reminiscence 夜明け前の空
朝の日差しがやけにまぶしく感じられる。
こんな風に感じられるようになったのはごく最近だというのが、自分でも信じられない。
今までは、気持ち的な憂鬱さが手伝って、どうしても空のことなど考えている余裕なんかなかった。だが、少しは紛らわせる術を知ったためか、今は雲の形まで見られる。
「きょうはこんないいてんきなのに、みんな、おしごとたいへんだね?」
本当は雲の形を見ながら、アイスクリームが食べたいなどと思っていたのだが、自分が遊びに来ているわけではないと解っているので、そのことは口には出して言わないでおく。ただ、抑えていても目で伝わったみたいで――
「どうせ、雲の形で何か食べたい、とか思ってたんじゃないの?」
「ぼ、ぼく、そんなことかんがえてないよっ!」
あっさりと図星をつかれ、言われた人物は慌てて首を振って、窓際から離れ、自分の席に戻った。
その幼い様子に、茶化した女性はいたずらっぽい笑みを見せていたが。
席に戻った子供の方は、年の頃5歳、横だけが長いエメラルドグリーンの髪に青瞳、年齢に即して子供っぽく、Tシャツにジーパンで、ぶかぶかの上着を無理して着込んでいる感じだ。
女性の方は、年の頃16歳、少し癖のある黒髪に紫瞳で、服装は大体隣の席に座った子供と同じだ。
ちなみに、2人が着ている上着は、警視庁刑事部、特別捜査スプレス課――通称特捜S課の制服である。
特捜S課とは、約40年前に起こったヒトゲノム解析計画の第二段階において、様々な遺伝子改良を加えられた超人類――悪性遺伝子を取り除き、身体的欠点を取り除くことに成功した人間、ジェネティックレイスや、動物遺伝子を体内に組み込むことで、その特性を発揮できる人間、バスタードを指す――が生み出され、それによって、遺伝子改良が加えられていない人間、ラジカルが彼らの力に対抗できなくなったために、同じ超人類だけが超人類の起こす犯罪に対抗できるということで、刑事部にこうして新たな課が作られ、そこに属する刑事をスプレスというようになった。
もちろん、ここにいる者達も超人類で、まずこの特捜S課の課長である、警視正の仁科響一はバスタードであり、しっかり者で男勝りな黒髪の女性警視の神條美咲はジェネティックレイスであり、ここにはいないが、和歌山から単身上京してきて警視庁に入ったもう1人の警視、三森有哉もジェネティックレイスであり、暖かな優しさがある美しさを持った美咲とは対照的に、中学生ながら鋭利な刃物のような美しさを備えた少女、警部補の夏南倫子はバスタードである。ただ、ここにいる子供、東麻翠は例外だった。
翠は、ヒトゲノム解析計画第二段階において、それに関わっていた父親に被験体にされ、ラジカルとして生まれた子供の遺伝子をいじって超人類にしようという実験で失敗、ジェネティックレイスになったものの、性別を失った。
その時のショックか、副作用か、翠は時々意識を失ったり熱を出したりする身体になり、それ以前の記憶も失った。
また、それが他の子供にも様々に身体的、精神的苦痛を与えたとして、生後の遺伝子操作を"トリッキー"という法律で前面に禁止して以降、翠の父親はそれから逃げるように蒸発、母親も翠が被験者になる少し前に事故で亡くなっていて、親類にも戸籍などの公共機関などのデータ上にも真相は残っていなかった。
だから、被害者として捜査一課と特捜S課の合同での事情聴取を受けた時、翠はスプレスになりたいと志願したのだ。蒸発した父親を探し出し、同じ過ちを繰り返させないためと、自分の本当の性別を知るために。
