solitude 雪どけのぬくもり

 ヘッドライトが作り出す光の筋が川のように流れている。西の空に傾いた太陽が、今は血に染まったように紅い。そんな見方をしてしまうのは、知らず知らずのうちに今日という日を意識してしまっているからだろう。
 惣波敦郎は足を自分の机の上に投げ出し、手を頭の後ろにやって、見るともなく外に視線をやっていた。くわえている煙草から、ゆっくりと紫煙が立ち上る。
 彼は、今自分がここにいる理由を何となく思い出していた。
 今日は、その全てが始まった日から1年経つのだ。だが、もちろん何かが変わるわけではない。ただ、いつもと何か違う気分になっているのは確かだ。
 始まりは簡単なことだった。
 父親は警察官で、母親は看護師だ。何も珍しい家庭ではない。両親と姉と自分、家族4人で平和に暮らしていけたはずだった。
 なのに、ただバスタード――動物遺伝子によって改良された人間に生まれついたために、酷いいじめを受けた。バスタードスラムに住んでいた頃は周りも同じだったのに、少し街を離れただけで一変した。
 いじめを受けて、それでも認めてもらいたくて、何か自分に誇れるものを持とうとした。
 始めは勉強――でも、秀ですぎた才能の為に、ますます変わり者扱いされた。
 次にスポーツ――でも、バスタードで運動能力があるから、と思われた。
 その次には悪ふざけもしたが、そのせいで友達を傷つけてしまい、結局上手くいかなかった。
 そのうち、いじめはエスカレートして、誰も止められるものがいなくなって、収拾がつかなくなった。
 12歳の子どもなりに、真剣に生きるか死ぬかを考えていた時、1軒の小さな自動車整備工場を見つけた。中に入ってそこの主人の話を聞いていると、そこが自分の居場所だと思えて、生まれつき持っていたバスタードの能力で17歳の青年の姿を作り出し、そこをたまり場にしていた不良グループ、ヴァレンの一員になったのだ。
 それが、転機だった。
――感傷的になるなんて、らしくねェな…。
 胸中で独りごちると、敦郎は煙草を消した。椅子にもたれかかると、今度は天井を見やる。そこに1つの弾痕を見つけると、敦郎は自然と笑みを浮かべていた。
 ヴァレンに入ったのは、両親への反発でもあった。休日すらまともに家にもおらず、どんなに良い成績をとっても、運動会で活躍しても、褒められた記憶があまりなかった。だから、良い子にしても、誰も振り向いてくれないと思ったのだ。今となってはそれもバカらしいと思うが、それからは黙って外出することが多くなった。次第に仲間達から煙草や酒の味を教わって、打ち解けていた頃には、家族との会話は皆無に等しくなっていた。
 そんな日々が1月近く続いただろうか。
 いきなり未成年者グループが扱うには大きすぎるヤマを持ちかけられ、失敗して足が付き、警察に包囲されることになった。だが、1月の間とはいえ、共に過ごした仲間、自分の居場所をなくすわけにはいかない。
 だから、護ろうと思った……。
 それなのに、仲間から返ってきたのは、感謝の言葉でも共に戦おうというものでもなかった。囮になるのは、新入りの役目だ、と、それだけで。
 その時、果てしない絶望を感じると共に、あぁこんなもんか、という想いもあった。
 同じ孤独を繰り返す衝撃はどうしようもないくらいだった。取り押さえられるのに、抵抗すら出来なかったのだから。それは、そこに父の姿を見たからかもしれない。
 それから後は意識が曖昧になって、薄暗い部屋で精神鑑定を受けさせられた。自分の意思とは関係なく、今までの孤独や悲しみを言葉に変えていく。知られたくなんかないのに、口が勝手に動く。ひどく、気持ちが悪かった。
 自分の中にはっきりとした気持ちがあるのを知らされていく度、恐いくせに抵抗が出来なかった。そのまま、何とも言えない気持ちを抱えたまま連れてこられたのが、この探偵事務所だった。
