受け継がれゆくもの
最初、その人の印象は、無、だった。良くもなく、悪くもなく。かといって何の感情も抱かない訳ではなくて、ただしっくりくる表現がそれだっただけだ。
こんなことを言ったら、彼女は怒るだろうか。彼女の最愛の人に対して僕がかける言葉に。
それでも、それが真実だから。未だ見ぬ貴方へ、そして、二度と見ぬ貴方への本当の想いなのだから。
警視庁刑事部科学捜査研究所、通称科捜研。ここは、事件を科学的に解明し、証拠を出したり事件の糸口を導き出す設備も人員も揃っている部署だ。
亜純も、その科捜研の一員である。若くしてイギリスに留学、大学を飛び級で卒業して科捜研に入った彼への期待は厚い。先輩達ですら一目置いているほどだ。
だが、それが彼の力のためだけではないことは、彼自身も良く解っていることだ。
人知れず、亜純は小さくため息をついた。何かに対してではなく、ただ自然な動作として呼気を吐き出す。それが、いつの間にか癖になっていた。
「ずいぶんと忙しそうじゃんか?」
不意に、近くで声が聞こえる。よく知った、少し高めの少年の声。それに、亜純は顔も上げずに答えた。
「本当に、声だけ聞けば女にも聞こえるな、お前は」
「てめ…、会って早々喧嘩売ってンじゃねェよ!」
悪態をつきながらも、少年、柊一は亜純の席の近くまで来て、不意にしゃがんだ。
「何をしているんだ?」
「隠れてンの。一応」
彼の答えは至極簡単なものだった。確かに、亜純の机の隣には低めの書類棚が置かれていて、しゃがめば通路側からは見えない。ただ、それで隠れていることになるかは疑問だが。
「仁科、自分の父親が何のバスタードか解っているのか?」
一応、気になって聞いてみる。すると、柊一はすぐに不敵な笑みを浮かべて返してきた。
「狼のバスタードだから、香水の匂いで俺の居場所がバレる、ってンだろ? 大丈夫だって。親父が探しに来ることはねェし」
別に心配をしているわけではないのだが、彼の言うことも一理ある。
柊一がいなくなったと探しに来るのは、大抵は翠の役目だった。相棒として、上司として、サボるのが許せないというのもあるだろうし、友達としては心配なのだろう。今までに、響一が探しに来たところなど見たことがない。
「だが、だからと言って、なぜ僕の所なんだ? 仕事している風に見せかけられるからか?」
「お前、ほんとはっきり言ってくれるな…」
パソコンのキーボードを叩く手を休めずに聞いてみると、柊一は半眼になって返してくる。だが、すぐに軽く咳払いをして、急に改まった様子で言ってきた。
「まぁ、それもないとは言わねェけど、ちょっとお前に聞きたいことがあったんだよ」
「聞きたいこと?」
意外な台詞に、亜純はオウム返しに聞き返す。すると、柊一は、珍しく遠慮がちに言ってきた。
「お前の父親って、どんな人…?」
「は…?」
突拍子もない台詞に、頓狂な声を上げる。それには、さすがに柊一もマズったと思ったらしく、慌てて言ってきた。
「いや、母さんが言ってたのを聞いてさ。すげェ医者だったって。葉月も机の上に写真置いてるくせに、詳しく教えてくれなかったし…」
そうやって、懸命に言ってくる様子は、本当に子供のようだ。普段は無遠慮に言ってくるくせに、こういうことになると変に遠慮がちになる。昔は大人しかったと聞いていたが、やはり根本的なことは変わっていないのか。
「氷狩…?」
言われて、我に還る。幼い頃、母から聞いた父の唯一の言葉を思い出していた。
「どれだけ月日が流れ、変わりゆくものがあろうとも、根本的なものは変わりはしない。父は、そう言ったそうだ」
「え…?」
唐突に言い出したからか、柊一は怪訝な声を上げる。だが、亜純はそれにも構わず続けた。
「父が亡くなったのは、ぼくが3歳の時だったから、記憶はほとんどない。母も父については多くは語りたがらなかった。だが、さっきの言葉だけは教えてくれたんだよ。こういう人だったんだ、と」
「じゃあ、お前、父親のこと…」
「あぁ、ほとんど何も知らない。事故で死んだことと、医者だったこと以外はな」
柊一の言葉を引き継いで、どこか自嘲的に、亜純。
自分の親のことなのに、思えば何も知らない。母に聞こうとすれば悲しそうな顔をするから聞けなくて、いつしか聞くことをやめてしまっていた。だからこそ、父のイメージを抱けなかった。好きも嫌いも、良いも悪いもない。彼について何も知らないのだから。
「今更だと笑うかもしれないが、父のことを知りたいのは僕の方かもしれないな」
「真面目な奴だったよ、あいつは」
唐突に、2人の間に第三者の声が入る。柊一からは死角だったので顔は見られなかっただろうが、声だけでも充分解ったらしく、顔色が悪い。そんな彼を横目に見てから、亜純は顔を上げた。
「どうしたんですか? 仁科課長」
理由は知れていたが、一応、課長自ら科捜研に来ることが珍しかったので、聞いてみる。すると、彼は微笑を浮かべ、言った。
「これを受け取りに来た」
刹那、隠れていた柊一が大げさなほど身体を震わせる。音を立てなかったのが不思議なくらいに。だが、響一が指したのは柊一の方ではなく手にしていたファイルだった。
「先日の事件の資料ですか?」
「あぁ、お使いもまともに出来ん奴がいてな、困っている。東麻も今は葉月のところに行っていていないのを良いことに、どこでサボっているのやら」
明らかにそらっとぼけた様子で、響一。その"お使いも出来ん奴"がすぐ近くにいるのを解っていての台詞だ。柊一の性格なら飛び出してくるだろうという魂胆なのか、それともただ単にからかって遊んでいるだけなのか。どちらにしても、良い性格、としか言いようがないが。