もちろん、最初はこんな小さな子供が刑事になることなど誰も賛成しなかったし、超人類などの能力の高い子供がその力を活かせるようにと、満10歳になる子供が義務教育課程にありながらも働けるように特別労働法という法律があるのだが、もちろんそれが適用されるわけもなく、何より危険ということで、特に美咲と響一が反対したのだが、有哉が危なげのない程度にフォローし続けたのと、翠自身の頑張りがあって、今はスプレス見習いとして、パソコンで事務作業をこなしているのだ。ただ、想いと裏腹に、今のようにまだまだ子供らしいところは残っているのだが。
「ねぇ、有哉兄ちゃんは?」
ようやく自分の仕事に戻ったが、学校に行っている倫子はともかく、朝から有哉の姿が見えないので、翠は思わず心配になって聞く。すると、美咲は半眼で苦笑しながら答えた。
「どうせあいつのことだから、課長のいないこの隙を狙って、どっかで道草でも…」
「おぅ、待たせたな、翠!有哉兄ちゃんの到着やで〜♪」
噂をすれば何とやらか、スライドドアが開くと、ご機嫌な声が響く。
姿を見せた青年は、年の頃17歳ほど、青髪紫瞳で、常に人懐っこい表情を浮かべているような印象があるためか、初対面でも話しやすそうな雰囲気を持っている。そんな有哉の登場に、翠は嬉しそうにぱっと目を輝かせ、美咲は呆れて何も言えないという風に頭を抱えた。
予想通り、彼はシュークリームの箱を持っている。
「たべていい!?」
認めなくても食べだしそうな勢いで、翠が聞いてくる。
だが、有哉は笑顔でそれを交わすと、これ見よがしに見せ付けてから、シュークリームの箱を冷蔵庫の中に入れた。
「まだあかんで〜?今日の分の仕事、きっちり終わったら食べさせたるわ」
「じゃあ、ちょうだい!」
「…はい?」
有哉の言葉にすぐ切り返して手を出してくる翠に、彼は思わず間抜けな声を上げてしまう。それに、美咲が嘆息しながら答えた。
「お前が外で遊んでいるうちに、翠は今日の分の仕事、終わらせちゃったんだよ」
「何ィ!?」
有哉が驚いて声を上げている隙に、翠はすでに冷蔵庫の前に行っていた。だが、自分で開けられるのにそうしようとはせず、有哉の様子をうかがっている。どうやら良いというまでは食べてはいけないと思っているらしい。
「そういうことやったらしゃーないな。おっしゃ、翠、食ってもええで」
「やった!」
言うと、心底嬉しそうな表情を浮かべ、翠は冷蔵庫の中から箱を取り出し、シュークリームを手に取る。だが、一瞬顔を上げ、美咲の方を見ると、微笑んでみせた。
「はい、美咲姉ちゃん!」
「え…?」
「だって、美咲姉ちゃんも終わってるもん」
いきなりのことで驚いたが、翠が無邪気に言ってシュークリームを差し出してくるので、美咲は自然に笑みを浮かべ、受け取った。
「さんきゅな、翠」
言ってやると、本当に嬉しそうに笑う。そんな微笑ましい光景を隣で見ていた有哉は、不満げな表情で翠にヘッドロックをかけた。
「あ〜きら〜、俺の分は〜?」
恨めしそうに言ってやるが、翠は平然とした表情でシュークリームの入った箱を冷蔵庫に入れた。
「だって、有哉兄ちゃん、しごとしてないもん」
「へ…?」
翠の言葉に、有哉は思わず間抜けな声を上げるが、そこにすぐ美咲も参戦した。
「だよな?自分で言ってたしな。今日の分の仕事を終わらせてからって」
「美咲までそんなこと言うンかよ〜!俺は翠のためを思って…」
「そういうことは仕事してから言いな?」
「しごとしろしろ〜」
美咲の言葉に同調して、翠が楽しそうに言ってくる。それを聞くや、有哉はぐったりとした表情でうなだれた。
「あ〜、もう!しゃーないわ!ちゃっちゃとやってまうから、俺の分ちゃんと残しとくんやで!」
びしっと指をさして宣言すると、有哉は先日の事件の報告書を書くべく、机に向かう。
その様子を見、翠と美咲は顔を見合わせて笑った。
