pupil 閉じこめた心
小気味良い音が響く。規則正しく、危なげもなく、包丁で刻む音――。それが、その人物の料理のうまさを物語っている。
その音を聞きながら、1人の少年がパソコンのキーボードを叩いていた。
年の頃14、5歳ほど、赤髪金瞳で、幼さの残る顔立ちである。
彼がやっているのは、地理のレポートだ。他にも化学や数学、国語のレポートもあったのだが、それらは案外すぐに終わった。これだけがてこずっているのだ。
――各国の高速の名前?ンなもん知るかよ。
問題を見るや、胸中で悪態をつき、彼は頬杖をつきながら嘆息する。それでも、プログラムの中から教科書を開き、答えを探そうとしたが、
「傷つくことから〜逃げたりしないで〜」
ゴッ
唐突に聞こえてきた歌声に、彼は手を滑らせ、額をパソコンの角にぶつけた。
「ッ〜〜〜!」
あまりの痛みに声なき声を上げながら、彼は額を押さえた。恨みがましい瞳で振り返れば、エメラルドグリーンの髪の人物がいまだご機嫌で歌っている姿が見え、怒りが沸き起こってくる。
「あ〜き〜ら〜!その微妙にズレた音程、どうにかなんねェのか!」
怒鳴りつけてやると、少しの間をおき、その人物は涙を拭うような仕草を見せる。それには、さすがに彼も焦った。
「あ、翠…?」
パコーン
彼が恐る恐る声をかけるが早いか、キッチンからバターの空箱が飛んできて、見事に先刻ぶつけた額に直撃した。
「ッてェな!何すンだよ!」
投げられた空箱を投げ返しながら怒鳴ると、翠はその箱を受け止めながら反論してくる。
「うるさいなッ!いっつも余計なこと言いすぎなんだよ、バカ柊一!自分だって、絵が破滅的に下手なくせして!」
「破滅的言うな!だいたいなぁ…」
翠の言葉に、思い切り机を叩いて怒鳴りつける柊一だったが、翠の表情に気付いて、言葉を止める。怒っているのは言葉を聞けば解るが、その澄んだ青瞳には涙が溢れていた。
その様子には、さすがに罪悪感に襲われ、かけるべき言葉を探していたのだが、不意にあることに気付く。
「…お前、タマネギ切ってたろ?」
「そうだよっ!」
柊一の問いに、苛立った口調で、翠。それを聞くや、彼はソファに座り直して安堵のため息をついた。だが、それも束の間で、
「そんなこと言うんだったら、もう食べさせてやらないからなッ!」
「うわッ、謝るから、それだけはやめてくれ!めちゃめちゃ腹減ってンだって!」
再びタマネギと格闘を始めた翠の言葉に、柊一は本気で頼み込む。すると、それで気が済んだのか、「よろしい」と明るい声が返ってくる。料理をしている時の翠に逆らってはいけないことを、柊一は切実に感じていた。
この2人、仁科柊一と東麻翠は、こう見えても警視庁刑事部特別捜査スプレス課――通称特捜S課の刑事、スプレスである。
スプレスとは、俗に言う超人類――遺伝子改良を施された人間、ジェネティクレイスや、動物遺伝子により特別な力を持つ人間、バスタード――が起こす犯罪を専門に扱う刑事で、彼らは、満10歳以上 の子供にその能力に見合った職に就く権利を与える、特別労働法でスプレスになった。
元々人員の少ない部署ではあるのだが、仕事ということで、学校よりも優先されがちになり、出席日数が足りなくなってくる。しかも、特別労働法の適用により、それ相応の学歴を取得しなければならないので、ギリギリの単位でも卒業しなければならないのだ。だから、その単位を稼ぐため、たいてい2人でレポートをやっている。
今回もそうで、連休を利用して、柊一の家でレポート課題をしていたのだが、昼飯時になり、キリ良く終えた翠が昼食を作ると言ってくれたのだ。柊一の方はまだ途中だったし、翠の方が料理がうまいので、その申し出はありがたかったのだが、
――料理してる時、たまに鼻唄歌う癖あるの忘れてた…。
内心で苦笑しながら、柊一は再び答えを書き込み始めた。
翠の歌唱力は、それほどひどくもない。音楽の成績も、4か3といったところらしい。だが、それは伴奏があるからだ。アカペラとなると、ところどころ音程がズレる。いっそ、めちゃめちゃ音痴な方がマシではないかというほどに。それは本人も気にしているらしく、指摘するとよく口論に発展するが、思わず何か言いたくなってしまうのだ。
ただ、翠の気持ちも解る。柊一自身、知らず知らずのうちに口ずさんでいることもあるから。それでも、思わず指摘してしまうのは…
「しゅ〜う〜い〜ち〜ッ!」
背後からそれと解る殺気を感じ、柊一は我に還る。見れば、まだ若干泣き顔の翠が、恨めしげな表情でこちらを見ていた。
「お前、嫌味かッ!お前が歌うまいのは知ってるんだから、わざわざ歌わなくても良いだろッ!」
翠に指摘され、彼はようやく先刻翠が歌っていた歌を口ずさんでいたことを自覚する。音程が正確なのは、ひとえに姉の弾くピアノを側で聞いていたからなのだが。
「別に悪気があってやってンじゃねェだろ!つーか、お前は絵うまいじゃんか?」
柊一が反論すると、当然翠も黙っているわけがなく、今にも包丁が飛んできそうな勢いで叫ぶ。
「それとこれとは話が別だ!」
「だからって、何も泣くことねェだろ?」
「たまねぎのせいだよ、バカッ!」
