fain 澄みきった空

 その日は、朝から晴れ渡り、陽気も良く、穏やかな日、になるはずだった。
「何でっ、今日に限って遅刻するんだよ、お前はッ!」
「それがいつも起こしてもらってる奴の言う台詞か! ぼくだって、いつも寝起きが良いとは限らないんだよ!」
 朝の静かな道に、2人の舌戦の声がこだまする。1人は年の頃14,5歳程、赤髪金瞳で、実年齢より幼く見える顔立ちの少年であり、もう1人は年の頃15歳程、エメラルドグリーンの髪に青瞳で、その顔立ちや声からは男とも女ともつかない人物だ。見た目に違いのある2人だが、服装は同じ、私立桃李学園の男子の制服を着ているということだ。
 その彼らは、決して走るスピードを緩めずに舌戦を続けた。
「昨日は早く仕事も終わって、まっすぐ家に帰っただろ? 寝坊する理由なんかないじゃんか」
「早く帰ったからやりたいことをやってたんだよ! そしたら、あっという間に時間が過ぎて…」
「何を、何時までやってたんだよ?」
「……ネットサーフィンを、2時くらいまで」
「バカだろ、お前」
 半ば口ごもった風な言葉に、少年は思わず半眼で突っ込む。だが、さすがにその台詞には即座に反論の声が上がった。
「だったら、柊一はどうなんだよ!? 今日はお母さんゆかさんも家にいたのに、結局ぼくが迎えに行くまで起きなかったじゃないか!」
「…俺は朝に弱いんだよ。てか、翠が来るまでは大丈夫だって思ってるし」
「ほんと自分勝手だな。人をあてにしておいて、文句言って。たまには誰かさんが早く起きてくれれば、遅刻もしなくてすんだのに」
「…悪かったな」
 翠の言う台詞ももっともだったので、反論はしないでおく。翠も、柊一を黙らせたことで満足したのか、それ以上は何も言ってこなかった。
 彼、仁科柊一と東麻翠は、高校生ながら警視庁刑事部特別捜査スプレス課――通称特捜S課に所属する刑事、スプレスである。
 スプレスとは、俗に言う超人類――遺伝子改良を受け、身体能力が飛躍的に高められた人種、ジェネティックレイスや、動物遺伝子を組み込むことで動物の持つ特殊能力を発揮できるバスタードをさす――の起こす事件を専門に扱う。もちろん、スプレスも超人類であり、柊一はバスタード、翠はジェネティックレイスである。また、彼らは、超人類の中でも並外れた能力を持っていて、相性も良いから、検挙率が高く、2人のコンビ名、"アウトレイジャー"は良くも悪くも庁舎で有名である。
 そんな2人だが、普段は高校生として過ごしている。ただ、仕事柄あまり学校に行けないのが現状だ。それでも、たまに仕事が早く終わったり、非番になった日を利用して学校に行く。今日もそうなるはずだったのだが、こういう時に限って寝坊する。一応1限目には間に合いそうだったが、HRは完全にアウトだった。
「ったくよぉ、今まで遅くまで仕事してりゃ、早く帰ったって寝れるわけねェっての。しかも夜中まで外でバイクのエンジン音響いてたし」
「ずいぶん繊細みたいな言い方じゃないか?」
 隣で文句を言う柊一に、翠が半眼で突っ込む。それはさすがに聞き捨てならず、柊一も食ってかかった。
「何だよ? 絶対違うって言いたげだな?」
「だってそうだろ? 音がうるさくて眠れないなら、ぼくが起こした時、一発で起きてくれるはずだけど? それとも、わざとあんなことしたのか?」
「…今日は良い天気だなぁ……」
 反論の言葉に、思いっきり指を鳴らす翠から目線をそらし、柊一は空を見上げて呟く。しかも、はっきり解るほどの棒読みで。
 実は、今朝、時間が遅かったために慌てて部屋に飛び込んできた翠を、抱き枕代わりにして二度寝しようとしたらしい。"らしい"というのは、寝ぼけていて覚えていないからで、おかげで怒った翠に思いっきり殴られて、いつもより早く目が覚めたのだが。
「まぁ、いつもより早く出られたし、何とか最小限の遅刻で済みそうじゃんか?」
「1番出席率の悪い特別活動の単位が取れないのは大きいよ」
 何とか言い募ろうとして口を開いた柊一だったが、それもあっさり返される。元はといえば誰のせいだ、と思いはしたものの、自分にも非があるのは解っていたので言葉には出来なかったが。
 そのまま、2人は通い慣れた道を走る。
 思えば、自転車やバスという交通手段もあったのだが、自転車の方は翠が乗ってこなかったという時点でアウトだ。家には柊一の自転車はあるが、それ1台のみ。こんな状況でも、翠が2人乗りを頑なに拒否するから仕方ない。道路交通法に違反するから、という理由で。普通の高校生ならそこまで気にしなかったかもしれないが、刑事であるということ、交通課にも知り合いが多いということも関係しているらしい。柊一は全く気にしていないが、翠の場合、何より根が真面目というのが大きく影響しているのだろう。