 扉が開かれ、中に入るよう促されて顔を上げるや否や、目に入った父を滅茶苦茶に罵倒したのを覚えている。両親が寂しい思いをさせたから、変に自分の気持ちを曝け出す羽目になったんだと思った。自分に非があるなんて、考えもつかず、父に言い募った。刹那――。
――あいつが、レーザー銃ぶっぱなしたんだよな。
 暫く黙って弾痕を見てから、敦郎は瞳を閉じた。
 そう、あの時も今と同じ夕暮れだ。そのときの光景も、言葉も、はっきり思い出せる。
『自分に非があるって、解らないのか?可哀相だよね?何もかも変える力を持ってるのに、自分から逃げるんだ?』
 始めは、いきなり自分と同じ歳の頃の人物が銃を撃ったことに呆然としていたが、我に還って文句を言おうとした時には、銃口はこちらに向けられていた。
『君に選ばせてあげるよ。このまま少年院に連れて行かれるか、ぼくと組んで警察で働くか。どっちに転んでも君には最悪かもしれないけど、前科者になるのを避けた方が賢明だと思うよ?』
 そんなことを平気で言ってのける。
 話を聞けば、この人物、東麻翠はジェネティックレイス――遺伝子改良された人間であり、俗に言う超人類の犯罪を取り締まる刑事、スプレスであるという。
 人手が足りないことと、心の痛みがわかる人だから、という理由でスカウトしたらしいのだが、精神鑑定の調書だけで人を解った風に言うのは気に食わなかった。そもそも、検挙されてきた自分を警察に入れようとする翠の神経もどうかと思ったし、何より見下されているような態度も癪に障る。それなのに、あの当時、ただ翠を見返してやりたいが為に刑事になった自分に、今となっては我ながら無茶をしたと思う。
 それから、程なくして、人格分離の教育を受け、バスタード能力で生み出した少女の身体に見合う、冷静沈着な夏南朱音という人格を生み出し、素の人格を出せ、車やバイクを運転できる敦郎を、おとなしめで外面の良い少年として本来の姿である仁科柊一を、それぞれ別人としてスプレスの所属する特別捜査スプレス課に配属した。ただ、敦郎だけは、兄貴分で、検挙された時に自分を庇って捕まった高斗の処罰の手伝いとして、この探偵事務所にいることが多いが。
――っても、警視総監おっちゃんの世話にならないって言って、今は高斗もここにはいないから、俺と翠のみたいなもんだけど。
 過去を回想して、翠に反発していた自分に思わず笑ってしまっていたが、そんな自分を変えた事件のことを思い出し、笑みを消して扉の方を見た。
――…高斗といる時が、一番自分を出せてる気がして、ここに来ると安心できた。でも、あの時は誰もいなくて、どうしようもなくなってたんだよな……。
 その時のことを思い出し、敦郎は煙草の火を消して目を伏せた。
 それは、警察の仕事にも慣れ始めた矢先の事件だった。
 初めて検挙命令が出て、向かった現場にいたのが、かつて自分を置いて逃げた仲間達だったのだ。
 彼らには聞きたいことが山ほどあった。だが、実際に面と向かって言う勇気もなかった。また、孤独にさらされそうで――。
 だから、迷った挙句、朱音に代わってもらったのだ。同じ自分であるとはいえ、記憶を共有していない部分もあるし、別人格だ。傍観者となることで、自分の心の痛みを曝け出すことだけは避けられた。それには、翠も何も言わなかった。
 警察へ連行した後、事情聴取は父に任せ、敦郎として彼はこの事務所に戻ってきた。
 ある意味では復讐になったかもしれない。だが、心がどうもすっきりしない。妙に苦しいのだ。囮にされた時と同じ様に――。
『柊一…?』
 呼びかけられ、彼は顔を上げた。
 しかしそれも一瞬で、すぐまた流れ行く車の方に視線を落とす。
『ンだよ?言ったはずだぜ?今は敦郎だよ』