「あれ?そういえば、かちょうは?」
今更ながらに気付いて、翠は軽く部屋の中を見回す。有哉がなかなか出勤してこないことに気をとられていて、響一がいないことには頓着がなかった。
事件がない限り定刻通りにやって来る美咲に翠、遅刻魔だが大体はこの場所にいる有哉、学校に通っているために来る日と来ない日のまちまちな倫子と違い、課長である響一は、残った仕事を片付けたり、誰もいない時に事件が起こってもすぐ行動したりできるようにと、夜、ここに残っていることが多いので、だいたい美咲が課にやって来るのと入れ代りに仮眠室に行く。そして、小1時間ほどで帰ってくるのだが――
「確かに、ちょっとおかしいな。もう2時間になる。課長が寝坊するとは思えないんだけど…」
美咲も今まで疑問を感じていなかったのか、時計を見ながら呟くが、それが言い終わるか否かのうちにスライドドアが開いた。
「悪いな。少し所用があったもんで」
またもや、噂をすれば、というやつか、言ったそばから響一が顔を出す。
「おはようございます」
「おはよ…」
美咲が軽く頭を下げて挨拶するのを見、翠もそれに従おうとしたのだが、言いかけて不意に言葉を止めた。響一の後ろに、見かけない子供がいたからだ。
「あれ、香織に柊一じゃないか?どうしたんですか?」
翠の様子がおかしいので気付いたのか、美咲が背もたれに手をかけながら響一に声をかける。すると、後ろにいた2人はようやく安心したように顔を見せた。
1人は年の頃7歳ほど、長い茶髪に金瞳で、いかにも女の子らしい。
もう1人は年の頃5歳ほど、外はねのついた赤髪に金瞳の少年だ。ただ、少年と判断したのは隣の少女に似てはいるものの、雰囲気があまりに対照的だったからだ。
少女の方は服装もそれらしいし、優しげな感じだが、少年の方は着飾った風もないTシャツにズボンで、仏頂面を作っている。
それでも、もし、2人が同じ雰囲気で立っていたなら、少年とは判断しなかっただろう。それほど、顔立ちは少女めいている。まぁ、名前で気付いただろうが。
翠はその2人がかなり似ていたので、気になって思わずまじまじと見ていたのだが、それに気付いたのか、2人がこちらを見た。
一応不躾な視線を向けていたので、謝るつもりで慌てて頭を下げると、どうやら挨拶をしたと思ったらしく、少女が笑顔で頭を下げてくる。
しかし、少年の方は、わずかに驚いたような表情を見せてすぐ目を伏せてしまった。心なしか、頬が赤い気がするのは気のせいだろうか。
そんなことを考えながら、また2人のことを見ていると、美咲の言葉に答えた響一の言葉で我に還った。
「今日は由香も忙しいらしくてな。香織は学校が創立記念日で休みだったんだが、さすがに子供2人だけを家に残しておくわけにはいかなくて、とりあえず連れて来たんだ」
「はは、お2人とも忙しいのに、大変ですね?」
苦笑して、美咲は頷きながら、冷蔵庫にしまっておいたシュークリームの箱を取り出す。途端に、今まで黙って仕事をしていた有哉がわめき出した。
「ちょお待てや!それは俺の…!」
「ほら、2人共食べるか〜?」
有哉の抗議をきれいさっぱり黙殺して、美咲は子供達に箱を差し出す。すると、2人はぱっと瞳を輝かせて、箱の中のシュークリームをそれぞれ1個ずつ取った。
「あぁぁ、人数分しか買うてきてへんのに〜」
机につっぷして恨めしげな声を上げる有哉だったが、子供3人に笑われてそれっきり黙りこむ。
「有哉兄ちゃんがしごとおそいのがわるいんだからね」
言って、翠は楽しげに笑う。
だが、不意に気になって、また2人の方を見てしまう。今度は子供の方が気になったのではなく、手のシュークリームのほうが気になって。
――だめだめ!ぼくはさっきたべたんだから!
