spiral 闇を裂く光
照明を少し暗めに設定している為か、どこか室内には陰鬱な空気がある気がする。
部屋には、医療関係の本が置かれたデスクにレントゲン写真の掲示板、最新鋭の医療機器等々がある。そして、診察台には、1人の人物の姿があった。
年の頃15歳ほど、エメラルドグリーンの髪に青瞳で、顔つきからは男とも女ともつかない。
その隣には、白衣を着た女性が1人、看護師の制服を着た女性が1人いる。
医者の方は青髪黒瞳で、切れ長の双眸のためか、異彩を放つ美人である。
看護士の方は栗色の髪に青瞳で、どこか頼りなげではあるが、胸元にカルテを持ち、真剣な眼差しで2人の様子を見つめている。
と言っても、単に聴診器をあてたり、血圧を測ったりと、普通の診断をしているだけだが。
一通りの診察を終え、医者は聴診器を離し、小さく息をつくと看護士からカルテを受け取り、椅子をスライドさせてデスクに戻ろうとする。
だが、患者がなかなか起き上がってこないので、嘆息すると、おもむろにその裸の胸の上をカルテで叩く。
「あ〜きら〜?診察、終わったんだけど〜?」
「うわっ!」
言われ、翠は弾かれたようにベッドから起き上がる。夢うつつだったところに冷たいカルテを直にあてられ、一気に目が覚めてしまった。
だが、それには別の理由もある。
「メス、あてられたのかと思った…」
「お望みとあらば、翠の言うとおりにしてあげるけど?」
どこから取り出したのか、実際にメスを持ちながら、医師は意味ありげに笑ってみせる。それに、翠は全力で首を振った。
彼女が言うと、嘘か本当か解らない。
「駄目だよ、葉月ちゃん。あんまり翠ちゃんをいじめちゃ、怒る人がいるでしょ?」
言いながら、笑顔で看護師が翠に上着を渡す。
起き上がり、シャツを下ろしてから礼を言って受け取ると、翠はそれに袖を通した。その肩には、警視庁の刑事を示す腕章がある。
この人物、東麻翠は、現役の高校生ながら、警視庁刑事部特別捜査スプレス課――通称特捜S課の刑事である。スプレスとは、俗に超人類と呼ばれるバスタード――動物遺伝子により改良された人間――や、ジェネティックレイス――悪性遺伝子を取り除かれた人間――が起こす、普通の人間、ラジカルでは解決できない事件を専門に扱う特捜刑事であり、当然スプレスもまた、容疑者に対抗する為に超人類のみで構成される。
課長で警視正の仁科響一はバスタード、その息子であり、翠の相棒でもある警視の仁科柊一もバスタードで、元ハッカーで、今は翠を慕ってやまない警部の清宮明香莉もまたバスタードである。
翠もジェネティックレイスとしてスプレスを務めているのだが、翠の場合、本来生前に遺伝子操作されるか親から遺伝するかというところを、父親が関わったヒトゲノム解析計画の第二段階の被験者となって生後遺伝子改良を受けたために性別を失ってしまい、父が失踪した今、翠の本当の性別を知る者が誰もいなくなってしまった。
その上、過去の実験の副作用で、時たま発熱したり、意識を失うことがある。
だから、せめてそれだけでも何とかする為に、こうして医者である氷狩葉月の下を訪れ、定期的に診察を受けているのである。
検死官も務めている彼女だが、大体何でもこなせる凄腕の医者で、幼い頃からの顔見知りということと事情を知ってくれている為に、看護師の仁科由香と共に絶対の信頼をおいているのだ。
「本当なら、ちゃんと診療着を着ていろいろやってもらいたいんだけど、寝る暇もないくらいに忙しいみたいだし」
「あはは…」
派手にため息をつきながらの葉月の言葉に、翠は返す言葉もなく苦笑する。
仕事に熱中しすぎて、自分の身体のことに無頓着になってしまうのが翠の悪い癖である。
「いっそ、寝てる時に身包みはがして検査しようか…」
