遥か昔に、王宮として栄えていた建造物――朱色の柱に白い壁、新緑の屋根を携えたそれは、見るからに過去の威厳を残している。ただ、嫌な圧迫感というものはなく、むしろ快さを与えてくれる聖域のような雰囲気さえある。だからこそ、この国は栄えたのだろう。良き君主の下で、人々が安心して生活できる、そんな国だったから。
だが、繁栄というものは長くは続かない。
この国も例外ではなかった。他国の侵略により、下町は焼き討ちにされ、ついにその間の手は王宮にまで伸びた。中に残っていた、生き残った住民と王、王妃とその子供達5人、そして従者達は、その時が来るのを待っていた。が、それは起こらなかった。突如、王妃が立ち上がり、その腕を広げて高らかに宣言したのだ。
『この国は決して滅びぬ!心悪しき者の手には堕ちたりなどせん!』
刹那、閃光がほとばしり、視界が閉ざされた。その場にいた全員が目を開けた時、そこに王妃の姿はなかった。いたのは、息絶えた1匹の白狐であった。
全てに気付いた王は、息絶えた狐を愛しげに抱きしめ、外へ出ようとして扉を開けた。そして、その場で凍りついた。一面を覆う白い雲、そして、明らかに今までいた場所とは違う空気を感じる。我に帰った王は臣下を連れ、門のところまで周囲を確認しながら行ってみた。この門をくぐれば、戦乱の真っ只中にある城下町だ。王は一歩踏み出して、しかし即座に身を引いた。大地がなかったのだ。街はおろか、門の向こうには人一人分の間を隔てた向こうに橋がある以外は何もなかった。疑問ばかりが浮かんで、訳が解らなくなった一同が真相を知ったのは、それから少し後の話である。
風の詠人―blue 雨の後で―
それから、いくつ月を数えたことか。もはや解らなくなっているのは、誰のせいだというのだろう。
「母様のせいだよ、母様の」
丸座布団を抱え、少女が頬を膨らませる。年の頃14歳ほど、紫髪紫瞳で、白い着物に赤い布を袖に巻きつけた格好をしている。彼女の目線は、まっすぐ縁側で書物を見やる少年の方に向けられていた。
「何が…?」
仏頂面で面倒くさそうに、彼はそれでも律儀に少女の問いかけに反応してやる。少年の方は、年の頃は少女と同じくらい、緑髪緑瞳で、緑色の道着のようなものを着ている。億劫そうに少女を見るその顔は、彼女と瓜二つだ。
「うわ、あたしと同じ顔がこっち見てる」
「…僕で遊ぶほど暇なの? 紫苑」
「ん〜ん、ただつまんないの。紫陽本ばっかり読んでるし」
少年――紫陽の言葉に、ますますつまらなさそうな顔をして、紫苑はそっぽを向く。だが、すぐに思い出したように紫陽を見て言った。
「でなくて、あたしが言いたかったのは、ここにあたし達姉弟が2人きりでいなきゃならないのが、母様のせいだったっての! ほれ、見てみ?」
「まぁ、それは僕も思ったけど、って、何1人で遊んでるの?」
「ちっが〜うっ!!」
1人でくるっと回って見せる姉に呆れ顔で突っ込みを入れると、紫陽は再び本を手に取ろうとする。そこに間髪をいれずに紫苑の投げた丸座布団が飛んできたが、当然のように紫陽はそれを受け止めて嘆息する。
「尻尾に耳、だろ? でも、おかげで僕達は生きてるんだし」
「あたしには邪魔なんだもん。落ち着いて寝られないんだよ? 仰向けになって寝ると尻尾が痛いし、耳は聞こえすぎるし…」
「紫苑は消せないもんね? 妖力足りなくて」
「うっさ〜い!」
弟の言葉に、反論も出来ずに紫苑は地団駄を踏む。その度に、着物から覗く尻尾がひょこひょこ揺れた。
この紫陽と紫苑の姉弟は、俗に言う化け狐、妖狐の双子である。
彼らの母は、かつてこの王宮を治めていた王の妃であると同時に、この異空間の守護者の役目を担っていた妖狐であった。
だが、侵略にあった時に自らの妖力を振り絞り、この王宮をこの世とあの世の狭間の世界、つまりここに空間移動させた。巨大な建造物を1つ、そっくり移動させたために、その多大な妖力の消費によって、彼女は今まで人間として生まれた子供達にはひたすら隠してきた自らの正体を曝し、息絶えた。
その後、残された父、また、その子供達や臣下やらは途方に暮れていたので、見かねた紫陽と紫苑が姿を現して、事の次第を話したのだ。王妃の正体から、この世界の役割まで、全て。その後で、大体の事情を知る王以外、ほとんどの者が卒倒しかけたことは言うまでもないが。
紫苑の主張でそんな昔のことを思い出していた紫陽は、改めてため息をついた。
今思えば、かなり無茶苦茶な母親だったと思う。性格が、というよりは、その行動が。その点、この今もなお尻尾や耳について文句を言っている姉は、母の血を多分に受け継いでいるのだろう。これで、母親が死ぬ数ヶ月前には、紫陽より1年程遅れてようやく手も変化(へんげ)できるようになったというのに、今度は足!と大騒ぎしていた頃よりはマシになっているのだが。