言い聞かせるように強く言って視線をそらした翠だったが、目の前に予想外のものがあって、思わずびっくりして顔を上げる。
見れば、柊一が自分の分のシュークリームを差し出していた。
「これ、あげるよ。ぼく、あまいのきらいだし…」
「…いいの?」
「うん。たべなよ」
最初の方は目もあわせようとしてくれなかったのだが、翠が問うと、ようやくぎこちない笑みを浮かべて、シュークリームを差し出してくれた。それを受け取った翠も笑みを浮かべる。
「ありがとう!」
「う、うん…」
素直にお礼を言うと、柊一は曖昧な返事をして、うつむいてしまう。それに疑問を抱いていた翠だったのだが…
「柊ちゃん、どうしたの?お顔まっかだよ?」
「な、なんでもな…ッ!」
「ほぉぉ?シュークリーム好きなお前が他人にあげるなんて珍しいと思ったら、そういうことか」
「い、いうなよ!」
「え、すきだったの?」
美咲の言葉に驚いて、思わず食べかけだったシュークリームから口を離して聞いたのだが、その言葉に柊一はまた顔を背けてしまう。
だが、それを後ろから美咲に掴まれ、阻止された。
「わっかりやすいやつ。男なら男らしくはっきり言っちゃえよ?」
「かってにいうなよ!なんだよ、美咲のがおとこっぽいくせにさ〜」
「柊ちゃん!」
言った瞬間、香織から制止が入るが、その直後に美咲から制裁が入り、柊一は頭を抱えてうずくまった。どうやら一言余計なことを言う性格らしい。
「さて、この2人の相手だが、東麻、頼めるかな?」
「え…?」
いきなり課長の指名を受け、翠はきょとんとした表情で響一を見る。
「え、だっておしごと…」
「それが仕事だって言ってンだよ、翠」
皆まで言い終わる前に、美咲がその疑問に答えてくれた。
それでも、最初は納得がいかなかったが、それが遊びなのではなく、面倒を見ろということなら納得がいって、頷いてみせた。
「うん、ぼくにまかせといて!」
言って、響一を見て、彼が頷くのを見ると、翠は姉弟に視線を戻す。
だが、柊一が驚いた表情をしているので、すぐに誘い出すことはできなかった。
「どしたの?」
「おまえ、おとこなのか…?」
こちらから聞いてみると、柊一は戸惑ったように聞き返してくる。どうやら、最初は女だと思っていたのだが、今の一人称で男だと思い直したらしい。
だが、本当はどちらでもないし、そうやって見た目や言葉遣いで判断されたくなくて、翠は先刻の柊一の慌てようを思い出し、わざと泣きそうな声で、うつむきながら言ってやった。
「ぼく、おとこのこじゃないもん…ッ!」
その言葉には、美咲も響一もあ然として見ていた。2人共翠の事情を知っているために、なぜ翠がそんなことを始めたのか解らなかったようだが、次の瞬間には全てを理解していた。
「え…、あ、ご、ごめん。ぼく、そんなつもりじゃ…」
案の定、柊一は慌てて謝ってくる。それを見て、翠はすぐに顔を上げて笑ってみせると、柊一の手をとった。
「わかってくれればいいよ。じゃ、いこ!ちょうしゃのなか、あんないしてあげる。いいよね、かちょう!」
「あぁ、行って来い」
笑って言ってやると、翠は柊一の手を取ったまま、香織を引きつれて課を出て行く。
その後姿を見送ってから、美咲と有哉は同時に笑い出した。
「見たか?あの柊一の顔。翠に手ェ取られた瞬間、すげぇ真っ赤になってやんの!」
「まだまだ若いってこっちゃなぁ。子供はかわいくてからかいがいがあるわ」
「そうそう。しかも翠の奴、こんな短い間に柊一の扱い方マスターしてるしな。あいつ、なかなかに大物になるぞ?」
「もし将来2人共スプレスになったら、柊一は翠の尻に敷かれっぱなしなんやろうな」
「将来、ねぇ…」
最初こそ有哉の言葉に笑っていたが、いきなり表情を変えると、美咲は呟いて背もたれに身体を預けた。
「何や?急にどうしたんや、美咲。あ、お前もあのシュークリーム、惜しかったとか?」
すぱーん!
