shadow 君のいない夏
眩しすぎるほどの陽光が、容赦なく照りつける8月。それはどこでも同じだ。そこかしこから陽炎が立ち昇って、冷房がどれ程使われているか解る。
当然、ここ警視庁も例外ではない。この時期の事情聴取は、余程熱心な刑事でもない限り、職場放棄できるなら避けたいほどだ。ただ、そうも言っていられないのが刑事である。
「ただいま戻りました…」
シャッタードアの音に続いて、少し疲れたような声が室内に響く。中に入ってきた人物は、エメラルドグリーンの髪をかき上げ、もう何度目かになるため息を漏らした。
年の頃13歳ほどで、澄んだ青瞳をしており、その顔立ちや声からは少年とも少女ともつかない。だが、これでも、警視庁刑事部特別捜査スプレス課――通称特捜S課所属の、正真正銘の刑事である。
「お帰り、翠くん。課長さん、ちょっと出かけてるのよ」
翠の声に答えた女性は、その姿を見ようとせずに、コーヒーを飲んで、言った。
彼女の方は年の頃20歳ほど、ブロンドの髪に緑瞳で、紺のスーツに身を包んでいる。肩まで伸ばした長い髪に、ほとんど化粧っけのない白い肌、長身ゆえに見せるパンツに包まれた美脚のラインには、男でなくとも思わず見とれてしまうほどだ。だが、彼女と親しい翠にとってそれは今更であるが、最初の頃はどことなく威圧感があって、それに多少なりとも怯えていたのを思い出し、思わず苦笑する。
「何?」
翠の様子を不審に思ってか、女性がこちらに目を向けて聞いてくる。それに、翠は苦笑もそのままに答えた。
「いえ、倫子さん、相変わらず綺麗だなって」
「何言ってるのよ、翠くんらしくない。どっかのマセ子供と一緒にいたせいで、口調がうつっちゃったのかしら?」
「はは、まさか。ぼくはどっかの誰かと違って、思ったことを口にしてるだけですから」
本人がいないのを良いことに、倫子の言葉に笑顔で応じるが、その彼の机に目を移した時、翠の顔からは笑顔は消えていた。
今はまだ昔のままの感じがあって、どこか無愛想な面も残っているが、それでも自分を信頼し始めてくれている少年の笑顔を思い出す。
「気になる?柊一くんのこと」
「え…!?」
倫子の言葉に、翠は弾かれたように振り向く。すると、彼女は小さく吹き出して、優しげな笑顔を見せた。
「瞳が言ってるわ。『柊一が心配だ』って」
言われ、翠は胸が痛むのを感じたが、それを表には出さず、笑顔を取り繕う。
「えぇ、心配ですよ。向こうで遊んでばかり、ちゃんと訓練受けてないんじゃないかって」
「それで、居心地が良くなって、帰ってこなかったらどうしよう、とか?」
痛いところを突かれ、翠は笑顔を消し、机に鞄を置こうとしていた手を止めた。目の前には、その柊一の机がある。そこに、いつもの調子で文句を言いながら仕事する彼の姿が見えた。
「アメリカでの研修、もうそろそろ終わりでしょ?忘れてなければ、今日中に帰ってくるわよ。わざとすっぽかすなんて薄情なこと、出来るとも思えないしね」
「…だと、良いんですけど」
励ますように言ってくれる倫子に、翠はそれしか返せなかった。自分の本心は、自分自身がよく知っているのだから。
今話題になっていた人物、仁科柊一と、東麻翠は、現役の中学生ながら、特別労働法――その能力に応じて、満10歳になる者に職につくことを許可する法――に基づいて職を得ている刑事である。
本当なら夏休みを満喫し終えようというこの時期だが、翠はこうして休みを刑事として過ごすことをむしろ誇りを持っている。
それも、翠が幼い頃、父親が関わったゲノム計画の第2段階――生後発見された悪性遺伝子の除去法を探る実験――の被験者となり、遺伝子操作されて、ジェネティックレイスという良性遺伝子しか持たない人間になったのだが、それと同時に性別を失ったことが大きな原因である。