『いつまでそうやっていじけてるつもりさ?』
 唐突に言われ、それが予想外だっただけに、反射的に身体を起こす。苛立ちが一層強くなるのが、自分でも嫌というほどに解った。
『誰がいじけてるってンだよ!?俺を盾にした奴らだぜ?作戦上、朱音の方が良いと思ったから変わっただけだ。それに、取調べなんてダルイことやってられっかよ』
 それは、自分でもはっきり解るほど言い訳めいたものに聞こえた。
 だが、翠が何も言わず、悲しげな瞳を向けてくるので、やけになって叫ぶ。
『例えお前の言うとおりだとしても、何が解るんだよ!?俺が必死になって生きてきた苦しみの、何が解るって言うんだよ!!』
『勝手に決めつけるなよッ!!』
 いつになく取り乱した様子で、翠。その表情が、泣き出しそうなものに変わる。いつもは強気な態度でいただけに、そんな翠の姿は彼の心を惑わせた。
 何となく居心地が悪い気がして、ブラインドを閉じたままの窓に目を移す。もう話すことはないと言いたげに。
 どれ程時間が経ったか解らなくなるほどの静かすぎる沈黙。だが、本当はそこに音はあったのだ。考えことをしていた為に閉ざされていた微かな音――それは、衣擦れの音によく似ていた。
『ッ…!?』
 嫌な予感を覚えて振り返った時には、あまりにも突飛すぎる行動に何も言うことが出来なかった。一糸まとわぬ姿の翠がそこにいる。
 だが、それだけに驚いたのではない。別の理由もあった。
 美しすぎるのだ。無垢すぎる代わりに、白い肌以外には何もない。そして、体のラインから女でないことは解るのに、見た目は女のそれだった。
『お前、その身体…』
『そう、ぼくには性別がない。今までは女でも誤魔化せたけど、もうそうはいかないよ』
 自嘲的に笑ってみせながら、翠は自分の服を拾い上げる。
『あ、そうだ。ついでにシャワー借りてこうかな?別に良いよね?』
 先刻までの雰囲気を消して、冗談めかして言うが、それが壊れそうな心への誤魔化しではないのかと思う。
 翠が人一倍曖昧なことを嫌っているのを知っているだけに、自分の秘密を明かしたことが余程のことだと解るのだから。
『ごめん…』
 何故か、それだけは素直に言えた。だが、翠は笑ってみせると、シャツを肩にかけ、続けた。
『謝るのはぼくの方だよ。突然こんなことしちゃってさ。でも、いつまでも自分のことだけ隠しておけないし』
 言って、翠はそっと自分の胸元に手を置く。そこには、幸せそうな家族の写真が入ったペンダントがあった。
『この身体ね、父さんの仕業なんだよ。ヒトゲノム解析計画の第二段階に関わっていた父が、ぼくを被検体にしてジェネティックレイスに変える実験をし、その結果性別を失った。その副作用で熱を出したり、急に意識を失うっていう不自由な身体になった上に、自分の本当の性別すら覚えていなかった。親戚中誰もが、だよ。それを絶対に知っているはずの父は蒸発して、母は他界した。だからこそ、ぼくはスプレスになったんだ。ぼくと同じ想いをする人を出さないため、自分の身体のことを知るために』
 言う翠の表情には、悲しげな色が浮かんでいた。
 どうしようもない気持ちを抱えていたのは自分だけじゃない。そのことに気付いただけで、今まで押し隠してきた感情が湧きあがってくる。
 だが、彼はそれを隠すように目線をそらす。すると、翠は思いきりため息をついた。
『ぼくが自分の秘密を明かしたのは、君に知っておいて欲しかったからだよ。正直、君ならぼくの苦しみを解ってくれると思ったんだ。人の心の痛みを知ってるからね。でも、それはかいかぶりすぎだったかな?』
『……』
 その言葉に、何も言えなかった。今口を開けば、何を喋り出すか解らない。精神鑑定の時のように、言いたくない想いを曝け出すのは正直恐かった。
『いい加減気付けよ!!』