「…氷狩先生、それ、ある意味強制猥褻罪ですけど?」
顎に手を当てながら、葉月がまじまじと全身を見つめてくるので、翠は呆れ顔で冷静に突っ込んでしまう。
それを見、由香は思わず笑みを漏らした。
「…楽しそうね?由香」
半ば呆れたような笑顔で、葉月。その言葉に、由香は笑顔もそのままに頷いた。
「楽しそうなのは葉月ちゃんの方よ?翠ちゃんの反応見て、いじめて楽しんでるでしょ?」
「えっと、由香さん、その、翠ちゃんってのはちょっと…」
何度言っても直らないことだが、やはり気になって言っておく。
だが、当然のごとく、由香は「この方が良いから」の一点張りである。
もう半ば慣れてはいるのだが、それでもどこか落ち着かなくて、翠は頬を人差し指で掻く。
葉月がカルテをつけている間、暫しの静寂が訪れる。
こういう時ばかりは、さすがに彼女も真剣である。医者として、充分すぎる力を持つ葉月でも、自信を理由にないがしろにすることはない。
と、カルテに目を通す葉月の表情が少し変わる。だが、疑問に思ってそれを口にする間もなく、彼女はおもむろに言い放った。
「翠、ちょっと服脱いで」
「…へ?」
唐突なことに、思わず間の抜けた声で聞き返してしまうが、葉月も医者だ。悪いようにはしない…はずである。
言われるままに、翠は上着とシャツを脱ぐ。と、今度は再びベッドに戻るよう言われる。
先刻してしまえば良かったのに、と思うのだが、それはあえて言わないでおく。さすがに間違ったことはしないだろう、という信頼はある。
…万が一、おかしなことをされそうになっても、由香が止めてくれるだろう。
翠の胸中にある不安は、すぐに解決された。葉月に何か言われた由香が持ってきたのは、心電図をとる機械である。
だが、それには違った不安が生まれ、さすがに翠も自分の身体のことが心配になる。
と、それを悟ったのか、葉月は優しく微笑みかけてくれた。
「心配しなさんな。一応調べるだけよ。あんたが前に動悸がするって言ってたから、もしかして心身症の可能性がないか、ってね。精神面で、結構痛めつけられてるでしょ?」
「……」
それには、翠も何も言えなかった。
男でも女でもない自分の身体へのコンプレックス、真実を知りたいという葛藤、見つからない父…。それらが、必要以上に翠の身体を苦しめている。
自分でもよく解っているのだ。解ってはいるのだが、その全てを解消したくて、仕事に気をまわして、結局倒れてしまう。
ジェネティックレイスになったことで特捜S課にいられるのは良いが、そのせいで仕事に支障をきたしては話にならない。そうやって、自身の中にある様々な想いを確認していた時、
「あてっ!」
いきなり額を弾かれ、翠は思わず声を上げてしまう。
たいした痛みがなかったはずなのに痛いと感じたのは、弾いた葉月の想いの強さなのかもしれない。
彼女は、真剣な表情でこちらを見ている。それは、美しい顔だけに余計迫力があった。
「翠、1人で抱え込むのも良いけど、忘れないでよ?あんたが苦しいと感じた時、今の医術ではあんたを男にも女にも出来る。完全にね。それでも、今の状態を続けたくて、苦しんだりした時は、もうちょっと弱音を吐きなさい。でないと、いつまでたっても治んないわよ?」
最後には、葉月は笑みを浮かべ、翠の頭に手を置いて言ってくる。
それに答えるように、翠も笑みを作ってみせた。
「解ってますよ。ぼくには、先生も、由香さんも、柊一達もいてくれますしね」
と、翠が言うやいなや、廊下の方が騒々しくなり、次第にけたたましい音が響いてくる。
「翠!」「東麻!」
診察室のドアが開いて、2人の青年がなだれ込んでくる。
だが、何か言いたげな間をおいて、ドアは静かに閉められた。その様子を見、葉月は嘆息、翠と由香は苦笑する。