当時は人体実験を取り締まる法律もなく、何人かの犠牲者を出したのだが、あまりにその実験の後遺症の発症例が多かった為に、『トリッキー』という法律で人体実験が全面的に禁止され、父親はそれ以来蒸発してしまった。母を事故でなくした翠にとって、親類すら解らない自分の性別を唯一知る人物であるというのに――。
だから、翠は、その父を探し出し、どこかで増えているかもしれない犠牲者を救い、自らの手で父を逮捕するため、そして、自分の本当の性別を知るために、刑事と言う職業を選んだのだ。もちろん、当時の年齢では特別労働法も適用外だったために、10歳まではこの特捜S課で事務的な仕事を行ない、それ以後は現場に出られるようになった。
そして、12歳の時、柊一に出会ったのだ。
彼は不良グループ、ヴァレンのメンバーだったのだが、翠が検挙した際、この課の課長である仁科響一の息子ということ、バスタード――動物遺伝子の組み込まれた人間――ということもあって、半ば無理矢理警察に引き込んだ。
今はまだ刑事としての自覚は足りないが、その高い能力は翠も買っている。それに、虐げられ続けてきたからこそ人の心の痛みを解る彼に、人柄として惹かれたというのもある。だからこそ、翠も根気強く柊一と信頼関係を築こうと努力して、やっと心の壁を取りかけてもらえた。
その矢先、アメリカに研修に行くよう上から通達があったのだ。向こうで銃や体術の訓練を受けるためである。翠の場合はアメリカから来ていた研修生に教わった為にそれがなかったのだが、柊一の場合はそうはいかなかった。そのため、2人しかいない特捜S課のピンチヒッターとして、特捜管理局長である中央倫子がいるのである。ただ、ほとんど留守番を頼んでいるようなものだが。
「倫子さん、すみませんが、もう暫く留守を頼まれてくれませんか?」
ホルスターの中身を確認しながら、翠。それを見、倫子は愛飲の煙草、プラシャンを手にすると、いってらっしゃい、というように手を振ってみせた。どこに行くかは解っているのだろう。
特捜S課を出て、翠がまっすぐ向かったのは、地下の射撃場だった。ここには、最新のバーチャルシステムを備えたシミュレーション装置がある。実際の現場が体感できるので実践訓練にはもってこいだが、翠はその部屋の前では足を止めず、次の部屋に入った。そこにはいくつかの的が並んでいる。旧来の実弾銃の命中率を高める為の装置である。
翠は、普段レーザー銃を愛用しているのだが、射撃システムとしては実弾銃訓練にしか使わない、ここの方が好きだ。シュミレーションシステムでは毎度最高クラスの成績をはじき出している翠にとっては、こちらの方がより新鮮だった。
ここに来ると、以前ここに入った時、柊一が撃っているのを見て、実弾銃を撃ったことを何となく思い出す。
『実弾銃とレーザー銃じゃ、全然衝撃が違うだろうが?LPM7なんて軽い銃使ってっから、そうなるんだよ』
確かに、彼の言う通りだった。しりもちこそつかなかったものの、的は外すし、かなりよろめいてしまう。
だが、こ馬鹿にしたように笑う柊一の言葉が癪に触り、つい負け惜しみを言った。
『初めてなんだから、仕方ないだろ?それに、小さい時に海外で撃ったことがあるからって、柊一だけが出来るわけじゃないんだし。そのうちワンホールショットくらい出来るようになるさ』
『へぇ。そりゃあご立派なことで』
『お前、絶対バカにして…ッ!』
その嫌味っぽい物言いにむっとして、翠が反論しようとした時、柊一は立て続けに5発連続で撃った。その衝撃音に、翠の言いかけた言葉は簡単に消されてしまう。
『んで、何だって?』