そんなとりとめのないことを考えながら、紫陽は何気なく空に視線を巡らせていた。年がら年中霧に覆われた世界で、何があるというわけでもないのだが、ごくたまにそれが晴れる時がある。その時期を見逃すまいとして、今日も出来るだけ空が見える位置にいるのだ。何といっても、その霧が晴れる瞬間というのが…。
り…ん
ほんのかすかな音だったが、僅かに聞こえた鈴の音のような音に、さすがの紫苑も文句を言うのをやめ、真剣な表情である方向を見据えた。紫陽の方も、狐耳のままの姉に聴力は劣るが、それでも並の人間よりはずば抜けているので、その音を聞き取っていた。そして、導かれるように空を見上げる。
「見て、紫苑。空が晴れる」
「悠長に言ってる場合か! 行くよ、紫陽!」
言うが早いか、紫苑は傍らにあった大振りの剣を易々と持ち、手すりを飛び越えて走っていく。紫陽も側においてあった棍を手に取り、姉に従って手すりを掴んで一回転する。地上に降り立った時には、彼も紫苑と同様、狐耳に尻尾が生えていた。
この2人が王の実子でありながら、他の兄弟と離れて暮らしていたのには訳がある。
まず一つ目は見た目の問題だ。2人共、生まれた時は耳・両手足が狐のそれであり、尻尾があった。だから、王妃は変化が完全になるまで、2人を異空間で育てたのだ。
二つ目は、この地に守護者がいなかったこと。
この地の意味するところは、この世とあの世の境目、つまり、2つの世界を繋ぐ唯一の道だ。ここを誰かが護らなければ、往来は自由となり、この世に責め苦に耐えかねて逃げ出してきた、鬼と成り果てた者達が逆流する。それを食い止め、死者を正しい方向に導く役目を担っていたのが彼らの母親だったのだが、戦争で命を落としかけてこの地に誤って迷い込んだ父と出会ったために、母は門番の任を休め、この世とこの地を行きかう生活を始めた。そして、やがては自分の臣下に守護の代理を任せ、王妃となったのである。だが、ちょうど妖力の強い子供が生まれ、守護者にするべく、教育を始めたというわけだ。つまり、子供にとっては、はた迷惑で自分勝手な母親にも映るわけだ。それでも憎めないのだから、母親の力の強さとその存在の意味を実感させられるのだが。
「紫苑、あれ!」
言って、紫陽が棍をかざして言う。少しずつ、霧の晴れた先に彼の言う人物の姿が見え始めた。年の頃19歳ほど、黒髪黒瞳で、服装は一般的な男子の着物だ。その人物の姿を認めるや否や、2人は安心したようなため息をつき、同時に言った。
「何だ、広英様か…」
「いい加減慣れないか? ほぼ毎回、こうも手厚く歓迎されては俺も疲れる」
同じような口調で返され、紫陽はむっとした表情を作る。
この地の霧が晴れるのは、亡者が逆流してきた時か、人間が迷い込んだ時である。心清らかな人間、この地を通るべき人間が来た時は、鈴の音がそれを知らせてくれる。
だが、心悪しき者、通ってはならない者の場合にはそうはいかないのだ。
その辺りの判断を下すのは、現世からの離脱者が最初に通る門の番人である。その人物とコンタクトを取りながら、六道の様子を監視下に置けるのがこの広英だ。彼はまだ幼かった双子の養育係でもあり、母の家臣でもあり、2人の家族でもある。
その彼が、なぜこの地にふさわしくないと判断されるのかというと、外に出る際、鈴を付け忘れるからだ。本来ここに来るはずの人間は門番に鈴を与えられる。だからこそ、霧がうまく働くのだが、広英は極度の面倒臭がりであるため、よく鈴なしで外に出る。そのため、侵入者扱いされるのだ。ただ、紫陽は、その理由が最悪なまでの広英の性格の悪さにあるのではないかと思っているのだが。
「何か言いたそうだな? 何だ?紫陽」
「別に」
言われて、紫陽は半ば呆れた口調で返す。この男、絶対解って言っているのだ。だからといって、嫌味の一つでも言おうものなら、容赦なく言葉攻めにされる。それを紫苑に気付かれないようにするのだから、大したものだ。そして、案の定気付かない紫苑が大げさなほどのため息をついてくる。
「何〜? 紫陽ってば、子供みたいにぶすくれちゃって。広英様に失礼じゃない?」
「子供は紫苑の方だよ…」
「何おう!?」
姉の言葉に疲れきった様子で応じる紫陽に、今度は紫苑の方がぶすくれた表情を作る。そのやり取りに全く無関心だった広英は、ただ無表情で2人を見ていたが、やがて気付いたように顔を門に向けた。
「鈴の主が来たようだぞ?」
「へ…?」
言われ、口論を始めていた2人は、同時に間抜けな声を上げた。そういえば、ここに来る前に、確かに鈴の音が聞こえたのだ。広英が霧を晴らすから惑わされて、すっかり忘れていた。
広英が指し示す先には、確かに人間がいた。年の頃は10に満たないか足りているかというところで、赤い玉のついた髪飾りに赤い格子模様の着物、手には鈴と、ぼろぼろになった人形がしっかりと握られていた。
「境の門にようこそ」