――本当に、こういうところは親子だな。
一方はしらじらしい態度でいて、もう一方は今すぐ怒鳴り声を上げたいのにここで出て行ったら負けだと必死に拳を握っている。違う様相を見せていたが、案外似ているのかも知れない。まぁ、亜純から見れば、はるかに柊一の方が性格的にいかがなものなのかと思うが。
「本当に、親子だな」
「え…?」
自分が思っていたことと同じことを口に出され、亜純は思わず声を上げる。見れば、響一が昔を懐かしむように言った。
「君の父親は、純平は、度が過ぎる程真面目な奴だったよ。言動は時々ふざけていたが、妥協はしない。自分が納得するまで、決して手は止めない。そういう奴だった」
「…何か、母とは合わなさそうな人物ですね…」
聞いた父の性格に、亜純はついそんなことを呟く。
息子の目から見ても、母は無茶苦茶だと思う。もちろん、仕事に関しては手を抜くこともないし、真面目だが、同じ患者でも柊一や翠はからかって遊ぶ。それに横暴なことも口にするし、よく言う「母」のイメージではなかった。これで、元族の頭だったと言われても、心の底から納得することしか出来なかった程だ。
そんな亜純の胸中に気付いたのだろう。響一は笑いながら言ってきた。
「俺も最初は思ったよ。まぁ、その代わり、『お前が由香と一緒にいられる方が不思議だ』と言われたが」
その台詞には、隠れている柊一も大いに頷いている。亜純のイメージとしては、多少の無茶はあるものの、誠実で、仕事熱心で部下や家族のことをちゃんと考えている、それが響一だ。亜純から見れば父と母の関係より、響一と由香の関係の方がより自然に見える。ただ、響一が葉月の元仲間であることを考えると、亜純の知らない響一がいるのかもしれないが。
その息子の動作も、響一には感じ取れていたのかもしれない。軽く柊一の背後にある棚を蹴って動きを止めさせてから、言葉を続けてきた。
「俺自身も純平とは合わないと思っていたが、あいつは不思議な奴でな。その言動を腹立たしく思うことがあっても、何故か嫌ったり憎んだり出来る奴ではなかったよ。どんなことを言っていても、自分より他人を優先してしまう気質だからかも知れんな」
「そう、なんですか…」
響一の言葉を聞きながら、亜純は呟くように言った。
写真の中にしか、その姿を見ることが出来なかった人。声も覚えてなどいない。記憶の中から彼との思い出を引き起こすことが出来ない。近いけれど、遠い存在だと思ってきた。今までずっと。
だからこその、"無"だ。いるべきはずなのにいない。ただ"白"く、存在している人。そう、思ってきた。
だが、自分の中で確実に変わりつつある何かがある。生きている父を知る人は確かにいる、それだけで。
「そうだな、君の顔立ちは母親似だが、真面目で、妥協することを知らないのは君も一緒だろう。例え側にいなくても、親子とは繋がっているものだよ」
言われ、亜純はようやく気付く。母が、父のことを語ってくれない理由。
もしかしたら、そういうことではないだろうか。教えてくれなかったのは、ただ父のことを思い出すからだけではなくて。
母は、亜純が父のことを聞く度に言っていた。いずれ、解る日が来るから、と。それは、響一のように父を知る人が教えてくれるという意味か、それとも…。
――父と似ている、か。
胸中で独白して、亜純は思わず笑みを浮かべる。知らなかったから、思いもしなかった。似ているのは能力的なものだけだと、そう思っていたから。
父の実力は、科捜研にいる人なら知るところのものらしい。それは、亜純も科捜研に入って早々聞かされていた。ただ、先輩達も、父の性格までは知らなかったようだが。
「そうですね、気質遺伝の可能性は示唆されてきているところですからね」
「まぁ、それで似なくても良いところまで似るのは困り者だがな」
亜純の言葉に苦笑して言いながら、響一は手にしていたファイルで棚の反対側にいた柊一の頭を殴った。さすがに、それで隠れていても無駄だと解ったのか、柊一は立ち上がって怒鳴り声を上げる。
「何すンだ、この暴力親父!」
「無駄に隠れるようなことをするからだ。大方、氷狩のところでいれば仕事をしていると思われる、と考えたんだろう?」
「あぁ、同じような手口を使ったことがあるから解ったのか?」
意地の悪い笑みを浮かべて言った瞬間、再び響一からファイル攻撃を食らう。今度は、相当力が入っているのか、柊一も頭を抱えた。
「すまなかったな、氷狩。邪魔をした」
「いえ、いつものことですから」
いつまでもうずくまっている柊一を促して、響一は息子の代わりに謝罪する。それに、亜純が首を振ってみせると、響一は何故か吹き出した。
「どうかしたんですか?」
「いや、懐かしい台詞だったんでつい、な」
「え…?」
聞き返してみるが、それ以上の答えはなかった。だが、2人の背を見送った後で、亜純もようやく気付いた。
受け継がれゆくものは、確かにここにもある。
あとがき:
久しぶりに亜純がメインの話ですね。
これは、以前、左京さまの誕生日祝いに送らせてもらった話なんですが。
アップしたつもりでいたんですけどね;;
あまり、柊一と翠以外のキャラの過去にスポットを当てることがなかったので、すごく新鮮な気持ちで書かせていただきました。
どんな話にしようか散々迷ったのですが、登場人物には全く迷いはなかったですよ(笑)
いろんな意味で思い出深い話です。
〔2005.8.31〕
BGM by Janne Da Arc『ANOTHER SINGLES』