…?
不安が駆け巡り、その日はロクに眠れなかった。
次の日は、腹立たしい程の晴天。ぼーっとした頭のまま、何気なく外を見てみる。
――ラビ…!
予想外にも、出立の準備をした探索部隊の人とアレンと一緒に、ラビがいて。ちょうど、コムイ室長に見送られているところだった。
今なら、まだ間に合うかもしれない。
でも、会って何を言う気?
私は、自分の気持ちを隠し通そうと、なかったことにして、心の奥底に沈めようとしていたのに。
なのに…。
バン…ッ!
気付いた時には、部屋着のまま自室を飛び出していた。こういうのを、衝動、と呼ぶのかもしれない。
今日ほど、自分の運動能力の低さを呪ったことはない。早く、早く行かなくちゃ…!
「ラビッ!」
中庭に出るが早いか、私はただ彼の名を叫んでいた。当然、そこにいる全員が驚いた表情を見せる中で、ラビ一人だけが、苦笑じみた笑みを見せた。あの時と同じだ。ブックマンに怒られて、私に見つかった時と。
「ほぉら、やっぱ来てくれたさ」
「え…?」
ラビの口から飛び出した予想外の言葉に、私は自分の耳を疑う。さっきまでの不安も、嘘のように吹き飛んで。
「んじゃ、ちょっくら行ってくっから」
「あんまり遅くならないで下さいよ」
事情を知っているのか、私の肩に手をまわして連れて行こうとするラビ同様に、アレンも言葉の割には笑顔で見送る。コムイ室長も何か知ってるみたいだし、知らないのは私だけみたいだ。
「ラビ…?」
あまりにもわけがわからなくて、呼びかけてみてもラビは返事をしてくれない。その代わり、さっきまでの笑顔は消えていて、表情は真剣だった。
そのまま、ラビに連れて行かれて、ここ、と示されたのは、倉庫だった。さっきの場所からさほど遠くないはずなのに、沈黙が続いたせいか、やけに遠くに感じられた。
「ラビ、一体どうし…」
今度こそ話してもらわなくちゃ、そう思って口を開きかけた時、ラビに思い切り抱きしめられていた。
「なら、来てくれるって信じてたさ」
「え…?」
唐突に言われ、思わず聞き返す。そしたら、ラビは少し腕の力を緩めて、ようやく笑顔を見せてくれた。
「はすぐ顔に出るからなぁ。正直すぎてバレバレっつーか、カマかけて、あんな簡単に引っ掛かってくれるとは思わなかったさ」
「カマ…?」
「昨日の、アレ」
言われても、すぐに思い出すことができない。昨日って、明日任務って話をして、それから…?
ロクな睡眠をとっていない頭では、うまく整理することができない。
そしたら、不意にラビが私の目元を指でなぞった。
「昨夜、寝てないんさ? クマ出来てる」
「ッ…!」
嫌味なくらいの笑みを浮かべて言われれば、さすがに気付いた。昨日のは、全部ラビの罠だ。
「じゃあ、長期任務っていうのも」
「嘘」
「やばそうっていうのも」
「もちろん、嘘さ」
「ッ、バカ兎!」
ムカついて、ラビを平手打ちするはずだった手は、空中でしっかり掴まれる。どんなに手を押し進めようとしたって、そこは男女の差。ビクともしない。
「オレに、何か言いたいことがあったんだろ? だから、必死で部屋飛び出してきたんさ?」
「ッ…!」
確信犯だ。そう、今気付かされた。
よく考えてみれば、ラビはブックマンの後継者で、頭も良くて、人の感情にも敏感な方で。そんな人が、私の気持ちに気付かないはずがない。もう、何年も押し殺してきた気持ちに。
けれど。
「いってらっしゃい、くらいは、言ってあげたいじゃない。だって…」
つい、言葉に詰まる。任務のことは嘘でも、変わらない事実がそこにはある。
「いつか、黒の教団から、いなくなるかもしれないんでしょ?」
「ッ…!」
今度は、ラビが言葉を詰まらせる番だった。
けれど、それだけは嘘じゃない。49番目の"ラビ"がいなくなる日が、きっといつか来る。もしそうなったら、私は、きっと耐えられないから。だから、この気持ちに蓋をした。二度と、立ち上がれなくならないように。
「ラビは大切な仲間。今は、そう思って良いよね?」
笑って、出来るだけ平常心で。いつも、ラビの前ではそうしてきたこと。座禅の訓練がこんなところで役に立つとは思いもしなかったけれど、これで良いんだ。
「良くなんか、ないさ…ッ!」
「え…?」
「だって、、泣いてんじゃん」
自分でも、気付かなかった。頬を流れる、冷たい跡に。次から次へと溢れる感情に。
「オレは、を、ただの仲間だなんて、思えないさ」
「…ラビ?」
彼の言葉の真意を測りかねて、聞き返す。そしたら、不意に、額に口づけられる。
「いなくなるのが怖いのは、オレの方さ。がいなきゃ、ダメなんだ」
「ラビ…」
「すきだ」
そう言って、今度は唇を奪われる。しっかり頭を押さえられて、身動きも取れなくなるくらい、捕まえられて。
至近距離で見つめ合った時には、ラビは、私の大好きな優しい笑顔を見せてくれた。
「はぁー、に言わせるつもりだったのに、自分から言っちまったさぁ」
「今まで私をだましてきた天罰が下ったんだよ」
笑いながら言ってみれば、ラビはちょっと不服そうな顔になって。それから、もう一度キスをくれた。
「やっぱ、からも聞きたいさ」
「やーだ。無事に任務から帰ってきたらね」
舌を出して笑ってみせれば、ラビもすぐに吹き出して笑ってた。
「何だよ、それ。昨日の仕返しか?」
「信じてるんだよ、ラビのこと」
言ってみれば、ラビはちょっと驚いたような顔つきになって。けれど、すぐに優しい笑顔を見せてくれた。
「帰ってくるさ。オレ、もうなしじゃダメかもしんないさ」
「ありがとう、ラビ」
お互いにきつく抱きしめ合えば、重なり合う心音。それが、もし、"ラビ"の間だけの約束だとしても、今まで悩んでいたのが、いつの間にか吹っ切れていた。
いつか、貴方がいなくなる日が来ても、その全てを果たせる時が来るなら。
貴方の愛で、冒して…。
あとがき:
リハビリ期突入中。
勢い余りまくって、ついに実現させてしまいました、
ラビ夢の日本人ヒロインバージョン。
こっちはシリアスで、もうちょっと短くなるはずだったのですが、
書き始めるとどんどん妄想が膨らんでいきました(>_<)
でも、確信犯ラビ、大すきです(^_^*)♪
ここまでお読みくださり、ありがとうございました(>▽<)
〔2009.11.3〕
BGM by 鈴村健一 『ミトコンドリア』