道の行方
蝉の声が、うるさい程鳴り響いている。室内にいてさえそんな気がするほどの、重々しい沈黙。
誰もが、この空間を異常だと感じていた。かつてないほど、空気が緊迫している。声を発することすらためらわれるように。
そんな中、最初の一声がようやく上がった。
「ふぁぁ〜」
「この状況で何あくびしてくれてるの?」
静かすぎる声音で、告げられる。刹那、この緊張感を無視してあくびをしたものが転がった。
「こぉの暴力人間が! 余裕かまして寝てた奴の横っ腹に蹴りかますバカがどこにいるか!?」
「いるだろ、ここに」
と、これは響一。呆れ果てたような目で、眼前の息子を見ながら言った。
「嫌だと言ったところで、どうする気だ? 俺は、特捜S課に、と頼まれたんだが」
「だから、それが無謀だって言ってるんです! こんな奴と生活するなんて、冗談じゃない!」
「オレ様だって願い下げだ」
怒鳴る柊一の横で、痛みから復活したのか、吐き捨てるように、ロッキー。その失言により、彼は本日何撃か目の制裁を食らうことになるのだが。
「翠先輩、わんちゃん、何言ってるんでしょうか?」
「さぁ? でも、ロクでもないことだろうな」
騒々しくなってきたためか、パソコンで作業する手を止めて、明香莉。それに、翠も手を止め、頬杖をつきながら半眼で返した。
今彼らがもめているのは、ロッキーの処遇である。現在刑務所に身柄がある飼い主の元を離れ、彼は警察犬訓練所に向かうことになった。だが、急遽決まったことで、そのための事前訓練も必要だということで、特捜S課の誰かが一時預かることになったのである。ただ、それが議論するほどの話であるかは別として。
現在の特捜S課の構成員で、犬の言葉がわかるのは仁科親子だけだ。特に、狼のバスタードである響一が犬の言葉を理解できるのは明白である。それ故に、特捜S課の誰かが預かれと言われたということは、仁科家で預かれと言われたも同然なのだ。
「第一、うちは人がいないことは多いじゃないですか! それなのに、犬を飼うなんて無理です!」
「そうだ、そうだー」
柊一の言葉に便乗するように、寝そべって気のない様子で、ロッキー。当然、その直後にまた蹴られたわけだが。
「課長、お言葉ですが、この調子だと彼が訓練所に入る前に病院送りになると思いますよ?」
呆れ顔で柊一の方を見ながら、翠が口を挟む。それには柊一も何か言いたげに振り返ったが、明香莉の手前、言葉を呑んだ。
それから、状況を見守っている翠と明香莉、父の決定を待っている柊一、そして、いまだ収まらない痛みに悶絶しているロッキー。そんな中にありながらも、それでも響一は黙考する。
だが、そんなことをいつまでも許さないものこの状況である。それを汲み取ってか、やがて響一は重い口を開いた。
「確かに、傷だらけの状態で訓練所に送っては、預かる意味がないからな」
ため息混じりに、息子の方を見ながら、響一。その目に物言いたげな雰囲気が含まれていることに気付かないフリをして、柊一は目をそらしていたが。
その決定は、うずくまっていたロッキーにも聞こえたようだった。先刻まで悶絶していたのが嘘のように飛び上がる。
「よしっ、この際、小僧の家以外ならどこでも良い! で、オレはどこに行けば良いんだ?」
「ロッキー、あんまり滅多なことは口にしない方が良いよ?」
彼の言葉に、柊一は至極静かめの口調で話しかける。だが、その実、明香莉達に見えないところで拳が固く握られているのが見えているロッキーは、先刻までの喜びの表情をひきつらせていた。その様子に嘆息しつつ、響一は再び息子に目を向ける。
「だが、彼の言うことももっともだぞ? どこに預からせるつもりだ? 東麻の家は、犬語が話せる人がいないだろう」
