splash 水の調べ
空は雲一つない快晴。風もほとんどなく、かなり暑い。こんな日に必要なものといえば、
「おぉ、すげェな」
様々な種類のプールを見渡し、感嘆の声を上げたのは、年の頃15歳ほど、赤髪金瞳の少年だ。かなりはしゃいでいるせいか、幼顔が余計にあどけなく見える。
だが、彼より一歩後ろに退いたところにいる人物は、全く対照的な表情をしていた。年の頃は少年と同じぐらい、エメラルドグリーンの髪に青瞳で、顔立ちも少年とは対照的だ。
その人物は、本日何度目かになる台詞を吐き出した。
「ったく、何でぼくがこんな…」
「まぁだ文句言ってたのかよ、翠」
ため息をつきながら言ってやると、ようやく顔を上げた翠が思いきり睨みつけてくる。
「柊一は良いよね?そんな顔でも、一応、曲がりなりには男なんだから」
「…てめェ、喧嘩売ってンのか?」
最も気にしていることを言われ、さすがに柊一も黙ってはいなかったが、機嫌の悪い翠には通用しない。言うだけ言って、もう用はないとでも言いたげに明後日の方を向いてしまった。
――ったく、ンな嫌なら来るなっての。捜査だっつったら、行くって言い出したの自分なのによ…。
胸中で悪態をつき、柊一は密かに嘆息する。ただ、口に出して言わないのは、これ以上翠の機嫌を損ねれば恐ろしいことになりかねないからだった。
彼ら、仁科柊一と東麻翠の2人は、警視庁刑事部特別捜査スプレス課――通称特捜S課の刑事である。特捜S課とは、近年の技術革新で誕生した超人類――遺伝子改良されたジェネティックレイスや動物遺伝子を組み込まれたバスタード――の起こす犯罪を専門に扱う、スプレスの所属する部署である。
ちなみに、彼らがいるのは、蔆紜区有数のテーマパーク"ネバーランド"の室外プール"スプラッシュパーク"である。ここは、数年前に出来たばかりだがかなりの人気で、特に高性能の魚型ロボットが放たれ、気軽にスキューバダイビング気分を味わえるという"オーシャンプール"が最大の目玉だ。刑事ではあるが彼らも高校生、たまには羽を伸ばして遊びたい、と言いたいところだが、勿論遊びではない。
実は、ここで裏取引が行われるという情報が入ったのだ。品物は、コカイン、ヘロインなどの麻薬。その取引を行うのがバスタードということで、柊一達が来ることになったのだ。
「で、その情報、確かなのか?」
「言ったろ?高斗が調べたって。あいつが間違った情報くれたことあったか?」
まだ不満そうな表情で言ってくる翠にあっさりと答えてやると、暫く口ごもった後で「ない…」と呟く。さすがに、自分もその情報で助けられたことがあるために、ここにまで文句を言ってくることはなかった。
高斗とは、柊一の兄貴分でシステムハッカーの神條高斗である。
システムハッカーとは、コンピュータプログラムによる犯罪を未然に防いだり、定期的に裏ネット界に潜入して不正がないかをチェックしたりする職業だ。
だが、その名の本当の名の由来は、本来違法であるハッキング行為を、それなりの権威を有する者の指揮下でなら、合法とするという、その特殊性にある。その行動次第では最も犯罪に近い職業だが、違法が発覚した場合はかなりの重罰を与えられるし、採用試験自体かなりの難易度だし、職を得てからも厳しい査定が入るなど、かなりのリスクも背負わなければならないので、今のところ違法者はいない。
もちろん、高斗も毎月その査定をクリアし、報告書を警視庁に提出している。この情報を聞いたのは、報告書提出のために彼が庁舎を訪れた時だった。
「これで良い加減納得しただろ?」
「う…」
聞いてみると、翠は言葉を詰まらせてくる。頭では理解していても、心がついていかないというやつだろう。だが、それも道理だった。
翠には、性別がない。それは、翠が幼い時に受けた人体実験の後遺症だ。また、その実験のせいで、それ以前の記憶を失い、公共機関に残っていたはずの個人データも全て失われている今、翠の本当の性別を知るのは蒸発した父親だけだ。