硝煙を消してみせながら、皮肉っぽく笑う柊一の言葉に、翠は何も言えなかった。的に残る銃痕は、心臓部に1つだけ――ワンホールショットである。
そのあまりに余裕のある行動に、負けじと柊一から銃をふんだくり、一応は狙いをつけながらも乱射するが、ワンホールショットどころか、急所にすら当たらなかった。それを思い出すと我がことながら馬鹿なことをしたと思い、苦笑する。今は、そうやって馬鹿なことをさせてくれる人物は隣にはいないが。
一息ついて自分を落ち着けてから、翠はホルスターからLPM7を取り出し、的の心臓部に照準をあわせて撃った。ほとんど無音で、的はその心臓部を射抜かれた後、煙を上げる。最弱に設定して撃ったのだが、それでも的を焼いてしまったらしい。
今度はLPM7をホルスターに戻し、棚にあった実弾銃を取る。持ち出したのはリボルバータイプのE18ファントム――柊一が普段使っている銃と同じものである。
翠は弾が入っているか確認すると、1度銃を胸元に当ててから、2発連続して撃った。だが、やはり衝撃に慣れていないせいか、心臓部を狙ったつもりが、左肩と首筋に当たっていた。それを見、翠は少し不満そうな表情を見せるが、すぐに真剣な表情に戻ると、今度は左手も添えて、5発連続で撃つ。それは、少し心臓を外していたが、弾痕は1つだけだった。
「いくら実弾銃に慣れてないからって、ぼくもちょっと練習すればこれくらい出来るんだ」
言うだけ言ってみせたが、もちろん返事はない。室内にわずかに反響しただけだ。
それを、まるで他人の発した言葉のように聞きながら、翠はそっと銃を置き、目を伏せる。誰にも知られたくない気持ちを、今自分の中に感じてしまう。その想いをはっきり見せつけられ、翠は自嘲的に笑うと、部屋を後にした。いつまでもここにいるわけにはいかない。遊びで刑事になったわけではないのだから。
気も紛れないままに特捜S課に戻って来た時には、翠は普段と変わらない表情を作っていた。そうすることに慣れていたから、それは簡単だった。それでも、軽く深呼吸してからドアを開ける。
「倫子さん、すみま・・・ッ!?」
言って、中に入って行こうとした翠の言葉を遮ったのは、自分の鞄だった。それを持っているのは響一である。
「東麻、今日はもう帰れ。どうせすることもないし、気分も乗らんだろ?」
「え、でも…」
そうはいかない、と言おうとして、翠はそれ以上言うことが出来なかった。確かに、彼の言う通りではある。
2ヶ月間、そして柊一が入るまでは、今日と同じ様な日々を過ごしてきたはずなのに、1度それが変わってしまうと後に戻れないと思い知って、翠は黙って響一の言葉に従い、警視庁を後にした。
自転車をこぎ出すと、夏とはいえ、多少涼しく感じられる。家までは、ジェネティックレイスの運動能力をもってすれば大した距離ではない。それでも、十分気分転換にはなるだろう。そうでなければ、今日という日は辛すぎる。毎年変わらず過ごしてきた8月30日、それは――。
――考えちゃダメだ!望むから、ないと不安になるんだ…。
自分に言い聞かせるように言っていると、結局気分転換できないまま、家に辿り着く。
表札には"羽丘"とあるが、父親が蒸発した後は、母方の叔父夫婦が親代わりを務めてくれているのだ。今住むこの昔ながらの日本家屋が、記憶はないのに何となく前の家より良いと思える。
「ただいま」
極力明るくふるまって、翠は玄関の引き戸を開ける。すると、偶然そこを通りかかった叔父が笑顔で出迎えてくれた。その表情は、どこか意味ありげであったが。
「早かったな。今日は良い魚が手に入ったから、楽しみにしてろよ?」
「うん、ありがと、叔父貴」
礼を言って、翠は自分の部屋に向かう。