「そうですね。みんなジェネティックレイスですから。となると…」
「え…?」
自然と全員の視線が注がれていることを知り、明香莉が驚いたような声を上げる。
それから、暫くの沈黙。
「え、わ、私ですか!?」
「他にいないだろ? 明香莉の家、高斗もいるし、一応警察関係者だし」
「神條はS課の構成員ではないがな」
笑顔で告げる柊一の言葉に、響一が半眼で突っ込む。それを聞きとめ、柊一は再び父に向き直った。
「課長、これは切実な問題ですよ? ずっと犬を飼いたがってた母さんがいる家にこいつをつれて帰ったら、どうなると思います?」
びしっと人差し指を突き立てて、柊一。その言葉に、最初こそ静かに聞いていた響一だったが、息子の言葉が終わるや否や、席を立った。
「……義高に連絡してくる。清宮、ついてこい」
「え、あ、はい」
唐突に名前を呼ばれ、多少戸惑った様子ではあったが、それでも明香莉は素直に響一の後をついていく。その後ろで、柊一が声を押し殺して笑っているとも知らずに。
その様子に、翠はため息をつきながら半眼で言ってきた。
「ほんと、自分の都合の良いことになると悪知恵が働くな?」
「母さんに弱い親父が悪りぃんだよ」
不敵な笑みを浮かべ、柊一は課長のデスクにもたれかかる。今ではそんな片鱗すら見せない父ですら、あっさりロッキーに由香を取られる危険性を感じたのだから、万が一今の電話で義高が断っても、香織を弱みにして高斗にお願いできる、などと思っている柊一である。
「ふっ、これでオレの人生も安泰だな」
もう処遇が決まった気でいるのか、完全に落ち着いた様子で、ロッキーが呟く。だが、そこに水を差すように、柊一が見下ろす形のまま、不穏な台詞を言い放った。
「おい、まだ安心するのは早いぜ?」
「へ…? それって…」
きょとんとして、顔をあげたロッキーだったが、皆まで言う前に明香莉と響一が部屋に戻ってきた。
「お父さんもお兄ちゃんも良いって! 良かったね、わんちゃん! これから、短い間だけどよろしくね?」
言って、明香莉はロッキーの方に駆け寄り、嬉しさに彼を抱き寄せる。ロッキーにとっては、自分の処遇が良い方向に転んだ、記念すべき瞬間のはずだったのだが、
「ぎゃあああ!」
「そう? わんちゃんも嬉しい?」
その悲鳴は犬の鳴き声に変わるものの、当然犬語を理解できない明香莉には通じない。
「あ、明香莉、後ろから抱きついたら、首、絞めちゃうから」
「あ、ご、ごめんなさい!」
さすがに、言葉が通じなくともロッキーの様子で察したのだろう。翠が苦笑まじりに指摘してくる。それには慌ててロッキーを開放した明香莉だったが、締められていた方はたまったものではない。
「貴様らも傍観してないでこの女を止めろ! 危うく三途の川が見えかけたじゃねェか!」
「おもしろかったんだから、仕方ないだろ? それに、言ったよね? まだ安心するな、って」
怒鳴るロッキーに目線を合わせ、柊一は大人しい少年のような口調で言う。その言葉に、明香莉は訳が解らないといったような表情をしていたが、ロッキーにはそれだけで自分の未来が解ったようだ。
本当の恐怖は、これからだ、と。
あとがき:
何とかギリギリ更新できました。
ということで、中編も片付いて久しぶりの短めのものを。
これは、友達にお礼にと捧げたものです。
ロッキーの話を、ということで。
ほんと、ゲスト扱いだったはずが、ここまで出てきてしまったロッキー。
急遽警察犬訓練所に行くことになったロッキーですが、
現実でも、急遽レギュラー入りが決まった瞬間でした。
〔2005.10.29〕
BGM by Janne Da Arc『GUNS』