子供相手だからと紫陽はかがんで話しかけてみるが、彼女は固く口を結んだまま、顔をあげようとはしない。だが、紫陽は彼女の気持ちが解らないでもなかった。
この地に来たということは、命を落としたということだ。しかも、物語でよくあるように生き返ることが出来る場所ではない。その現実を受け止められないと言うのは、子供に限らず、よくあることだ。しかも、普通の人間から見れば、自分達、妖狐は異形のもの。恐いもかもしれない。そう思っていたのだが、
「お兄ちゃんが…」
「え…?」
その言葉をしっかりと聞きとめていた紫苑が、驚いて聞き返す。刹那、少女は火がついたように泣き始めた。
「お兄ちゃんと、一緒…だった、のに、離れ、ちゃったの…。お願い、狐さん、お兄ちゃんを、探して…」
しゃっくりをしながら、少女は懸命に訴える。その様子を見ながら、紫陽と紫苑はお互いに顔を見合わせた。
なぜこの地に来るのにはぐれるようなことがあるのかという疑問と、出来ることなら探しに行ってやりたいが、番人たる自分達がこの地を離れるわけにはいかず、どうしようという想いとが入り混じっているためだ。
まず、子供がはぐれるという現象は、この地においてはありえない。鈴が行く先を導いてくれるからだ。それに、絶対に落とすことのないように、二重三重の厳重な策を最初の門で行ってくれる。それがどのようなものかは解らないが、とにかくここに来る者で、鈴をなくしてどうしようかと思った、なんてことを言う人物はいない。だからこそ、紫陽と紫苑も特別な理由なくこの地を離れることもなく、番人として過ごして来られたのだ。もしこの地を離れるのなら、代理の者がいる。それ相応の力を持ち、双子の代わりに死者を導いてくれるような人物が…。
「…何だ?」
凝視する視線に気付いて、広英は疲れきった声で応じる。目は口ほどに物を言うとは、まさにこのことだろうと彼は思う。双子は、明らかに留守を頼む、と言いたげな目で広英を見ていた。ここでどんなに断ったところで、どうせ無駄なことも、嫌というほど知っている。だからこそ、彼は深々とため息をついた。
「…好きにしろ」
「ぃやったー!」
広英の返答を聞くや否や、双子は尻尾を揺らして喜ぶ。だが、喜んでばかりはいられない。この地に辿りつけずはぐれたというなら、その兄は鬼の古城に着いている可能性が高いのだ。鬼の古城とは、俗に言う地獄である。六道の中でも最下層に位置し、鬼が罪人を呵責する地だ。しかも、そこは子供では決して辿り着くことはない。大人でも、かなりの悪行を成した者だけが堕とされ、肉体の死よりも辛く、精神を破壊されるような拷問を受ける、最悪最凶の場所だ。もしそこに迷い込んだとしたら、一刻の猶予もない。
「君、名前は?」
紫陽が問いかけると、少女は少し驚いたように顔を上げた。そして、答える。
「春蘭…」
「じゃあ、お兄ちゃんは?」
今度は紫苑が聞く。と、意味を察したのか、春蘭の表情はいきなり明るくなった。
「春栄!お願い、お兄ちゃんを連れてきて欲しいの!」
「解ってるよ。僕達に任せて?」
言ってやると、春蘭は笑顔を見せ、頷く。それを見、紫陽と紫苑はお互いの顔を見合わせ、頷くと、広英に向き直った。
「じゃあ、行ってくるね?広英様」
白い歯を見せ、どこか楽しげに言う紫苑の様子を見、広英はあくまで無表情で、春蘭を城の中へと案内しながら、とてつもなく恐ろしいことを言ってのけた。
「あぁ。生意気な鬼共の首の一つや二つでも狩ってきてくれればありがたいんだがな」
「そんな無茶苦茶な…」
「戦争になるよ…」
広英の言葉にそれぞれの感想を漏らし、苦笑しながら、2人は走り出した。
六道の中にありながら異質の役目を担う彼らの地と、六道の中に組みこまれている鬼の古城とは、本来相容れてはならない。ただ、こうやって本来別の場所に行くはずの人間が迷い込んだ場合に、ほんの少しだけ接触するだけだ。用もなく六道のどこかにでも足を踏み入れようものなら、たとえ番人の彼らでも容赦なく罰せられる。ましてや、そこで乱闘騒ぎになり、六道の住人である鬼を殺そうものなら、地獄全体に喧嘩を売るようなものだ。たとえ他の者が止めても、閻魔大王が黙ってはいないだろう。だからこそ、彼らとしても、できるなら別の場所で春栄を見つけ、もし地獄に迷い込んでいたとしても、事を荒らげることなく出て来たいものなのだが、
「何か、広英様の言葉を実行する気満々って顔だよ?紫苑」
「え〜、まっさかぁ」
姉の表情に、紫陽は疲れきった声で指摘すると、紫苑は表情をへらへらと崩す。だが、さっきまでの表情は、明らかに一暴れする気でいた時のものだ。しかも、手にはしっかりと大剣が握られているし。まさか本気で首を狩るようなことは、番人としてしないだろうが、殴り飛ばすくらいのことはしそうだ。もともと、こういう騒動が好きなのだから。
――双子なのに何でこんなに違うんだ…。
軽くこめかみを押さえながら、嘆息交じりに胸中で呟いていると、その問題の姉が声を上げた。