冗談めかして言った有哉だったが、近くにあった雑誌を丸めた美咲が後頭部を景気よく叩くと、そのまま頭を抱えて沈黙する。
もちろんそんな有哉は無視して、美咲は響一に向き直ると、おもむろに言った。
「課長、翠の将来って、どう思います?」
「どう、とは…?」
美咲の言葉の真意を測りかねて、響一が聞き返す。それに、美咲は少し考え込むような表情を見せてから、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「翠って、最初は父さんを見つけ出したいがために刑事になったわけですよね?でも、今はそんなこと関係なく刑事になりたいって言ってた」
「あぁ」
「いろいろあって両親はいないけど、叔父夫婦は優しいし、日常的なことでは何の問題もない。でも、本当にできるのか、って思ったんだよね」
「…どういう意味だ?」
美咲の言葉に、響一が眉根をひそめる。
言葉は突き放したようなものだが、そう感じられなかったのは、美咲が、悲しげで、それでいて優しげな表情を浮かべているからだった。
「翠の誠意を疑ってるわけじゃないですよ。でも、あいつって、すっごい繊細だから、自分の身体のこと気にしすぎて、どうにかなっちゃうんじゃないかってね。実際、今、どっちでもない自分の身体のことめちゃくちゃ気にしてるし、曖昧なことが嫌いだからさ。だから、この先身体のことでハンデ背負って、生きてくのってつらいんじゃないかって、つい思っちゃうんですよね」
「でも、今の技術なら望めば性別くらい…」
「バカ、それで納得するんだったら、最初っから翠に勧めてるっての」
ようやく復活したのか、有哉が口を挟むが、美咲はその言葉を一蹴すると、小さくため息をつき、言葉を続けた。
「翠は自分のことを確かめたいんだよ?自分で答えを出して良いんなら、父親を探すとは言わないさ。ただ、そのまっすぐさが命取りになりそうな気がしてね。身近な人が死んだりしたら、ほんとぶっ壊れちまいそうだしさ。そりゃ、あたしらが見てやれてる時はそんなふうにさせないけど、もしそれがなくなったら、どうなるんだろうな?」
「……」
軽く天井を仰ぎ見ながら言う美咲の言葉に、有哉も口をつぐんでしまう。
刑事とは、現場に出れば危険と隣り合わせの仕事だ。時には死を覚悟することもある。もし自分たちが死んだら、翠は一体どうなってしまうというのか。
「今は考えていても仕方ないんじゃない?」
唐突に聞こえた第三者の声に、美咲達は弾かれたように顔を上げた。
見れば、スライドドアを開け、少女が入ってくるところだった。
彼女は年の頃12歳――いや、大人びた顔立ちからは高校生にも見られるが――、さらさらの長いブロンドの髪に、緑瞳で、服装は聖ルチア女学院の制服だ。おおかた、授業がつまらなくなって出てきたのだろう。以前もそういうことがあって、たまにここで課題をやっているのを見かける。
だが、彼女は聡明で、だからこそ幼いながら美咲達と対等にやっている。深刻な話に平然と口を挟めたのもそれゆえだった。
「ようは、あたしたちが死ななくて、翠くんをずっと見守っていればいいんでしょ?美咲達、簡単に死ぬとは思えないし。でも、もし死んだりしたら、あたし、一生許さないから」
あっさり言い放って、倫子は奥の更衣室へと入っていった。
その言葉に、美咲、有哉、そして響一までもがあ然としていたが、倫子の後姿を見送ってしまい、暫くすると、いきなり美咲と有哉が吹き出した。
「確かに、倫子の言う通りやわな」
「あぁ、あたしも、それなりの覚悟ってもんをしてたんだけどな」
「覚悟?」
2人の様子を、最初は黙って笑みを浮かべながら見ていた響一だったが、その言葉には少し表情を硬くする。それに気付いてか、美咲も真剣な表情を見せた。
「あんな子供なのに、翠の信念はすごいって尊敬してやれるからさ、それを貫き通させるためなら、例えこの身を犠牲にしても構わない、そういう覚悟ですよ」
「あぁ、それは俺も思うわ」
有哉にしては珍しく、真剣な表情で美咲に同意すると、途端に盛大なため息が聞こえてきた。
