double 不埒な想い
どんよりとした鉛色の雲が、やけに低く感じられる。
雨はあがったとはいえ、かなり激しく降ったために、あちこちには水溜りが残っている。そんな中、人1人を背負っていくのは一苦労であった。
背中には、その苦労も知らない少年がいる。
年の頃12歳ほど、赤髪金瞳であるが、今その瞳は閉じられ、穏やかに寝息を立てている。
眠った顔は可愛いとよく言うが、この少年はまさにそうだ。
かといって、起きている時はこ憎たらしいということはなくて、むしろ大人しい。口調も可愛らしいもので、あどけなさすぎるくらいである。雨で濡れてしまった服の代わりに、かなり大きめのパーカーとパンツを着ているために余計にそれが際立つ。
顔も、今はまだ少女のようにも見えた。ただ、口元や目尻の辺りには、彼の顔に不似合いな痣が浮かんでいる。
――最近の子供は、やることが過激だな…。
後ろに背負った少年を軽く見ながら、青年は嘆息した。
年の頃16歳ほど、少し長めの黒髪に紫瞳で、どこか大人びた雰囲気がある。彼が背負っている少年とは、対照的だといっても良い。
青年は片手で後ろの少年を支えながら、父親が書いた地図を見る。
たまたまこの少年と青年の父親が知り合いだったので、家が解ったのは幸いだった。ただ、父の忙しさのために、わざわざ徒歩で送り届けることになったのだが。
密かに父親を恨みながら、青年は家の前で表札と地図に記された名を確認する。そこは確かに、少年、仁科柊一の家だった。
――まさか、今更ここに来ることになるとはな。
胸中で言って、多少自身の運命を呪うが、言ったところで始まらない。
柊一と出逢ったのは偶然だが、彼を連れてきたのは自分の意思である。そればかりは責めようもないし、今更柊一をここにおいて帰る訳にもいかない。覚悟を決め、青年はチャイムを押した。
"はい"
聞こえてきたのは、少女の声だった。とりあえずほっとして、彼は隣に備え付けてあるカメラに向かって、柊一の顔を見せた。
「お届け者を届けに…」
言い終わる前に、通話口の向こうで回線が切れる音がする。青年は一瞬それを訝しんだが、理由はすぐに知れた。玄関から少女が飛び出してきたのだ。
「柊一ッ!?」
少年の名を呼んで、彼女は青年のすぐ前までやってくると、門をもどかしそうに開け、顔を確認すると、安心したように彼の頭に手をおき、涙を瞳にためながらも笑顔を見せた。そして、青年に向かって頭を下げる。
「わざわざ、ありがとうございました」
「いや、別に構わないよ。それより、この子を寝かしてやりたいんだが?」
「あ、じゃあ、私が…」
「でも、女の子1人で大丈夫か?」
親切心で聞いたつもりだったのだが、彼女は不審に思ったのか、何か言いたげな瞳でこちらを見てくる。それには、さすがに名乗らないわけにはいかないだろうが、ここで少女に柊一を預けても良かったはずだ。だが、何故かそうせず、青年は多少の抵抗は感じつつも言う。
「俺は神條高斗。神條美咲の弟なんだが?」
「え…?」
その言葉に、少女ははっきりと解るほどに態度を変えた。
見知らぬ人から顔見知りの弟と解ったのだから、当然といえば当然かもしれないが、それでもあっさりと警戒心を解くには早すぎではないのだろうか、とも思う。
「あ、じゃあ、どうぞ。弟の部屋は2階です」
言って、彼女は先に玄関から上がり、中に高斗を誘導する。彼は黙ってそれに従っていたが、心の中では早く帰りたい気持ちで一杯だった。
そもそも、高斗がここに来ることになったのは、柊一が彼の家の前に倒れていたからだ。