「ほら、見えてきたよ、地獄門」
至極あっさりと言ってくれる紫苑の言葉に一抹の不安を感じながらの紫陽が顔を上げると、確かにそこには禍々しいほどの朱色で染め上げられた巨大な門が霧の中に浮かび上がっていた。
地獄門、言葉の通り、鬼の古城に通じる門である。その朱色は、鬼に嬲り殺された人間の血だそうだ。そんな場所に、子供が迷い込んでいて欲しくはない、と思うのだが…。
「紫陽、春栄くん、見た?」
「ううん。紫苑は?」
「見てない。人間の気配もしなかったもん。だとすると…」
2人で確認しあってから、紫苑はゆっくりと目を地獄門に向ける。それに従うように紫陽もそちらを見たが、その真実はあまり考えたくなかった。
「中に入って確かめないとね♪」
「はぁぁ…」
やはりと言うべきか、どうしてと問うべきか、楽しげに言ってのける紫苑の隣で、紫陽は本日最大のため息をついた。これで、姉が後先考えてくれる性格なら文句もない。多少冗談が過ぎようが、問答無用で鬼を殴り飛ばそうが、事後処理を自分でしてさえくれれば良いのだ。だが、それをしないから、困るのである。ましてや極悪人の広英がしてくれるわけもなく、閻魔大王に謝罪の文を書き、鬼達の魂鎮めを行うのも紫陽なのだ。
「どったの?紫陽」
「…何でもない」
あまりに楽観的に聞かれて怒りも呆れに変わり、紫陽は既に中に入ろうとしている姉の後に従う。
だが、紫苑に先を歩かせた時点で、紫陽の不幸は始まっていた。彼女は、門の前に立つと、おもむろに叩き、大声で言い放った。
「た〜のも〜う!」
「うわぁ!」
慌てて紫陽が止めに入ったが、もう遅い。重々しい音がして、門が開いていく。そして、中から鬼が現れ…。
「何じゃ、紫殊佳のとこのチビ共か。何用じゃ?」
姿を現したのは、鬼ではなく、小柄な老人だった。顎の下に白い髭を蓄え、文人のような格好に身を包み、長い眉に覆われて見えているのかいないのか解らない目でこちらを見てくる。その人物の姿を認めた紫苑は、堂々と彼に近づいていった。
「あ〜、鬼守りのじっちゃんじゃん。ひさしぶり〜」
「これ、狐の娘っ子、『たのもう』などと言うものではないぞ。鬼達が聞いたら、地獄荒らしかと思われるぞぃ」
軽々しく話しかける紫苑に、老人も軽々しく応じる。だが、紫陽の方は気が気ではない様子でそのやり取りを見ていた。
「どうした?狐の小僧っ子」
「い、いえ、何でもありません」
問われ、紫陽は胸の内を見せないように丁寧に応じる。だが、真相を知らぬ紫苑は、怪訝な目で紫陽を見ていた。
「何言ってンの?紫陽。じっちゃん相手にさ。あ、そんなことより、じっちゃん、ここに男の子来なかった?」
唐突に本来の目的を思い出して紫苑が問うと、老人は顎髭に手を当て、言った。
「ふむ。来たのぅ。ついさっきじゃ。今ならまだ鬼共に見つかっとらんかも…」
「ありがと、じっちゃん!」
老人の言葉を聞くが早いか、紫苑は何の断りもなくさっと門の中に入って行ってしまう。毎度のことながら突拍子もなく動く姉に呆れて、暫くその背を見送っていた紫陽だったが、下から声をかけられ、竦みあがった。
「おんしら、また御霊を逃がしたのか?」
「ま、まさか! 彼が鈴を落としたんですよ」
慌ててそれだけを一気に言うと、老人は顎に手を当てたままの姿勢で唸る。
「はて、こうも何度も狐の子らがこの地獄に入って来るというのも困り者じゃのぅ。しかも、あの狼の小僧め、狐の娘っ子を煽りよる。わしも多くを見逃してきたが、これ以上の失態を続けるなら、おんしを地獄に叩き落すとでも伝えておいてくれ」
「喜んで。僕の言うことなんて全く聞いてくれないんで」
ようやく笑顔を見せて、紫陽も姉の跡を追って中に入ろうとするが、不意に着物を引っ張り、呼び止められる。振り向いた時には、凍てつくような紫瞳がこちらを見つめていた。
「おんしも気をつけることじゃな。いくらわしとて、いつまでも鬼共の怒りは止められん。おんしの文に添えられた"エサ"で誤魔化してはいるが、ここいらが限界ぞ? のぅ?紫陽」
「…肝に銘じておきます」
それだけの言葉を何とか絞り出すと、老人は再び表情を崩し、ふぉっふぉっと笑った。
「ならば、姉を追いかけよ。また暴走を始めてしまうでな」
「はい!」
忠告を受け、一番大事なことを思い出すと、紫陽は老人に一礼をして、門をくぐった。
地獄の中は、気分が悪いほどの瘴気に包まれ、薄暗く、はっきり言って最悪の環境だ。至る所に人骨が転がっているわ、赤黒い血のような地面が所々煮えたぎっているようにぐつぐついっているわ、何度来ても嫌悪感を覚えずにはいられない。それでも、人間を自分達の守護する門から送り出すのが彼らの役目だ。ここで怯んでいては、その役目すら果たせない。
「とにかく、紫苑に追いつかないと…」
走りながら誰にともなく呟いていると、不意に何かが紫陽の変化した耳に入ってきた。
――子供の声、と、紫苑…!?
