past かけがえのない宝物

 警視庁刑事部捜査一課。殺人、傷害、強盗などの事件を担当する部署である。
 そこで、30代半ばほどの男性が1人、ファイルの整理をしていた。捜査一課の刑事、大鎌悟である。
「ん?」
「どうかしたんですか?警部」
 ファイルの中身を確信していた悟が怪訝な声を上げたのを聞き、近くにいた若手の刑事が聞いてくる。それに適当に頷いてみせ、もう一度確認してから、言う。
「この間の調書、まだもらっていなかったか?」
「あ、さっき、仁科課長から連絡がありましたよ。出来上がってるから、取りに来い、とのことで」
「あいつは〜」
 若手刑事の言葉を聞き、悟は呆れ顔で呟く。相手の人物をよく知っているからこそ、こういう展開は予測できていたものの、本当に言われると苛立ちさえ覚えてくる。
「俺が取ってきましょうか?」
 その胸中に気付いてか、隣で苦笑を浮かべながら若手刑事が言ってくるが、それを丁重に断ってから、悟は席を立った。
「いや、取りに行ったついでに、文句の1つでも言ってやるよ」
「じゃあ、整理、俺がやっておきますね」
 言って、彼は今まで悟が見ていたファイルを集め、手にする。と、不意に、悟はあることに気付いた。
「お前、結婚したのか?」
 左手薬指に光るリングを見つけ、悟。すると、若手刑事は、照れ笑いを浮かべてみせる。
「あ、はい。妻のお腹が目立たないうちに、と思いまして」
「奥さん、おめでたか?」
「そうなんです、実は。でも、俺、刑事になったばっかで、正直、妻と子供を養っていけるのかとか、色々不安だったんですけど、今は、大丈夫です。あいつも体がつらいはずだし、俺が支えていかないとって思えるんで」
 強い意思を持って言う彼の言葉に、悟は頷いてみせ、自分の後輩の肩を軽く叩いた。
「じゃあ、今まで以上に頑張らないとな」
「はい!」
 威勢の良い返事をして頭を下げ、彼は自分の机にファイルを持っていく。その姿を見送ってから、悟はようやく目的地へと足を向けた。
――妻と子を養っていけるか不安だった、か。
 1人胸中で呟いて、悟は不意にある人物の姿を思い浮かべた。今まさに会いに行こうとしている人物のことだ。
――あいつも、あの時、不安だったのか…?
 その当時は、自信過剰で、他人に頼ることを知らないような性格だと思っていたが、案外彼も同じことを考えていたのかもしれない。
 それは、20年も前の話である。


 夜の繁華街は、嫌になるほど人通りが多い。だが、だからこその"繁華街"だ。こればかりは、どれだけ言っても始まらない。
 そして、どうにもなりそうもないことがもう1つ。
「はぁ…」
 その繁華街を歩きながら、一人の青年がため息をつく。
 年の頃は17歳ほど、黒髪黒瞳で、その顔は疲れに歪んでいる。両手には、ビールやらチューハイやらの入った袋があった。
――ったく、自分で買って来いってンだ!わざわざ人を電話で呼びつけておいて、用事はそれか!
 胸中で悪態をつきながらも、頼みはちゃんと聞いてやるのが彼の人の良さだ。
 彼の携帯電話が鳴ったのは、つい数十分前だ。
 友人からだったので、仕事中だったので、一瞬ためらわれたが、一応電話に出てみる。すると、
『おい、悟、今暇か?』
『暇なわけあるか。今仕事中で…』
『あぁ、そうか、暇か。じゃあ、持てるだけ酒買いこんで、10分以内にうちに来い』
『え?あ、おい…ッ!』
 反論する間もなく、通話は一方的に切られていた。
 それから電話をかけ直したのだが、呼び出し音はするものの、電話に出る気配がない。なので、極力早めに仕事を終わらせ、こうして言いつけ通り、酒を買って出向いてやっているというわけだ。
 友人の住むマンションの前に着き、エントランスで部屋番号を押してコールする。すると、カメラで顔を確認したのか、返答もないまま自動ドアが開く。勝手に上がれということらしい。
「ったく、あいつは…」
 呆れ半分、怒り半分ながら、悟はエレベーターに乗り込み、8階のボタンを押す。
 そのままエレベーターがゆっくりと上昇を始め、数秒で目的の階に着く。エレベーターを降り、右に出て暫く行くと、目指す部屋があった。
     ピンポーン
 呼び鈴が澄んだ音を響かせる。そこで待つこと数秒。
"開いてる。上がれ"
 ぶっきらぼうな返事が返ってくる。それに軽い疲れを感じながらも、悟はドアを開けた。
 4LDKもあるこの部屋は、はっきり言って、いつ来てもすごいと思う。そして、この部屋の住人も、かなりの人物だった。