「お前達、もう夏南との約束を破る気か?そんなことをしなくても良いように、神條は体術、三森は射撃を訓練したらどうだ?」
あまりの2人の真剣さに、響一が珍しく冗談めかして言うと、美咲と有哉は、一瞬きょとんとした表情を見せたものの、先刻までの真剣さを消して笑い出した。だが――
「中、入らないの…?」
警視庁専用のパスキーを忘れたので戻ってきたのだが、真剣な話をしていて中に入れず、スライドドアの死角になる場所で話を聞いていた翠は、香織に問われても答えることができなかった。
やけに美咲と有哉の言葉が耳についてしまう。
今までずっと側にいたのに、2人がそんなことを考えてくれているとは思いもしなかった。もし、2人が自分のために死ぬようなことがあれば、確かに壊れてしまうかもしれない。
最初こそ、子供だからと相手にされなくて腹も立ったが、今となっては美咲も有哉もかけがえのない存在だ。失った時、どれほど後悔するか、どれほど自分を責めるか、そんなこと実際に失わなくても良く解る。だからこそ、2人の言葉が重すぎて、恐くて、翠は無意識に震える肩をぎゅっと抱きしめていた。
と、刹那、その手に別の手が添えられる。顔を上げてみると、柊一が優しく笑ってくれていた。
「だいじょうぶだよ。美咲たちがいなくなっても、ぼくがいるもん」
言って、ニッと歯を見せて笑う柊一を見ていると、なぜか不安な気持ちがなくなっていって、不思議な気持ちになった。そう言ってもらえると、本当に大丈夫な気がしてくる。
「でも、フォローになってないよ?それじゃ、美咲姉ちゃんたちがしんじゃうかもしれないってことだもん」
「あ…」
今更気付いたように柊一が慌てた表情をするが、それを見ると、翠も香織も吹き出した。無邪気な言葉だからこそ、余計に励まされる。
「そろそろだいじょうぶみたいだし、いこっか?けいしちょうのなか、たんけんしよ?」
「うん!」
翠が言ってみせると、2人共元気よく同意する。それを見てから、翠は再び特捜S課の中に入った。
大丈夫だと、柊一の何気ない一言で信じることができたから。
☆
あの日と同じように、何気なく雲が流れていく。人の想いなど知らないように、さまざまな形をとって、気まぐれに。
その青空の下、警視庁舎の中にある特捜S課の応接間の中で、翠は不意に目を覚ました。
目覚めは良いのか悪いのか良く解らないが、とりあえず、今頭を働かせたくないことだけは確かだ。
夢の内容ははっきり覚えている。
今から10年前の記憶をそのまま夢に見たのだ。忘れようと思っても、そう簡単にはいかない。ましてや、あれから後、本当に美咲と有哉が自分をかばって殉職したので、なおさらだった。
あの時は大丈夫だと思えていただけに、その後のショックは大きいものだったが、予想していたように壊れることはなく、今までこうして生きている。
ただ、負い目を感じていない、といえば嘘になるが、それでも卑屈になりすぎずにすんでいるのは…
「翠、起きたか〜?」
応接室のドアが開いて、柊一が顔を出してくる。
一時は刑事という職業そのものを嫌っていて、しかも翠との仲も険悪だった柊一だが、今となっては友人として仲良くやっている。
美咲と有哉が死んでから、何年か空白の時間はあったものの、確かにあの時の約束どおり、側にいてくれるというわけだ。
「今起きたとこ。何?」
そんな言葉を言った当人が覚えているとは思えないので、胸中で笑って、柊一の言葉に答えると、彼は中に入ってきて、コーヒーとシュークリームの箱を机に置いた。
「香織が差し入れって持ってきたんだよ。お前、甘いもん好きだし、だからじゃね?てか、俺へのあてつけだと思うけどな」
「確かに、香織さんならやりかねないな」
笑って同意すると、翠は礼を言ってコーヒーを受け取る。
昔はともかく、柊一は本当に甘いものが苦手で、なんでも風邪を引いた時にあんこたっぷりの饅頭を食べて吐いたことがあったらしくて、それ以来あんこが苦手になり、連鎖的に甘いものがダメになったとか言っていた気がする。ただ、シュークリームまではどうか解らないが。
「…あれ?」
昔のことを思い出しながら箱を開けた翠だったが、中に入っていたシュークリームが2つだったので、思わず一瞬手を止めてしまった。