それが僅かに切迫したようなものだったため、紫陽はそれまでよりも速度を上げ、声のする方向に向かった。その先にあるのは、鬼達の巣窟、鬼の古城である。
「紫苑!」
地獄の敷地内にさらに築かれていた塀を飛び越え、城内に降り立つと、紫陽は真っ先に姉の姿を探す。ほどなくして、彼女を視界の端に捕らえた時、彼はとんでもない光景を目にした。今まで鬼相手に剣を本気で使うことのなかった紫苑が、真剣な面持ちでそれを構えている。そして、その先にいるのは、幼い少年を小脇に抱え、口から白煙を吐き出している鬼の姿だった。
「春栄くん!」
その姿を認め、思わず声をかけるが、返事はない。だが、肉体があるということは、まだ鬼の餌食になってはいないということだ。一応、この世界の規定内での"生存"ということになる。
「どうなってるんだ、いったい!」
訳が解らず、半ばやけになって叫ぶ紫陽。いくら春栄が地獄に迷い込んだといっても、鬼に見つかるのがいくら何でも早すぎる。老人は、ついさっき、と言ったのだから。
「瘴気だよ…」
「え…?」
剣を構え、鬼を見据えたまま、紫苑が答える。いきなりのことに思わず聞き返した紫陽だったが、すぐに状況を理解した。
つまり、兄妹2人で歩いていたところに、地獄の瘴気が流れ込んできて、兄の持っていた鈴の結界を解いてしまい、兄妹を別れ別れにさせた、と言うところだろう。だとすれば、これは地獄側に非があることになる。
「その子を返してよ」
棍を構えながら、紫陽も鬼に向き合い、言い放つ。だが、鬼は全く動じた様子も見せず、白煙を吐き出しながら、地の底から響くような声で返してきた。
「ニク…、ニンゲン、クウ…」
「させるものか!」
威勢良く言い放ったのは紫苑だ。それには、鬼も多少態度を変える。つまり、臨戦態勢だ。それを見るや、紫苑と紫陽は頷きあい、互いの武器を合わせる。
「彼の子は、我ら風の詠人が貰い受ける」
「グオオオオ…」
2人が言うが早いか、咆哮をあげた鬼が襲いかかってくる。それを余裕で避けると、2人はそれぞれの武器を持ち直した。
「やるよ、紫苑!」
「まっかせといて!」
今までとは違った口調で頷いてみせると、紫苑は大剣を軽々と抱え、切り込んでいく。
ガキィ!