 突然の衝撃に、しかめ面を上げる。すぐ目の前には翠が立っていた。膝を叩かれたのだ。
 彼は、置かれっぱなしの手から逃れようとしたが、かなわなかった。まっすぐな翠の瞳からは逃げられない。
 少しの間そうしていると、不意に、翠が優しげな笑顔を見せた。
『柊一、ぼくがここに来た時から、君は素の君・・・に戻ってたんだよ?だから柊一って呼んだんだ。自分の本心を曝け出すのは難しいことかもしれない。でも、ぼくのことは信じていてよ。君の気がすむまで、ずっと、ここにいるからさ』
 翠が言い終わるが早いか、柊一はその身体を引き寄せていた。翠のシャツが、宙を舞う。
 今まで決して誰にも言わなかった想いが、全て涙に変わって溢れ出す。寂しさとか悲しさとか、リアルすぎてどうしようもなかった気持ちも全部――。
 どのくらいの時間が経ったかは解らない。だが、翠は何も言わずそこにいてくれた。だからこそ、"アウトレイジャー"として今まで続けてこれたのかもしれない。
「しゅ、柊一、痛いよ。離して…」
「へ…?」
 予想も出来なかった言葉が聞こえてきて、彼は間抜けな声を出して顔を上げた。
 どうやら、いつの間にか寝ていたらしい。姿も素の自分に戻っている。ただ、唯一夢でなかったのは、実際に翠がそこにいたことだ。寝ぼけて抱きついてしまっただけならまだいいが、上目使いに困惑した表情を見せる翠の顔が近くにあったのと、以前抱き寄せた時に触れた翠の肌の感触を思い出したのとで、柊一は反射的に翠から離れようと身を引いたのだが、
     ガシャン!
 派手な音を立てて、柊一は椅子ごと後ろの戸棚につっこみ、滅茶苦茶に積んであった荷物を頭からかぶった。
 翠は、始めはその様子に呆気に取られていたが、余程面白かったのか、爆笑する。柊一としては、また泣き顔を見られたこともあって、かなり面白くなかったが。
――あいつ、さっきの顔なんか普通に女みてェじゃねェか。つーか、夢で思い出しただけで鼻血が出てくるなんて、俺もまだまだ若いな〜…
 人の気も知らずに笑う翠を見ながら、柊一は1人苦笑しながら胸中で独りごちた。
 本当に本人は気付いていないだろう。何気ない仕草が、柊一を翻弄していることに。
「柊一、どこに行くの?」
 笑いがおさまったらしい様子で聞いてくる翠に、柊一は目をあわさずに答えるので精一杯だった。
「顔洗ってくんだよ」
「涙の跡消さなきゃだもんな?でも、何で鼻押さえてるの?」
「…ほっとけ」
 嫌味っぽい笑顔で言ってくる翠に大した反論も出来ず、とりあえず血の止まったらしい鼻から手を離して洗面所に行く。
 それには気持ちを切り替える意味もあったのだが、事務所に戻って来た時、落ちた書類を集めていた翠が、こちらを振り向いて、笑顔で言った言葉で、それは無意味となった。
「あ、今日で2年目なんだよね?またよろしく、柊一」
「お、おぅ…」
 何気ない様子で言う翠から目をそらし、軽く天井を仰ぎながら柊一はそっけなく言う。何故そうしているのかは、翠も知る由はないだろう。
 こんな2人の2年目は、まだまだ始まったばかりである。





あとがき:
これまでのものとは違い、少し暗めです。心の孤独をテーマにしていたかと思います。
見たまま、柊一と翠が打ち解け始めたきっかけですね。
どんな話にしようかと模索していて、不意に秘密を話させようと思い立ちまして。
何も脱がせることはないだろうと思ったのですが、理解するにはこれが早いかと。
タイトルからお気づきの方ももしかするといるかもしれませんが、
KinKi Kidsのsolitude〜真実のサヨナラ〜をモチーフにして書いております。まぁ、部分的ですが。
よくやるんですよ、曲のイメージで文を書くって。自分の好きな曲だとヤル気がわいてきます。
解る人には解るところもあるのではないかと。
そんな話です。
〔2004.3.28〕