 そして、バスの方は、この時間帯だと道路の混み具合で遅くなりそうなので問題外。超人類である2人の足の速さなら、バスを使うより早くなる可能性が高い。
「だーっ、もう、何で今日に限って赤なんだよ! 車の上跳び越してやろうか!?」
「…やめろ」
 横断歩道の信号に悪態をつく柊一に、翠が疲れきった表情で突っ込む。ただ、その疲れは、走ってきたことに、ではなく、柊一の言葉に起因しているのだが。
 だが、柊一がそんなことを言いたくなる気持ちは、翠も解らないではない。だいたい、いつもここを通る時は、滅多なことでは赤信号に対面しない。それが今日に限ってこれだ。文句の1つも出てくるだろう。
「しゃーねェ! 陸橋渡って、とっとと越え…」
 信号は変わらないと踏んで、翠に呼びかけようとした言葉が半ばで止まる。この交通状況の中、聞こえてくるかすかな声。それも、助けを求めるものだ。
「柊一…?」
 途中で表情を変えた友達を心配してか、翠が声をかけてくる。どうやら、この声には気付いていないらしい。それもそうだ。柊一の耳に届いているのは、人間の声ではないのだから。
 それに翠が気付いていないとなれば、このまま行ってしまえば良い。時間は迫っている。何も聞かなかったことにすれば良いのだ。
 だが、声は届いてしまった。いまや、はっきりと聞こえてくる。「誰か助けて」と。
 自分の中で出た答えに、柊一は我知らず苦笑した。誰にともなく、自分の中にあるお人好しさに。
「翠、先に学校行ってろ」
「え…?」
 唐突に言うと、当然翠は怪訝な表情で返してくる。意味が解っていないのだから当然だ。
「悪りぃ、忘れ物しちゃってさ」
「はぁ?」
 もっともらしい言い訳を苦笑まじりに言うと、翠は案の定半眼で返してきた。
「だから前日に用意しとけって言ってるのに」
「あーはいはい。俺が悪かったです。だから先行けって言ってンじゃん。な?」
 最初こそ投げやりに返していた柊一だったが、言葉の後半では笑顔を浮かべて言う。すると、翠はまだ訝しげな表情を浮かべてはいたものの、すぐ頷いてきた。
「じゃあ、取ってきたら、すぐに来いよ? 先生には、ぼくから適当に言っとくから」
「おー、サンキュ」
 言いながら、陸橋の方に走っていく友達の背を見送って、柊一。その後ろ姿が見えなくなった後で、彼は一息つく。くせっ毛に手を通して軽く頭をかき、顔を上げた時には不敵な笑みさえ浮かんでいた。そして、走り出す。声のしている方へ。
 問題の声は、公園の脇に植えてある木の上からしていた。か細く、今にも掻き消えそうなそれは、まだ幼い少女のようなものだ。
 木の上の方を見上げてみれば、果たして、そこに声の主の姿があった。小さくうずくまる、仔猫の姿が。
「ったく、どうやって登ったんだよ?」
 誰にともなく呟くように言うと、柊一は鞄を木の根元に置き、上着を脱ぐと、助走なしに2m近くある木の枝に飛びついた。そのまま、腕の力を利用して枝の上に登る。
「大丈夫か?」
 声をかけてやると、その白猫は驚いたように肩を震わせる。だが、柊一の言葉が通じたのか、すぐに頷いてきた。そして、ゆっくりとした足取りでこちらに向かってきたが、
「ッ…!」
 途中で仔猫がバランスを崩し、木の枝から落ちる。とっさに爪を立てようとしたが、間に合わなかった。気付いた時には、仔猫に手を伸ばして彼女を庇い、受身を取っていた。
 木々が折れる音と、強い衝撃が走る。何とか低い立ち木がクッションになって、地面に背中を叩きつけるようなことはなかったらしい。
 彼の胸の辺りでうずくまっていた仔猫も無事だったようで、にゃあにゃあ声を上げ、しきりに大丈夫かと聞いてきていたが、柊一の方は乾いた笑みを浮かべていた。
――何やってンだ、俺は…。
 だが、何とか仔猫も無事だったようだし、良いかと納得させる。そして、立ち木の中から身体を起こそうとしたのだが、
「何やってるんだよ、本当に…」
 先刻思っていたことが声になって返ってきて、柊一は思わず目を見張る。そこには、先に学校に行ったはずの翠が、柊一の方に手を伸ばして立っていた。
「お前、先に行ったんじゃ…」
「ほっとけるわけないだろ、何かありそうな顔をしてるの見てるんだし。ぼくのこと、頼ってくれれば良いんだよ」
 至極当然のように返され、柊一は絶句してしまう。だが、次の瞬間には吹き出して笑っていた。
「よく解ってンじゃん。さっすが、俺の相棒」
 言えば、翠も「だろ?」と返す。朝の険悪な雰囲気が嘘のように、やはり何だかんだあっても、どこかで繋がっているものがあるのだと、今は素直にそう思った。
 笑いあえる友がいる。それだけで、充分だから。





あとがき:
何とかできました、今週の更新。
めちゃめちゃギリギリではあるんですが。
朝の光景です。
まぁ、最後まではかっこよさも続かなかったということで(笑)
〔2005.2.20〕