僅かに火花を飛ばしながら、金属音が空を裂く。かなりの力で振り下ろされたはずの大剣を、鬼が片手で易々と受け止めていた。その展開に、紫苑は思わず歯噛みしたが、すぐに笑顔を見せた。
「なんつって」
「!?」
驚愕したのは鬼の方だった。押し合いをしていた手から急に力が抜けたのだ。見やれば、腕から大量の血が流れ出している。
「剣圧だよ。あたし達が風の詠人と言われる所以は、風を操れるからなんだよね」
自信ありげに鬼に解説していた紫苑だったが、第2波がやってきて、すばやい身のこなしで後ろに飛びのいた。
「匂いをかぎつけてきたのか」
吐き出すように、紫陽。彼らの周囲には、無数の鬼達が爛々と光る目で2人を見ていた。
「ワッパ、ワッパ…」
「ワラシ、キツネ…キツネ…」
「クウ、ニク…」
「何か、やばくない?」
口々に言う鬼の矛先は、いつの間にか春栄から双子に変わってしまっている。それはそれで、春栄を無事連れて帰る役目を担っている彼らにとっては丁度良い話なのかもしれないが、さすがにこれだけの数となるとつらい。古城にいる鬼が全て出てきたのではないかと疑うほど、彼らのいる場所は鬼に埋め尽くされている。
「でも、やるしかない!」
棍を強く握り締め、言うが早いか、紫陽は春栄を抱えた鬼との間合いを詰める。だが、当然、他の鬼達が紫陽を捕らえようと手を伸ばしてきた。
「はぁぁ!」
凄絶な気合もろとも、薙ぎ払われた棍が鬼を次々と吹き飛ばしていく。かなりの数が集まってきていたせいか、何でもない攻撃だったにもかかわらず、鬼は互いにもつれ合って転び、すぐに体勢を立て直せずにいる。その隙に出来た通路から弟より先に出た紫苑は、大きく跳び、剣を薙いだ。刹那、現れた風刃が鬼を傷つけずに吹き飛ばしてゆく。そして、地面に降りたつや否や、振り下ろされた腕を剣の心で受け、峰打ちで殴り飛ばす。紫陽も、鬼に爪を向けられ、それを棍で制すと、右足で鬼の腹を蹴り飛ばし、次いで繰り出された別の鬼の攻撃も身を翻しながら棍で捌いて弾き飛ばす。単純攻撃しか繰り返さない鬼達は、その姉弟の華麗な技の前に次々と倒れ伏してゆく。
だが、鬼も決して怯まない。幾度となく双子と鬼の間で繰り返されてきた戦いだ。たとえ仲間意識が皆無に等しいと言っても、憎しみが募るものらしい。その攻撃は留まるところを知らない。
「これじゃきりがないよ!どうする?紫陽」
「…もう、あれっきゃないだろ」
「あれ…?」
自分から質問を切り出した紫苑だったが、弟の言葉の真意を計りかねて、聞く。すると、紫陽は、それまで牽制していた鬼の腕をいきなり折った。驚いたのは折られた鬼ではなく、紫苑の方である。
「ちょっ…、自分が言ったンじゃん!戦争になるって」
「良いから! 僕に考えがある」
言うが早いか、紫陽は次々と鬼達を本気の力で相手してゆく。その言葉に、いまだに疑念を隠せない紫苑だったが、今まで弟が間違ったことを言った例もなかったので、意味も解らないまま素直に従った。
「どうなっても知らないからね! 狐火!」
言いながら剣を鞘に収め、一度胸の前で組み合わせた両手を広げると、そこから白炎が湧き上がる。その超高温の焔に焼かれ、鬼は次々に朽ちていく。
その光景に、さすがに恐れをなしたのか、何匹かの鬼が身じろきを始める。所詮は己が命が最優先の生き物だ。仲間の無残な様を見せつけられ、己の危機を感じないものはいない。
「咎人でない人間に手を出した者、出そうとした者の処罰のされ方を知っているか?」
恐ろしいほどの静かな声音で、紫陽。そんな何気ないように言い出された言葉に、さらに鬼達は身を引いた。
「異界の守護者に、罰せられても文句は言えないんだよ? 誰だったっけ? 僕達を食べるって言ったの」
余裕たっぷりの笑みを浮かべ、その腕に白炎を抱きながら、紫陽はいまだ立ち尽くしたままの鬼達を見据える。刹那、恐れをなした鬼達は一目散に駆け出した。本来なら、決してありえない光景である。それほど、紫陽の語気や表情は常軌を逸していた。だが、逃げ出さなかった勇気のある者もいた。あの、春栄を抱えた鬼である。
「あ、もしかして、人質がいるから大丈夫、なんて思ってる?」
いつもの調子で軽口を叩きながら、紫苑。だが、状況が状況だけに、とてもいつもと同じ調子には聞こえない。実際、彼女からは隠しきれないほどの気迫がにじみ出ていた。
「そんなの、甘いよ?」
言って、彼女は軽く剣を振るう。一瞬の間があいて、ごとり、と重々しい音がした。見れば、春栄を抱えていたはずの腕がなくて…。
「!?」
驚く鬼を尻目に、紫苑は飄々とした仕草で春栄を助け出す。彼女は、剣の一振りで、子供を傷つけることなく助け出して見せたのだ。
「確かに、子供は貰い受けた」
紫苑が隣に並んだのを確認すると、紫陽は穏やかな笑みを見せ、言い放つ。それが癪に障ったのか、それとも痛みのためか、鬼がひときわ大きな咆哮をあげた。