 玄関からまっすぐ行ったところにあるリビングに、その人物はいた。部屋のほぼ中央に置かれたソファの上で、悠々と煙草をふかしている。
 年の頃は17歳ほど、茶髪に緑瞳で、容姿端麗という言葉がぴったりと合う。細く長い手足に、けだるげな表情を浮かべて煙草を吸う姿は、綺麗としか表現のしようがないほどで、正直同じ男でも見とれてしまう。
「響一、ほら、ちゃんと持ってきてやったぞ?」
 言って、提げていた袋をテーブルの上に置く。それで初めて悟の存在に気付いたように、彼、響一がゆっくりとこちらを振り向く。顔が微かに赤いのは、机の下に5つほど転がっているビールの空き缶のせいだろう。しかも、どこかあどけない表情を浮かべているその姿に、心奪われる女が何人いることか。
「あぁ、悟か…」
 呟くように言って、響一がふっと笑う。それがあんまりに優しげだったので、礼でも言いたくなったのかと思った矢先、
「遅せェッ!てめっ、いつまでこの俺を待たせる気だ!俺、確か10分っつったよな?寛大に多めに時間みてやったってのに、それでも遅れてくるってどういうことだ?あぁ!?」
 手を銃の形にし、人差し指を悟の顎に突きつけながら、据わりきった目で、響一。
 だが、これは酒に酔っているからではない。彼がビール5缶でつぶれるわけがないことを悟はよく知っている。つまり、これが響一の素の性格なのだ。
「人間、顔が良いと性格が歪むって言うけど、ほんとなんだな…」
「…何か言ったか?」
 乾いた笑いを浮かべて言う悟だったが、すかさずくりだされた響一の蹴りが見事に腹に決まり、次の瞬間には声なき叫び声をあげて、その場に崩れ落ちた。
 その姿を見、響一は満足げに煙草の火を消してから、ビールの缶を取り出し、プルトップを引く。そして、ビールを一口飲んだ瞬間、
「お前、今マジに蹴りいれたな…?」
「悪りぃな。足が長すぎて、うまくコントロールできねェんだよ」
 悟の呻き声に、響一は平然と答えてくる。ただ、もし彼が本気で蹴っていたのなら、おそらく壁に背中を叩きつけられて喋ることすらままならなかっただろうから、その辺りはちゃんと加減しているのだろうが。
 それでも、かなりの激痛が走ったことには変わりない。悟は何とか身体を起こすと、恨めしげに響一を睨んで言ってやる。
「お前、無茶苦茶言って俺を呼び出しといて、よくもこんなことができるな?」
「俺の力になるって言ったの、どこのどいつだ?友達が困ってる時には助けるもんだろ?」
「酒がきれただけだろうが!第一、未成年が酒食らってンじゃねェよ!」
「じゃあ、てめェがさげてるそれは何だよ?何だかんだ言って、俺には甘いよなぁ、悟は」
 反論できないのを知って、響一が言ってくる。
 確かに、言い返せないのは事実だ。だが、それは決して彼を甘やかすためではなく、買って来なければ「とっとと買って来い!」と蹴り飛ばされた挙句、家を追い出されるのが目に見えているからだ。だからといってそのまま帰ろうものなら、電話をかけて催促してくる。だからこそ、こうやって買ってきてやったのだが、これも、響一に甘いというのかもしれない。
「ったく、こんな無茶苦茶な奴が刑事だなんて、世の中間違ってるよ」
「俺が好きでやってるんじゃねェし」
 言いながら、響一はかなりご機嫌でビールのプルトップを引く。
 彼、仁科響一は、これでも警視庁刑事部特別捜査スプレス課――通称特捜S課に所属する刑事、スプレスだ。
 特捜S課とは、俗に言う超人類――遺伝子改良された人間、ジェネティックレイスや、動物遺伝子を組み込まれた人間、バスタード――の起こす犯罪を専門に扱うスプレスが所属する部署だ。
 響一がスプレスになったのは、中学3年生の時、彼とあと2人の友人が中心となって結成したグループが警察のパトカーに追われている時に事故を起こし、入院先の病院で頼み込まれたからだ。その人物とは、響一を逮捕した張本人、惣波廉である。スカウトされた理由は、逃げる時の動きが素晴らしかったかららしい。
 だが、刑事である父親が嫌で家出していた響一だ。簡単に折れるはずもない。それは廉の方も同じで、毎日病院に通いつめ、説得を続けた。
 そして、そのまま膠着状態が2週間ほど続いた頃、
『もういい加減うぜェしな。良いぜ、あんたの望みどおりになってやらぁ。ただし、俺に住む場所よこしな』
 あくまで自分優位のような台詞で言う響一の言葉に、廉はその場で承諾した。その辺りは、さすがに、大企業、惣波ファイナンシャルグループの御曹司。彼にとって、響一のこの頼みは些細なものなのだろう。