高斗の姉が、かつて特別捜査スプレス課の刑事で、柊一の父、仁科響一の部下であったため、高斗も柊一の顔を知っていたし、第一、ずぶ濡れで身体のいたるところに痣や生傷のある上に雨ざらしの少年をいつまでも放っておくわけにはいかない。だから、目を覚ました柊一を風呂に入らせ、服を貸すなりしているうちに、何故こんなところにいたのか事情を聞いた。
柊一が言うには、彼は元々高斗と同じ、バスタードスラムに住んでいて、そこは元々バスタード――動物遺伝子で改良された人間――が押し込められた地域である為に、バスタードである柊一も暮らしやすかったのだろうが、急に引っ越しが決まり、いきなりラジカル――普通の人間――が多い地区で生活することになった。
幼少時に力の制御の仕方は習ったが、それでもうまく行かずに次第にラジカルとの差が明確になり、加えて遺伝でもない赤髪でかなりいじめられたらしい。そのことで死のうとまで思い詰めた時、楽しかった頃に住んでいた街に帰りたくなって、ここに来たのだそうだ。だが、柊一の小学校からかなり距離があったのと、精神的な疲労から、座り込んでいるうちに寝てしまったのだろう。
ただ、そのことをあまり言いたくはなかったのか、柊一も進んであれこれと言わなかったが、彼の身体を見れば、いじめがどんなものだったか大体解る。
痣の多さは、しょっちゅう喧嘩している高斗より多い。多分、柊一はやり返すこともなかったのだろう。それで同情してか、それとも死にたいなどと言い出したせいか、急についてやらなければという気になった。だからこそ、彼が響一の息子であることを知っていても送ってくる気になったのである。
この少女に出会うまでは。
高斗は、目の前に出されたコーヒーを飲むでもなく、キッチンで皿に菓子を入れている少女に目をやった。
彼女は、柊一を運んでいる時に自分のことを言った。
柊一の姉で、香織という名前らしい。
だが、高斗はそんなことより、彼女の態度が気になった。何故「美咲の弟」と言っただけでここまで親しげに出来るのだろう。正直、これ以上関わりたくなかったが、それだけは聞いておこうと思って口を開きかけた時、
「そういえば、高斗さんって、美咲さんみたいにスプレスにならないんですか?」
香織にとって、それは何気ない言葉だったのだろう。彼女は、父に憧れているのかもしれない。
スプレスとは、刑事部の中でも特別視されている特別捜査スプレス課に所属する刑事で、彼らは俗に言う超人類――ラジカルに改良を加えられた人間――である為に、余計に特別扱いされている。それは、冷遇をさしてのことでもある。確か、姉がそんな話をしていた。
だが、高斗にはそんなことどうでも良かった。
「俺は刑事が嫌いなんだ。子供の頃から、刑事だけにはなるもんかってずっと思ってた」
刑事の娘に対してそれはあんまりな言い草だったかもしれないが、香織は傷付いた顔ひとつしなかった。
代わりに、また嫌なことを聞いてくる。
「それは、美咲さんが殉職したから?しかも、それを翠くんのせいだと思ってる」
図星だった。だが、高斗は極力表情を変えないようにしつつ、コーヒーに口をつけた。
彼とは7歳も年の離れた姉、それが美咲だった。あまりに女っ気がなく、勝気で、自分の意思には忠実な女性で、中学を卒業すると国家公務員の試験を受け、高校生をやる傍ら、スプレスもこなしていた。美咲いわく、「この街の平和を守ってるなんて、カッコ良いじゃん?」だった。
勿論、その時は何とも思っていなかった。姉が刑事をしていることが、どこか高斗の安心に繋がっていたのだ。
だが、2年前、美咲は銃に撃たれ、死んだ。
それは、同僚の三森有哉を庇ってのことだったのだが、その有哉が庇われることになったのは、たまたま現場にいあわせた、当時10歳だった子供を助けた際、有哉が足をひねった為だった。
結果、美咲も有哉も殉職し、その子供は助かった。