「ねぇ、むっちゃ叫んでるけど、どんな幻惑見せたわけ?」
「はは、ちょっとお灸をすえるつもりだったんだけど、効きすぎたかな?」
紫苑に問われ、紫陽は苦笑を返す。実は、彼が鬼の腕を叩き折ったところから紫陽のかけた幻術が始まっていたのだが、幻術というものの存在を知らない鬼がそれに気付けるわけもなく、今でも焔に焼かれたと思っている鬼達が深い眠りに落ちているのである。
「また派手にやってくれたのぅ。先刻の話を聞いておったのか?」
やれやれと嘆息交じりに現れたのは、門のところで会った老人である。彼はおもむろに鬼達に近づき、その様子をまじまじと観察した。
「この分じゃと、いつもと同じ量じゃちとわびには足りんぞ? まぁ、今回はこちらも悪かったようじゃし、多少わしからもいって聞かせるが…」
「すっご〜い!そんなことも出来んの? じっちゃんって、何者…?」
「あ〜、紫苑、早くしないと、春蘭ちゃんが心配するから、早く帰ろ!」
姉が皆まで言う前に慌てて制すと、紫陽は再び老人に頭を下げ、無理に紫苑を引きずっていく。
「気ィつけてな〜」
軽く言って送り出してくれる老人に、紫苑は勢いよく手を振っていたりしたが、紫陽の方はほとんど振り返りもせず、失礼にならない程度に歩を速めた。
――言えない…。あの狸爺さんが閻魔大王様だなんて…
紫陽が気付くのは案外早く、最初に地獄に乱入した時だったが、どうやら紫苑はまだ気付いていないらしく、いまだに最初に老人が名乗った鬼守りだと信じているようだが、よく考えれば、閻魔の役職こそが、鬼の守りなのだ。
「ねぇ、紫陽、何でそんなに急ぐの? あたし、もうちょいじっちゃんと…」
「良いんだよ!春蘭ちゃんが待ってるだろ!」
そんな言い訳を作ってさらに歩を速めるが、本心ではこれ以上関わりたくないという気持ちが滲み出ている。ただでさえ何を考えているか解らない人物だ。これ以上関わって、心の内の読み合いなどやっていられない。
その胸中を察してか、紫苑はぽんと手を打ち合わせてから言った。
「あ、そっか。春蘭ちゃんに頼まれてたんだもんね。ンじゃ、急ご」
「うん」
頷いてみせるが、我が姉ながら本当に変わり身の早い性格である。そのおかげで助かっている部分は多々あるのだが。
とりあえず、今回もその性格のおかげで助かり、無事に戻ってくることが出来た。そこまで来て、ようやく春栄が目を覚ます。
「う…」
「お、気が付いたね」
「…うわぁ!」
紫陽の背に負ぶさっていた春栄だったが、気が付くや否や、目の前に狐耳を持った少女がいて驚いたらしい。声を上げて、バランスを崩して滑り落ち、したたかに腰を打ちつけた。
「あ、あなた達は…」
だが、少し落ち着いたのか、戸惑いはあったようだが呆然とこちらを見つめてくる。当然だが、訳が解っていないらしい。それに気付いて、紫陽は笑顔で春栄に手を差し出した。
「僕は紫陽、こっちは紫苑。僕達は君の妹に頼まれて、君を探しに行ってたんだよ?」
「春蘭に?」
「お兄ちゃん!」
紫陽の手をとって立ち上がった春栄が聞き返すのと、涙声が聞こえてくるのは同時だった。少し遠い場所で、晴れ渡った霧の合間から、必死にこっちに向かってくる少女の姿が見える。
「春蘭!」
その姿を認め、春栄も妹に向かって走り出した。これで、とりあえずは一段落といったところか。ようやく2人が門のところで再開し、抱き合っているのを見ると、紫陽と紫苑は顔を見合わせて笑みを浮かべた。
「どうだ? 鬼は成敗してきたか?」
ようやく帰ってきた2人に向かって、広英は冗談じみた言葉を言ってくる。さすがに、その問いには紫苑ですら苦笑していたが、紫陽は不敵に笑い、皮肉っぽく言った。
「閻魔様が言ってたよ?あまり不穏なことを言うようなら、広英様を地獄に叩き落すってさ」
「ほう。あの豆爺もついに動くか。面白い」
「はぁ…?」
予想外な台詞に、紫陽は思わず目を丸くする。だが、広英はかなり本気のようだ。
「やれるものならやってみやがれ。逆に鬼のえさにしてくれる」
「……」
紫苑の前では決して見せないどす黒いオーラをまとわせて言う広英に、紫陽は思わずこめかみを押さえる。忘れるわけがない。広英は血の気が多い種族と名高い妖狼族である。喧嘩を売られて買わないわけがない。
「へぇぇ、そんじゃ、あたしらと同じとこの生まれだね〜。奇遇じゃん」
「お姉ちゃんも? だったら、仲間だね」
紫苑の方は、広英の言葉など聞こえておらず、楽しげに春蘭、春栄兄妹と話をしていた。それはそれで、とても良いことだと思うのだが、タイミングよく広英の本性を見逃しているせいで、紫苑が広英に対して憧れを抱いているのは少し癪だ。
「紫苑、そろそろ…」
「あ、そだね」
広英に言われ、紫苑は気付いて立ち上がり、兄妹を門の中へと案内する。紫陽も、当然それに従った。