「…行ってくるね」
「由香、ついでにあいつらの血抜いてきなさいよ。いらない血があるなら、献血に回せっての」
検査を終え、翠に服を着るように指示すると、葉月は深いため息をつく。
「バカね、あいつら…」
「何のことですか?」
「翠は知らない方が良いわ。身の安全のためよ」
言われ、よく解らなかったが、身の安全といわれ、曖昧ながら頷く。葉月が言うのだから、またストレスになるとか、そんなところだろう。
それから少しして、翠が上着を着終わったと同時に、由香が部屋の様子を見に来る。確認してから、彼女は外に待たせていた2人を招き入れた。
1人は赤髪金瞳で、先程までは年の頃19歳ほどの背の高い青年の姿だったのだが、今は年の頃15歳ほどのどこかあどけなさが残る少年の姿をしている。
もう1人は黒髪青瞳で、年の頃18歳ほど、刑事部科学捜査研究所の所員を示すバッジを白衣の襟元につけている。
年齢的には差のある2人だが、共通点が1つある。何か物言いたげなしかめ面で、葉月を見ているということだ。
「ん、どうした?出血多量になりかけた子供共?」
「誰がだッ!」
意味ありげに笑って、院内にもかかわらず愛飲の煙草、プラシャンに火をつける葉月に、言われた2人は同時に叫んだ。
だが、お互いの顔を見合わせ、心底嫌そうな表情をしてから目をそらし、青年の方が事情説明を始める。
「まぁ、何はともあれ、いきなり開けたのは悪かったと思ってる。だが、僕達が先の事件の検証をしている時にいきなり清宮が来て、東麻が倒れたと言われれば、誰だって心配するだろう?それで、僕は自分の車で行くといったのに、仁科(このバカ)が自分が運転した方が早いと言い出して…」
「当然だろうが!明香莉に『翠先輩、大丈夫なんでしょうか!?』とか泣きながら言われたら、いつもと違うんだと思うし、何よりてめェの運転じゃ遅すぎなんだ!葉月の息子のくせに、もっと無茶できねェのかよ、亜純!?」
「それが無茶だというんだ!お前はそれでもスプレスか!?」
「ねぇ、柊ちゃんも、亜純くんも、落ち着いて?ここ、病院だから…」
所構わず喧嘩をする2人に、由香は多少控えめながら、2人をなだめようとする。
だが、当然それで黙る2人ではない。いい加減見かねて、翠が声を掛けようとした時、
「そうだ。柊一、ちょっとこっち来て座りな?」
「あぁ!?何でだよ!!」
喧嘩の勢いのままに聞き返すと、葉月は不敵に笑って注射を取り出す。そこで、ようやく自分の身に起こるはずのことを悟り、柊一は先刻の勢いが嘘のように乾いた笑いを見せ、きびすを返す。
「どこへ行く?仁科」
「帰る」
ドアの手前で亜純に止められ、柊一はきっぱり言い放つと、ドアの開閉センサーに手をかける。
だが、そんな柊一を止めたのは、意外にも――いや、だからこそか――母、由香の言葉だった。
「逃げるの?柊ちゃん」
言われ、彼は動きを止めた。
負けず嫌いの彼が、その言葉を聞いて簡単には引き下がれないことを知って言っているのだ。
その様子を見、由香を怒らせたくないと言っていた課長の言葉が何となく思い出され、翠は思わず苦笑する。
だが、翠がそんなことを考えているなど知る由もなく、由香はそこにさらに畳み掛けるように言った。
「インフルエンザの予防接種、いつもしないで毎年のように風邪引くの、柊ちゃんでしょ?あ、でも、翠ちゃんの前で泣きわめきたくないもんね?」
「え…?」
その言葉に、翠は意味が解らないような声で聞き返すが、それに答えてくれる者はいない。
葉月と亜純は面白がっているような笑顔を見せているし、由香は笑顔でいるだけで、柊一は背中を向けたまま振り返らない。ただ、肩が震えているのが解るが、当然笑っているわけではないだろう。