柊一の嫌味に、翠は涙を拭いながら反論する。その姿に、勿論説得力などかけらもなかったが。
たまねぎのせいだというのは、柊一も充分解っている。この意地っ張りで負けず嫌いな翠が、ほとんど人前で泣かないことも。だからこそ、その姿がやけにかわいく見えてくる。
「なぁ、普段強がってる奴が泣いてると、そそられねェ?」
「はぁ?」
いたずらを思いついた子供のような笑みを浮かべて言ってやると、案の定、翠は呆れたような表情を作る。どうせ、またしょうもないことを言っているなどと思っているのだろうと考えていると、翠がため息まじりに言ってきた。
「自分だって滅多に泣かないだろ?」
「自分にそそるとか使わねェし…」
翠の妙な指摘に、柊一は思わず半眼で呟く。本当は違うところに気付いてほしかったのだが、それはさすがに翠には無理難題というところか。
半ば諦めて、柊一が再びソファにもたれかかろうとすると、
「ねぇ、そそられるってどういう意味?」
「へ…?」
問われ、彼は思わず頓狂な声を上げてしまう。これも忘れていたが、翠にはこういう単語の知識がほとんどない。
一瞬、どう答えたら良いものかと迷った柊一だったが、すぐにあることを思いつき、笑ってみせ、ソファから立ち上がる。
「柊一…?」
暫くは黙ってたまねぎとご飯を混ぜて炒めていた翠だったが、なかなか返事がないので、怪訝な表情で聞いてくる。だが、それを無視して、柊一は軽く翠を引きよせた。
「こういうこと♪」
「ッ…!」
柊一が楽しげに言うが早いか、翠の肘鉄が見事に彼の鳩尾に決まっていた。そのまま、柊一は腹を抱えてうずくまる。
「てめ…ッ、今、本気で入れたな…?」
多少涙目になって、咳込みながら、柊一。すると、翠は、たまねぎのせいで若干迫力に欠ける顔で怒鳴りつけてくる。
「柊一が余計なことするからだろッ!お前の頭の中にはそんなことしかないのか!」
「ねェな」
翠の言葉にあっさり答えてやると、刹那、翠は怒りの色を強くして包丁を手に取ってくる。
「うわぁっ、待て!冗談だって!」
さすがに、それには慌てた様子で、柊一。すると、翠は投げつけるような勢いで包丁を置いて、荒っぽくトマトソースをフライパンに流す。
「今度やったら、本気で怒るからな!」
「はいはい」
怒鳴りつけてくる翠の言葉に適当な返事をして、柊一は思わず笑みを浮かべる。
いつだって、翠は柊一の言葉や行動に過剰な反応を見せる。音程のことでからかう時も、こうやってふざけたふうに抱きついてみても。
普段は照れ臭くなるような台詞も平気で言える翠だが、言われ慣れてはいないらしく、だからこそ、柊一の言動に、滅多に見せない表情を見せてくれる。それが見たくて、つい軽口も叩いてしまうのだ。その真意に、きっと翠は気付いていないだろうと思うが。
「何にやけた顔してるんだ?変態」
「お前なぁ…」
さすがにその言われようには反論しようとした柊一だったが、机の上に置かれたものを見るや、その言葉を飲み込む。そこには、海苔の巻かれたおにぎりがあった。
「めちゃめちゃお腹空いてるんだろ?もうちょっとかかるから、それでも食べて待っててよ」
まだ怒っているのか、それともあんなことをされた後で少し照れているのか、とにかく複雑な表情を浮かべて、翠。
先刻まではあれほど怒っていたというのに、こうやって気配りも出来るのが翠のすごいところだ。その優しさが心苦しさを生むこともあるが、今は純粋に喜ぶことが出来る。
「なぁ、翠?」
「ん?」
呼びかけると、翠は生卵を菜箸で混ぜながら返事をする。今は至って普通の口調だが、次の言葉を言えばまた怒られるだろうか。
そんなことを考えながら、柊一は笑みを浮かべ、言った。
「俺のこと、すき?」
一瞬の間。
その直後聞こえてきたのは、怒鳴り声などではなく、吹き出す声だった。
「何今更なこと聞いてるんだよ?ぼくは、嫌いな奴と何年も一緒にいたり、こうやって一緒に食事できるほど、器用な奴じゃないけど?」
至極当然のように言ってくる翠の言葉に、今度は柊一の方が吹き出していた。
「そらそーだ。俺にも、ンな器用なことできねェわ」
言いながら笑っていると、翠には訳が解らないという顔をされたが、今はまだ本当の気持ちを知らせないでおく。
すごく大事だと思うから、この想いだけは、心の中に閉じ込めて。
あとがき:
以前日記の中でやっていた小ネタです。それのロングバージョンというか、ちゃんと文章に起こしたものですね。
書いているうちに楽しくなって、若干発展した話になっています。
話の内容はタイトルそのままに、柊一が想いを閉じ込めていると。
ギャグ要素は満載ですが、密かに切ない話なんですよね。ひしひしと想いがあるものの、伝えることは出来なくて。
ちなみに、翠の歌っている部分、最後まで歌詞を載せようか音符ですませようか迷ったのですが、結局歌詞を載せてしまいました。
突発的に思いついたので、ありふれたフレーズですが。
もう1つついでに。
今翠が作っているもの、一応オムライスのつもりで。たまねぎを刻む料理で、真っ先に思いついたのがこれだったんです。
気付いてくださった方、いるでしょうか?
〔2004.5.3〕