5人が行き着いたのは、門の正面に陣取っている大扉だ。今回この兄妹がくぐるのは、輪廻転生の輪の中に入れる世界、つまり天界に通じる門である。そこから先には、転生するまでの平穏な暮らしが約束されているのだ。
「じゃあ、お別れだね」
「もうはぐれちゃダメだよ?」
紫陽と紫苑が交互に言うと、兄弟は手を取り合って、力強く頷いた。そのまま、2人の姿が見えなくなるまで見送っていた2人だったが、やがて扉が閉まり始めると、踵を返した。
「無事、行けたみたいだね」
「うん、あの2人なら大丈夫だよ」
2人で笑顔を見せ、頷きあうと、唐突に笑い声が聞こえる。見れば、広英が声を押し殺して笑っていた。
「どしたの?広英様」
「いや、昔のお前達にそっくりだと思ってな。紫苑も紫陽も、良く俺にくっついてきていた。それから、紫陽は紫苑の陰にいることが多かったかな」
「な…ッ!?」
とんでもないことを言われ、紫陽は抗議しようとするが、幼い頃のことなど覚えているわけもなく、否定できない。と、そこに追い討ちをかけるように、紫苑が飄々と言ってきた。
「ふっふっふ、そんなにお姉ちゃんが頼りになったってことかな?」
「それだけは違うと思う…」
自信があることだけ否定しておいて、紫陽は広英を睨む。何を言い出すのかと思い、その真意を探ろうとしたのだが、所詮無駄なことだったらしく、広英は余裕たっぷりの笑みを浮かべて紫陽を見返しているだけだった。
「さて、戻るか。紫苑、剣術の稽古をつけてやろう」
「わ〜い! 行こ行こ!」
何でもないように言う広英の後を、紫苑が喜んでついていく。その光景に、密かにため息をつき、紫陽は再び扉を省みた。もう幼い兄妹の姿は見えない。だが、そこに、幼い頃の自分達の姿が見えている気がした。
「何をやっている? 紫陽。置いて行くぞ」
「勝手においていってよ…」
わざわざ気にかけなくても良いじゃないか、と胸中で思いながら、紫陽は自然と嘆息し、棍を握る手を強めていた。と、刹那、不意にそこに大きな手が添えられた。
「また、昔みたいに構って欲しいのか? ん?」
「誰がッ!」
皮肉めいた口調で言われ、紫陽は思わずかっとなって怒鳴り、手を払いのけて振り返るが、その瞬間、からかうような表情をした広英に顎を掴まれ、何も言えなくなってしまった。
あんな話を聞かされて、素直になれるほどまだ人間が出来ていない。
恥ずかしさ、というのもある。だが、それだけではない。嫌なのだ。
変化はともかく、いつまでたっても実戦向けの妖術でも体術でも姉に劣りながら、どれだけ修練してもその差を埋めることの出来ない自分自身が。
姉が大剣なのに、どうして自分は棍などという非力な武器なのか。
どうして、広英は自分には稽古をつけてやるとは言ってくれないのか。
それが体術の才能を認められていない気がして、姉にする嫉妬している自分がいて、広英に負の感情を抱いている自分がいて、嫌なのだ。なのに、自分ではこれ以上どうすることも出来ないうえに、広英には全てを見透かされているみたいだし、それが気に入らないというもの事実であるが。
じっとこちらを見下ろしてくる広英の視線に耐えられなくて、紫陽は思わず目をそらしていた。
と、刹那、広英はいきなり紫陽を解放すると、からかうような表情を消し、優しい笑みを浮かべながら、後ろでこちらの様子をうかがっている紫苑を親指で指差した。
「思うことがあるなら、素直に吐き出せ。俺が全部受け止めてやる。あぁやって生きてみるのも悪くない」
予想外のことを言われ、あっけにとられていた紫陽だったが、暫くして、思わず吹き出した。
「確かに、紫苑を見習うべきかもね」
「何〜? 何の話?」
さすがに話の輪に入れなくて飽きたのか、紫苑がひょこひょこ尻尾を揺らしながら近づいてくる。その様子に、紫陽はますます自分の思いを強くした。
「僕、もっと強くなるよ。僕自身の手で大事な人を守りたいから」
「賢明だな」
言うと、広英も笑みを見せ、紫陽の頭を軽く叩いてくる。普段なら子ども扱いされて怒るところだが、今日だけはそれも素直に喜ぶことが出来た。
「さぁ、行くか。紫陽、紫苑の稽古の相手が終わったら俺の碁の相手をしてくれ」
「うん、解った」
先刻までの悲観的な気持ちも過ぎ去って、今は明るい気持ちだけが心の中にあった。
現世とあの世を繋ぐこの地、風詠みの里にそびえ立つ亡国の城、黎明城がある。その守護者は紫陽と紫苑という妖狐の姉弟と、広英という青年の3人だ。彼らの仕事は、この世の終わりが来ない限り続く。
あとがき:
短編、と、呼んで良いんだろうか、と思いつつ。
懐かしくなっていろいろ探っていますと、
おそらく大学2回生ぐらいの時に書いた小説が見つかりまして。
懐かしさのあまり、上げてみようとしたのは良いものの、
なかなかの長さに挫折しかけました(爆)
ということで、ここまで読んで下さったつわものな方、ありがとうございました!!
〔2009.12.6〕
BGM by Pierrot『ハルカ…』