姉の葬儀の時、瞳にいっぱい涙をためながら、遺影に向かって敬礼していた子供の姿を、腹立たしく思ったのを今でも覚えている。
「何も知らないくせに…」
「え…?」
考えごとをしていたところに言われ、高斗は聞き返しながら顔を上げた。
すると、香織は柊一を迎えに来た時と同じ、涙をたたえた瞳でこちらを見た。
「翠くんが何で刑事をしているか、知らないからそんなことが言えるのよ。でも、きっと柊一も、貴方と同じことを言うでしょうね。あの子は、淋しい時に側にいてくれない父さんを、ちょっと嫌ってるみたいだから」
彼女の言わんとしていることが解らず、高斗は問いただすでもなく、香織の方を見ていた。
だが、彼女はそれには気付かず、膝の上で拳を固く握る。
「翠くんのことは、私の口からは言えない。他人が干渉して良いことじゃないから。だから、柊一や貴方のことも、話してくれないのならもう聞きません。でも、それだけで刑事を嫌ってるなんて、そんなのおかしいよ」
「お前には、母親がいるから解んねェんだよ。俺が産まれてすぐ母さんが姿を消して、美咲は俺の母親代わりだったんだ。ずっと、な」
多少強い口調になるのを、自分でもどうすることも出来なかった。
初めて出逢った少女に、何故こんなことを話したのか解らない。だが、それもどうにもならなかった。
姉の死によって訪れた静寂、孤独。今までどれほど姉の背に隠れて生活していたのかが露見するたび、腹立たしいようで寂しかった。いつだって姉は自分を守ってくれていたのに、それに気付いた時にはもう礼さえも言えなくなっていたのだ。
そこから逃げる道は、バスタードスラムを根城にしていた不良グループ、ヴァレンに入ることしか、当時の高斗には思いつかなかった。それは、姉を殺した刑事という職に対しての反発でもあったのかもしれない。だが、何より、自分が弱いということを認めたくなかった。
「…もう、帰らせてもらうよ。確かにあの子は届けたから。コーヒーごちそうさま」
言うや、高斗は席を立ち、香織に何か言ってこられる前に家を出ようとする。だが、何を思ったのか、香織は彼を呼び止めた。
「待って」
「何だよ?」
聞き返すと、彼女は一瞬言いよどむ。それでも、意を決したように言った。
「逃げちゃ、ダメだよ」
「な…ッ!?」
唐突に言われ、高斗はそれ以上何も言えなかった。
自分がそんな素振りをしたとは思えなかったし、彼女が全てを解っているとも思いたくない。だが、香織の言葉は、まるで全てを知っているかのようだった。
「出来るなら、大切な人がいなくなった現実から逃げたいんでしょ?何となくだけど、解ります。貴方は柊一と同じ瞳をしてる。自分の本心を知られたくなくて、隠そうとして怯えてる、そんな瞳」
そんなことを言われれば、いつもなら関係ないと怒鳴りつけていただろうし、そうしたい気持ちも出てくるのに、何故かそれが出来なかった。
自分の本心を言い当てられても、それを隠すことが出来ない。そんな不思議な人物だった。
2人の間に、暫しの沈黙が訪れる。何とも言えない間だ。だが、それを打ち破ったのは、高斗の微笑だった。
「お前、自分の言ったことに矛盾してるぞ?言いたくないことを聞かないんじゃなかったのか?」
言ってやると、香織は今更気付いたような表情をする。それが故意なのか、それとも本当に今気付いたのかは解らないが、少なくともそのおかげで高斗の気持ちは変わっていた。
何故柊一を放っておけなかったのか、何故香織の態度が美咲の弟と知っただけであんなに友好的だったのか、今なら解る気がする。
「そうだよ。多分、俺と柊一は同じなんだ。それから、お前とも。寂しさとか、孤独とか、多少は意味が違っても、いろんな気持ち抱えて生きてるってな。だからこそ、俺の出来る限りで、あいつを護ってやるよ」