「あれ、柊一って、注射ダメだった?」
翠のその一言がとどめだった。その言葉を聞くや、柊一は葉月に言われた椅子に勢いよく座る。
「注射が恐くて刑事がやってられっか!とっとと終わらせたら、帰るぞ、翠!」
上着を脱ぎ捨て、シャツの袖をまくりあげて言う柊一に、翠は何とも言えず苦笑する。言葉では恐くないと言っているものの、多少ひきつった表情が真実を物語っていた。
こんな彼が隣にいて、彼と出会う前ほど翠に身体のことを考える余裕を与えさせてくれないから、今のところは葉月の提案にも頷かずにすむ。
他にも、同じ特捜S課内に明香莉や課長がいて、特捜管理局には倫子、捜査一課には大鎌警部、科捜研には亜純がいて、葉月に、由香に、香織に、叔父や叔母に、それから学校の友達まで、数え上げればキリがない。その中でも、柊一がいてくれるのが1番…。
「何笑ってんだよ?」
注射針が刺されるのを見たくないからか、こちらを見ていた柊一と目が合って、翠はさらに笑う。
――最初は柊一を助けるつもりだったけど、結局救われたのはぼくの方なんだよね…
そんなことを思っていたのだが、柊一はその笑顔の意味を自分の注射嫌いを笑われているのだと勘違いしたようだ。
本当の意味は、今はまだ言うのが癪だから、言わないでおく。
「柊一が本当に注射大丈夫かどうか見ててあげるよ」
「にゃろう。後で覚えてろよ」
笑顔で言ってやると、柊一は減らず口を叩いてくる。だが、そんなことには慣れているので、翠も冗談だと思ってかわす。
「お前に負けるほど、ぼくもやわじゃないよ」
「言ってろよ。事務所に帰ったら、真っ先にお前を…」
「母さん、注射はもっと大きい方が良いんじゃないか?バカには効きにくいだろう?」
2人が言っている後ろで、唐突に亜純が口を挟む。
柊一が驚いて振り向くと、彼は意地悪く笑っていた。
「それもそうだな」
「ちょっと待て!!医者がそんなあっさり同意すんなよ!」
柊一が慌ててつっこむが、そんなことでやめる葉月ではない。
打つのは由香なのだが、それでもこんな適当ぶりを見せる医者が主治医では不安だ。
「んじゃ、由香、これでいっとこうか?今までサボった分含めたら、まだ足りないくらいでしょ?」
言って、葉月は本当に大きなサイズに変える。
最初のものが人差し指程度と小さかっただけに、これが普通と言われればそうなのだが、注射嫌いな者にとっては恐怖心が倍増する。
「てめ、ふざけんな!このヤブ医者!!」
「何とでもおっしゃい。あんたのその反応がおもしろいからやってんのよ」
にべもなく言って、葉月は翠の隣の診療台に腰掛け、傍観を決め込む。
だが、翠が多少不安げな様子で見ているのに気付くと、笑みを見せた。
「大丈夫。ほんとは、あれが正しいのだから」
要するに、本当に彼女の言葉どおり、からかっているだけなのだ。それが知れて、安心すべきか、自分の危機を感じるべきか、正直解らなくなる翠である。
「でも」
言って、葉月は持っていた灰皿で煙草の火を消すと、翠の頭にそっと手を置いた。
「これで、ちょっとは心身症の心配もなくなるかな?あいつがいて、良かったわね」
「はい、それだけは、間違いなく」
葉月の言葉に、翠は笑顔を返して言った。
だからこそ、彼らはアウトレイジャーと言われているのだから。
あとがき:
突発的に診察の場面を書こうと思いまして。
こんな医者に診察されるのは、正直恐いですね(笑)いや、でも葉月好きですが。
少し暗めの始まりから、だんだんギャグの方向になりましたね。
柊一が絡むと笑いの方へ転向することが多いようです。
だいたいぼくの書く主人公はいじめられキャラなので、こういう展開になりがちですが。
時々、自分で仕向けておきながら不憫にもなります(笑)
〔2004.3.19〕