「何で2つあるの?」
「あてつけだって言ったろ?姉貴の奴、6個も買ってきやがったから、とりあえず親父が1個食って、明香莉が2個、倫子が1個持ってったから、2個余ったんだ。だから、2つともお前食えよ」
言って、柊一は自分の分のコーヒーに口をつける。
だが、途中で表情を変えて、飲むのを止めた。
「どうかした?」
「…間違ってお前に作ってきた分飲んだ。くっそ〜、砂糖3個も入ってるから、めちゃくちゃ甘いじゃねェか」
自分で間違えたくせに、八つ当たりのように毒づくと、柊一はそのカップを持っていこうとする。
「捨てちゃうの?」
聞くと、柊一は当然のように頷いてきた。
「そりゃ、一口とはいえ、飲みかけ飲ませるわけにはいかないだろうが」
「…普段からこれだけ優しけりゃ、ぼくも文句ないのに」
「何か言ったか?」
ぼそっと呟くと、聞こえていたのか、しかめ面で柊一が聞いてくるが、翠は平然を装って否定すると、柊一の方へ手を伸ばした。
「そんなの、気にするような仲じゃないし、もったいないから、飲むよ」
「…貧乏性め。てか、俺が気にするっての」
「ん?どうかした?」
翠の方は完全に聞こえなかったので、訳がわからず聞き返すと、柊一は慌てて首を振ってくる。
本人は翠のように平静に振る舞いたいのだろうが、それができていない上に、この様子では、どうせ良からぬことを言ったのだろうと解釈し、それ以上は突っ込まずにいた。
「それにしても、本当に2つとももらっていいの?柊一、シュークリーム好きなくせに」
「へ…?」
言ってやると、柊一は間抜けな声を出して聞き返してくる。
決め付けるような言い方のせいか、昔のことを思い出したためか、どちらかは解らないが、とりあえず否定はしてこない。
「はい、柊一の分」
沈黙を肯定と取って、翠は柊一にシュークリームを差し出す。
すると、あの頃のように戸惑った表情を浮かべ、逡巡しながらも結局受け取った。
「にしても、何でお前、そのこと知ってンの?」
「思い出さないなら良いよ」
聞かれても、翠はまるで宿敵の弱みを握ったような表情を浮かべただけで、シュークリームを食べ始める。それに、最初は納得がいかないような表情を浮かべていた柊一だったが、翠がゆっくり食べているうちに自分の分のシュークリームを食べ終わると、ようやく表情を変えた。だが、
「翠、ちょっと動くなよ?」
「え…?」
訳が解らず聞き返そうとしたのだが、それよりも早く柊一は身を乗り出すと、翠の口元についていたカスタードを手ですくう。
自分でも気付かなかったので、取ってくれたことに礼を言おうとした瞬間、柊一は手についたカスタードを舐めていた。しかも、どこか楽しげに。
「ッ!?」
それを見るや、動揺を隠し切れずに思わず柊一から目線をそらすと、彼はそのままの表情で言ってきた。
「やっぱ、ここのシュークリームは昔っからうまいよな。さすが、食い物にうるさい有哉が選んだ店のだけはあるよ」
今思い出したのか、それともわざと知らないふりをしたのかは知らないが、今の発言は完全に翠をからかって遊んでいる。しかも、カスタードのことだって、翠が恥ずかしがるのを知っていてわざと、あんなふうに…。
「ッ、こンの、バカ柊一!!」
その罵声と共に、気持ちの良すぎるほどの音を響かせ、翠の平手打ちがいつも以上に見事に決まったことは言うまでもない。
あとがき:
今回は過去話です。視点めちゃめちゃですが。
ぼくの中では、だいたいが、翠の方が優位に立ってるんです。階級も翠が上で、口げんかでも柊一が負けっぱなし、からかっても最後には翠に制裁を入れられると。
余談ですが、身長も負けてます。翠163p、柊一156cmですので。
あと、有哉をなぜ和歌山出身にしたのか。それは、関西人=大阪人って設定が1番多いかなと思ったから。別に大阪が嫌いなわけではないので、念のため。
それに、黒バイネタがあって、和歌山には思い入れ強いですし。警察24時の中では、かなり有名かと。
有哉自身にも思い入れがあるので、美咲と有哉のコンビでまた書ければ良いなぁと思います。
〔2004.4.3〕