言ったその気持ちに、嘘はなかった。それを悟ったのか、香織は笑顔で頷いてみせる。
それを見ると、高斗は近くにあったメモ用紙に、自分の携帯電話の番号とメールアドレスを書く。
「柊一のことで何かあったら、俺に言えよ?良い兄貴にはなれねェかもしれねェけどな」
言って、そのメモ用紙を渡してやると、香織は礼を言って頷いた。
「じゃあな」
改めて言って、部屋を出る。
と、ドアの隣で、1人の少年が面白くなさそうな顔をして立っていた。
「姉貴を取られたんで、悔しいか?」
からかうように言ってやると、柊一は顔を紅くして言い返してくる。
「な…!?そんなんじゃないよ!!」
「へぇ、じゃあ、俺が彼女と仲良くなっても、文句はないよな?」
「う…」
柊一があまりに予想通りの反応をしてくるので、面白くなって笑顔で言うと、やはり彼は言いよどむ。
それは、過去に家に遊びに来た有哉に、高斗が言われた台詞と同じものだった。
「で、何の用だ?」
部屋に入らずにいたのは、単に姉と高斗のことを監視するためではないだろう。
すると、柊一は表情を変え、後ろ手に持っていた服を取り出した。
「あ、これ、ありがとう。帰っちゃう前に、渡したくて」
「悪いな。わざわざこんなところで待たせちまって」
言って、受け取ると柊一はどこか名残惜しそうな瞳で服を見る。高斗が帰ってしまうと知って寂しいのか、まるで捨てられた子犬のような瞳をしていた。
「バーカ。ンな瞳ェすンなよ。2度と会えなくなるわけじゃねェんだから」
「でも…」
何か言いたいのに言えないような顔をして、柊一。それに気付くと、高斗は笑みを作ってみせ、彼の頭に手を置いてやると、言った。
「来るな、とは言ってないんだぜ?俺は。今日も、弟が出来たみたいで楽しかったしな」
「え、じゃあ、僕、また高斗の家に行っても良いの!?」
高斗の言葉に、柊一は心から嬉しそうに言う。それに笑ってみせると、高斗は、取り敢えず今日は帰るから、明日来るように言ってやると、家を出る。
すると、柊一もそこまで一緒に行くと着いて来た。こんな風に純粋すぎるから、傷付くことが多いのかもしれない。
「あ、そうだ」
門のところまで来て、高斗は思い出したように言う。それに、柊一は首を傾げてみせた。
「何?」
「お前、良い姉貴を持ったな。後悔しないように、大事にしてやれよ?」
それは、自分を慰める為の言葉でもあったのかもしれない。今は、美咲にどう思われていたのか解らないから、柊一に代わりを果たしてもらおうとしているような。
それを知ってか知らずか、柊一は自信ありげに頷いてみせた。そんな彼を見ているだけで、少し安心する。
「じゃあ、またね、高斗!」
「あぁ、またな」
言って、高斗はもと来た道を歩き出す。途中で振り返ると、香織が出てきていて、柊一と楽しそうに話していた。
――俺と姉貴も、ああいう風に見えたのかな?
胸中で独りごちると、高斗は日の暮れかけた街の中をバスタードスラムに向かって歩き始めた。
あとがき:
今回のものは今までのとは違い、高斗と香織がメインです。
見ての通り、柊一がまだヴァレンに入る前の話なので、まだ言葉遣いが動作がいちいち可愛らしいです。
違和感があるかもしれないですが、彼も昔はこんな感じだったんです。
で、高斗と香織ですが、これが初対面になります。まさか、この数ヵ月後に付き合うことになるとは思いもよらないでしょうね。
確か、この話はT.M.R.のIMITATION CRIMEという曲を聴きながら書いてたと思います。
友達に録音してもらってから、好きになりまして。
で、タイトルが"不埒な想い"なんです。歌詞に『不埒な嘘を重ねる』ってところがあって、そこからきてるんですよ。
いろんな意味で思い入れの深い話です。
〔2004.3.31〕