シェフである叔父の料理は本当に美味しいから、夕食は楽しみではあるのだが、やはり部屋に着いた時の翠の表情は暗かった。障子で光が遮られているからこそ余計に、直視したくない気持ちが込みあげてくる。寂しい、という気持ち――。
今までは、何でもない生活を送ってこれた。身体のことにずっとコンプレックスを抱きながらも、友達がいて、叔父夫婦がいて、ずっと刑事としてやってきて、父を見つけ出したいとは思っても、会いたいとは思わず、生きてこれた。
だが、柊一に出会って、不器用ながら自分自身のことをちゃんと解っている彼を見ていると、自分も変わらなければならない気がした。お互い弱い部分を見せるのが嫌いだからこそ、1番の理解者になってあげたかった。お互いに両親のいない時の寂しさを解っているからこそ、支えになれると思った。それで、ずっと側にいてやると言ったつもりだったのに――。
「結局、独りになりたくなかったのは、ぼくの方じゃないか…ッ!」
畳の上に膝をついて、拳を硬く握り締め、翠は次第に嗚咽を漏らし始めた。2ヵ月という長い間気付けずにいて、今頃になって出てきた想いは、簡単には止めようがなかった。だが、
「I'm sorry to be late for your birthday.Happy birthday,Akira!」
あまりに流暢すぎて聞き取れないので意味は理解できなかったが、最後の言葉と誰の声かは解る。
「柊一!?」
「バーカ。何泣いてンだよ?あ、俺がいなくて寂しかった、とか?」
アメリカみやげも兼ねてだろうか、綺麗にラッピングされた箱を手渡してくる柊一に、翠は思わず絶句する。
まさか、叔父の意味ありげな笑みがこれを意味しているなど予想も出来なかったし、プレゼントを貰えるとも思わなかった。それに、1番会いたい時に会いに来てくれるとも。だからこそ、憎まれ口が聞きたくなる。
「勝手に言ってろよ。そりゃあ、父さんに会いたいって思う時もあるさ」
言ってやると、柊一はそれを信じたのか、それとも最初から見ていて誤魔化しと解ったのか、とりあえず不満げな表情で言う。
「Damn.I missed you more than I had thought.」
「え…?英語じゃ解らないよ。何て言ったの?」
「何でもねェよ!ほら、叔父さんが飯作ってくれてンだろ!?俺も食ってくからな!」
聞き返すと、柊一は不機嫌そうに言って、部屋を出て行く。
アメリカに行って、彼の態度が少し優しくなったような気がするより、柊一がここにいるという事実に笑みを漏らし、翠もそれに従った。
あとがき:
時期が時期だけに、翠の誕生日ネタ。友情物語風味、になってるでしょうか?
で、またタイトルから裏ネタなんですが、今回のはガーネットクロウの"夏の幻"や、DEENの"君がいない夏"のイメージで。
DEENにしたら、ほぼタイトルそのままですが。
や、でも、どっちかというと、"夏の幻"に近いんですけどね。
一番最初に君を思い出す、とか、願うだけじゃ届かない気持ちを〜とか。
どっちのアーティストもかなり好きなので、モチーフにできたらなぁと思っていたので、願いが叶って良かったです。
ネタはジャンヌだけじゃないですよ?(笑)
で、もう1つ苦労したといえば、英語ですね。
英語嫌いのクセに、何ゆえ柊一を英語得意にしたのか。それは英語を使うシーンが好きだから(自爆)
これからもちょくちょく使うつもりですが、その度に自爆しているかもしれません。
で、せっかく誕生日記念なので、この小説、30日限定でフリーにしようかと。こっそりと。
ですが、著作権は放棄しておりませんので、そこはよろしくお願いします。
〔2004.8.30〕