 そして、この広すぎる部屋を入手し、今に至る。
「んで、わざわざ説教しに来たの?優秀なけーじさん?」
「…お前、喧嘩売ってンのか?」
 響一の言い草に、悟は思わず拳を固く握る。
 彼も、響一の後を追うように刑事になっていた。ただし、彼は特別な能力は持たない人間、ラジカルであったために、配属されたのは捜査一課であったが。
 その後、まだ高校生ということもあって、悟がほとんど雑務に追われていた頃、響一は既に現場に出ていたので、検挙率は明らかに響一の方が良い。仕事嫌いの響一が、かなり前から刑事を目指していた悟よりも仕事熱心のように見えるのは、ひとえに廉が響一の扱いに慣れているおかげかもしれない。
「で、お前は、わざわざ嫌味を言うために俺を…」
 なかなか本題に入らないことに焦れて、悟が無理やり怒りを抑えこみながら言いかけるが、響一の頬の辺りがわずかに赤くはれているのに気付いて、言葉を止める。
「お前、また喧嘩でもしたのか?」
「またって何だよ?今はやってねェだろ?つーか、この俺が雑魚相手に傷なんか負うと思うか?」
「…だな」
 余裕たっぷりに言われ、悟は苦笑しながらその場に座り込み、自分用に買ってきておいたジュースの缶を取り出した。
 かつては向かうところ敵なしで、その冷ややかな美しさから"氷の羅刹"と恐れられた男だ。今まで犯人と格闘した時も、かすり傷以外は負ったことのない彼にとって、確かに喧嘩で殴られて、という可能性は皆無だろう。
「だったら、どうしたんだよ?」
「…由香の親父に殴られた」
 悟の問いに、響一は淡々とした口調で返した。それには、悟も内心で驚きの声を上げてしまう。
 由香とは、響一の恋人の名だ。彼が事故で入院した際に担当の看護師だったことが縁で知り合って、付き合い始めた。気が果てしなく短い響一とおっとりした性格の由香がうまくいくものだろうかと密かに心配していた悟だったが、今も続いているところを見ると、うまくいっているらしい。
 それに、かつては髪を金色に染めていた響一も、由香の父親に認めてもらうために髪の色を戻したと聞く。それからは、何とか平穏にやっていたように見えたのだが、
「お前、何しに速水の家に行ったんだ?」
 気になって聞いてみたが、響一は答えない。暫く手にしていた缶ビールを無言で眺めていたが、やがて残っていたビールを飲みほすと、すがすがしいほどの笑顔を見せ、言った。
「悟、俺、結婚するわ」
「そうか……って、えぇ!?」
 最初は頷きかけたが、その突拍子もない台詞に、さすがの悟も大声を上げる。すると、響一は、次のビールの缶を開けながら苦笑した。
「由香に子供が出来ちゃってさ。だから、そのことで親父さんに挨拶に行ったら、殴られたってわけ。責任取れるのかってね。でも、俺もあいつと遊びで付き合ってたわけじゃねェから、ちゃんと頭下げてきたよ。ンで、許してもらってきた」
 言葉の後半は、若干照れ笑いのような表情を浮かべて、響一。だが、悟は、彼にかけてやるべき言葉が出てこなかった。
 本当なら、級友として、学校はどうするのか、とか、ちゃんと養っていけるのか、とか、現実的なことをいくつも思いついたのだが、響一の顔を見ていると、そんな言葉など吹っ飛んでいた。
 悟も見たことがないのだ、響一のこんな表情は。今までは無表情で、人との距離を置いていた彼が、由香と出会ってから見せるようになった、優しい顔。それを見ているだけで、不安などかき消されていく。
「幸せにしてやれよ。由香さんと、生まれてくる子供」
 響一には、この言葉だけで十分だろう。心配するまでもないと、自然と笑みを浮かべて言うことが出来る。
 すると、響一も笑顔を見せ、煙草に火をつけながら言ってきた。
「たり前だ。誰に向かってンなふざけたことぬかしてンだよ?」
「お前な…」
 彼の物言いに、悟は思わず頭を抱えて言うと、一瞬の間があってから、響一は声を上げて笑い出す。悟も、つられて笑い出した。
 それから、彼らは、2時間ほど一緒に飲みながら、くだらない話をして過ごしたのだった。


 あれから18年もの時が過ぎた今、あの後輩の言葉で、響一が自分を呼び出した理由が解った気がする。
 あの時、彼は誰かに背中を押して欲しかったのだ。働いているとはいえ、高校に通いながら、身重の妻を養い、やがて生まれてくる子供の面倒も見ることになるだろう。その全てを支えられるかという不安から脱するために、悟をわざわざ呼びつけたのだ。
――ほんとに、素直じゃないな。
