心の傷痕

 空の青、雲の白、土の茶色、花の赤や黄色、木々の緑。ここには、いろんな色が溢れている。いつまで見ていても飽きない。いや、飽きないと思いたかった。
 蔆紜りょううん区内にある、バスタードスラム。ここは、かつてバスタードが隔離されていた地域である。だが、それも随分前の話で、今やこの地域にもラジカルやジェネティックレイスも多く住む。
 かつては暗いイメージを持っていたらしいこの地も、これだけの色に囲まれていれば、そんな話も嘘だと思える。それほど、様々な人種が混じるこの幼稚園の環境は良かった。
「しゅうちゃん、うたうま〜い!」
 子供達の感嘆の声が次々と上がる。その言葉を受け、照れたような笑みを浮かべていたのは1人の少年だ。赤髪金瞳で、容姿としては珍しい。
「ねぇ、しゅうちゃんは、おうた、うたうひとになるの?」
 友達の1人が、柊一の側に来て言う。だが、彼はあっさり首を振った。
「うぅん、ぼくね、おとうさんみたいなけいじになるの!」
「すごーい!しゅうちゃんのおとうさん、かっこいいもんね?」
 言われ、柊一は嬉しそうに頷く。自分のことだけじゃなくて父親のことまですごいと言ってもらえることが嬉しくて。だが、
「でもさ、おまえのとうさん、ほとんどいえにいないじゃんか」
 唐突に話に入ってきたのは、このクラスで一番喧嘩っ早い奴だ。あれだけ騒々しく響いていた声が、一瞬にして止む。
 そのまま、しばしの沈黙。先に口を開いたのは柊一だった。
「だって、おとうさん、いそがしいもん」
「かあさんもいそがしいんだろ?ひとりぼっちだなぁ、おまえ」
「おねえちゃんがいるもん!」
「じゃあ、だれがにちようにゆうえんちにつれてってくれるんだよ?」
 聞かれ、ついに柊一は黙り込んでしまった。確かに、両親は土日でも家にいないことが多いし、祖父母もたまには来てくれるが毎回というわけではない。両親が仕事の間面倒を見てくれるのは、父の友人や部下だった。
「ほらみろ。やっぱり…」
 柊一が言い淀んでいるのを見て取り、喧嘩を吹っかけてきた少年が勝ち誇ろうとした瞬間、
「柊一、帰るぞ」
 その声に、一瞬の静寂が走る。柊一自身も、我が耳を疑ってしまうほどだった。低く、聞き慣れた心地良い声。それは、自分が大好きな人のものだ。
「おとうさん!」
 呼べば、笑顔で応えてくれる人がそこにいる。その事実に、柊一は思わず泣き出したい衝動に駆られた。だが、人前だからと懸命にこらえると、急いで帰り支度を整え、父のもとへ向かう。すると、優しく頭に手を置いて、言ってくれた。
「ほら、お友達に挨拶」
「あ、バイバイ、みんな!」
 父に言われて、今更気付いたように言えば、全員呆然と響一の姿を見ている。だが、柊一の言葉に我に還ったのか、みんなちゃんと挨拶を返してくれた。
 それを見て取ると、響一は息子を抱えて教室を後にする。いつもなら抱き上げられることを恥ずかしがる柊一だが、今日は何も言わず、むしろぎゅっと父の服を掴んだ。
「どうした?柊一」
 聞かれ、彼は無意識のうちにしていたことに気付く。先刻の軽い喧嘩で、今まで目をつぶってきた想いが急に見えて、寂しくなったのだ。そういう気持ちが自分の中にあるのは理解しているのだが、それをどう言葉にして良いか解らず、少し悩んだ末、結局彼は別の言葉を紡ぎ出した。
「んとね、せんせいがね、おとうさんのこと、かっこいいねっていってたの。きゃあきゃあゆってた」
「それで、お父さんがとられないように護ってくれてンのか?」
 息子の言葉に苦笑じみた笑みを漏らしながら、響一。だが、それがどこか嬉しそうなものに感じられたから、柊一も嬉しくなって、笑顔で頷く。
「そっかぁ。そんなに言ってくれてるんだったら、今度ちゃんと先生とお話しないとな」
「そんなことしたら、おかあさんにいいつけてやる」
「…やめてくれ」
 柊一の言葉に、父は心底嫌そうな表情を浮かべる。だが、次の息子の言葉にはさすがに表情を変えた。
「おとうさんがうきわ・・・するーってゆったら、おかあさんおこっちゃうね?」
「それ、浮気のことか?お前、そんな言葉どこで覚えた?」
「ひみつー♪」
 顔を覗き込むようにして聞かれ、柊一は口に手を当てて笑顔を返す。すると、響一は息子を高く持ち上げた。
「こーら、そんなこと言う奴には、母さんのご飯食べさせてやらないぞ!」
「えっ、きょうはおかあさんもかえってくるの?」
 たかいたかいしてもらっていることを単純に喜んでいた柊一だったが、父の言葉を聞きとめて問う。父が幼稚園に迎えに来てくれることも珍しいが、母が家にいてくれることも最近はなく、両親が揃うことなどもっと珍しい。それが嬉しくて諸手を上げれば、父が慌てた声を出した。
「こら、危ないだろ?もうちょっとで落とすところだった」
「へーきだよ、おとうさんがいるもん」
 言って、すりよるようにすれば、父が優しく頭を撫でてくれる。父親がそこにいるということを、改めて実感した。
 両親がいつもいる家では、柊一達の家の状態はおかしいのかもしれないが、柊一にとっては、寂しさは感じるものの、嫌だとは思わなかった。何より、両親が好きで、仕事をしている2人が大好きだから。
「ねぇ、おとうさん、きょうのごはんはオムライスかな?」
「さぁな。帰ってからのお楽しみだ」
 他愛もない会話をしながら家路につく夕暮れの道。それが、心から幸せだと思った。





あとがき:
久しぶりなリクエスト以外の小説の更新となりましたが、主人公幼児化しててごめんなさい(汗)
これは、かなり前に、ダークなお話を、というリクをいただいた時に書きかけてやめていたものだったのですが。
不意に子供ネタが書きたくなって、完成させました。
というか、親子の戯れですね。
まぁ、たまにはこんなネタも、ということで。
〔2005.2.6〕