 胸中で苦笑しながら、悟は特捜S課のドアを開けた。
 今も、そこには彼がいる。絶対に手に入れると公言していた課長の座を手に入れ、2児の父となり、昔よりかなり落ち着いて。
「響…、仁科課長、先日の一件で…」
 言いかけて、ドアを開けた瞬間、彼はその場で固まってしまう。
 響一が座っているはずの課長のデスクに、長い金髪の少年が、どこか苛立たしげな表情で煙草をふかしているのだ。それは、20年前の響一の姿を彷彿とさせた。
「どうしたんですか?大鎌警部」
 言われ、彼は我に還った。見上げながら言ってきたのは、特捜S課の警視正、東麻翠である。だが、翠は、悟の目線を追い、気付いたのか、あぁと頷きながら言ってきた。
「あれ、柊一ですよ。課長がいないのをいいことにサボってるんです。ぼくの前で煙草を吸うなって言ったら、拗ねて課長の席に行っちゃって」
「だぁれが拗ねてるって?」
 翠の言葉に徐々に機嫌が悪くなるのは目に見えて解っていたが、とうとう耐えられなくなってきたのか、机に足を乗せたまま、柊一が苛立たしげな口調で言ってくる。すると、翠は呆れ顔で言い返した。
「ほんとのことだろ?『あぁ、もう、じゃあ良いよ!』なんて、ちっちゃい子供みたい」
「ンだと!」
「あ〜、柊一、そのかつら、どうしたんだ?」
 このまま放っておけば喧嘩に発展しそうだったので、悟は慌てて話題を変える。それに気付いて、最初こそは仏頂面を作っていた柊一だったが、すぐに答えてくる。
「捜査で、ちょっとな。ンで、おもしろかったから借りてきた」
「自分から女装するとか、珍しいこと言ってたんだよね?」
「変な言い方してンじゃねェよ!それじゃ、俺が女装したかったみたいじゃねェか!」
「違うの…?」
 本当にそう思っているはずはないのだが、あっさり言ってくる翠の言葉に、柊一が怒りを募らせるのがはっきり解る。この2人のこういうやりとりを止めるのは、なかなか簡単なことではないことを悟もよく解っている。
「じゃあ、何で女装する気になったんだ?」
 再び話題を変えて言ってやると、柊一は何故か不敵な笑みを見せてくる。
「おっちゃんがここに来るって言ってたから。親父かと思ってびっくりしたろ?」
 その言葉に、悟は思わず苦笑を浮かべる。ついさっきまで昔のことを思い出していたところにこの姿だ。驚かない方が無理である。
「まぁ、確かにな。ただ、父親の方が年相応の顔をしていたし、背も高かったが」
「あぁ!?」
 背の低さと童顔であることを柊一が気にしているのを知ってのこの台詞だ。当然、彼が黙っているはずもなかったが、翠が手にしていた本を投げつけ、それが柊一のおでこに、しかも角が見事にヒットすると、そのまま沈黙する。
 その姿を見てから、翠は何事もなかったように振り向いて、悟に笑顔を見せながら言ってきた。
「警部、これ、取りに来たんですよね?以前頼まれていた、仔猫の証言をまとめたものです」
「おいこら!てめェ、人に本ぶつけといて、何にこやかに会話してやがンだ!」
 平然とした翠の言葉に、柊一が顔を押さえながら怒鳴りつけてくる。その言いようには翠も黙ってはおらず、結局そのまま口喧嘩が始まってしまう。
 その見慣れた光景に、悟は思わず苦笑していたのだが、
「昔の俺達を見ているみたい、か?」
 唐突に聞こえてきた声に振り返ってみれば、響一がドアにもたれかかり、ため息をつく。それに、頷いてみせると、悟は再び柊一と翠に視線を戻す。
 その姿に、20年前の自分達の姿が重なって見えた気がした。





あとがき:
ようやくもってこれました。響一&悟の過去話です。
最近思いっきり主人公の比率が減っている気がするのですが、その辺りもご愛嬌で。
とりあえず、今の2人と過去の2人を比較する形にしたかったので、先にdeceitの方をアップして、それから今回、pastをアップしました。
まぁ、性格破綻者が書きたかったのもあります。柊一でもたいがいですが、父親はさらにその上を行くと。
柊一の設定が、元不良のなりあがり刑事、という形にした時に、かえるの子はかえるだという設定で良いと思いついたのが発端で。
で、思い切りぶち壊しました。
ちなみに、仁科家は逆遺伝というありえない事態が成立しております。
柊一が童顔だから、母親を童顔にしよう、とか、上のもそうですね。あと、祖父の設定も初めはなかったんですが、今の柊一に至ったのは、父親の前にとんでもない祖父がいたからだ、というのもそうです。
現実では決してありえないことも、小説ではありなんです。
〔2004.4.18〕