それ故、翠は自分の性別が他人に規定されるのを嫌う。便宜上では納得できても、それ以外は無理らしい。それは、元の身体に戻った時に、自分が思い込んでいた性別と実際の性別の違いで苦しまなくて良いように、だそうだ。だからこそ、今回の捜査も、翠は外れるはずだったのだ。プールに行くということは、水着を着るということだ。服装は男っぽい翠も、さすがに水着までは同じ要領で、というわけにはいかないらしい。そのせいで、学校の水泳の授業も特別にパスさせてもらっているくらいだ。
「でもさ、何とか誤魔化してるじゃんか?」
「……これが限界なんだよ」
柊一の言葉に、翠は乾いた笑みを浮かべる。柊一は当然水着だが、今の翠の格好は、男物の少し丈の長めの水着に、上は白いビニールのパーカーで身体を隠している。確かに、今までの翠から考えても、よくここまで妥協したものだ。
本来なら、特捜S課にはもう1人、清宮明香莉という少女がいるのだが、彼女は現場経験が少なく、しかもこの捜査の話が出た時に夏風邪を引いてダウンしてしまったので、結局翠が来ることになったのだ。
「肌見せるのが嫌だったら、女物の水着でも良かったんだぜ?」
個人的な感情も含め、言ってみる。すると、案の定、翠はすごい剣幕で怒鳴り返してきた。
「冗談!その方がよっぽど恥ずかしいよ!」
「大差ないだろ?」
「おおありに決まって…ッ!」
翠と話しながら、それとなく通りかかったカフェテラスの中を覗いた瞬間、柊一は思わず翠の口を塞いで木の陰に隠れた。いきなりのことだったので、もがきながら文句を言ってこようとしていた翠だったが、柊一の視線に気付き、表情を変える。
2人の目線の先には、コーヒーを飲む男2人の姿がある。そして、その一方は見覚えがあった。
――なるほど、寺嶋が今日のバイヤーか。
胸中で呟くと、驚きを押し殺し、翠と共に普通の友達同士を装って、離れた席に座る。こういう時、超人類であると得をする。普通の人間なら絶対に聞き取れないような距離でも聞こえるのだから。
一応、聞き耳を立てていること気取られない程度に会話をしながら、相手の出方をうかがう。彼らの方も、平静を装っているように見えたが、周囲の雰囲気からは浮いている。それは、密売人と知った上で見ているから、そう感じるのかも知れなかったが。
もちろん、本人達はそんな様子に気付いた風もない。柊一と翠が監視している中、先に口を開いたのは寺嶋の方だった。
「持ってきたのか?」
簡潔な問いに、相手の男はロッカーの鍵を差し出す。形からして、更衣室の鍵だろう。
男の様子を確認し、寺嶋は顔色1つ変えずにその鍵を受け取る。それにひきかえ、相手の男は不安そうな顔つきだった。
「なぜ、こんな人気の多いところに…」
自身の不安を解消するためか、男が独りごちるような台詞を口にする。すると、寺嶋は押し殺したように笑った。
「多い方が、人込みに紛れられる。それに、ロッカーの鍵を交換する方が危険性は低いだろう?」
「そ、そうだな」
寺嶋の言葉に、男はようやく納得したような表情を見せた。確かに、彼の言うことはもっともだ。だが、それは普通の刑事なら、の話である。
「ずいぶん慎重なわりには口が軽いんだな?」
言って、柊一は男達の間に置かれていたロッカーの鍵を取る。すると、男が慌てて立ち上がった。
「てめェ、それを…ッ!」
落ち着きをなくして怒鳴ろうとした男だったが、寺嶋がそれを手で制す。そして、余裕の笑みを浮かべ、言ってきた。
「返してくれないか?君が持っていても仕方のないものだ」
「そりゃあそうだね。他人のロッカーの鍵なんてさ。でも、ぼく達が用があるのは、中身の方だよ」
寺嶋の言葉に答えたのは翠の方だ。不敵なその台詞に、さすがの寺嶋も表情を変える。
「お前達、ただの子供じゃないな?」
「スプレスだよ」
質問に、柊一がきっぱりと答えてみせたが、寺嶋は動じることはない。慌てて席を立った取引相手を尻目に、いまだ笑みさえ浮かべている。
「証拠はあるのかい?話しかけてきたからには、それなりの自信があるんだろうな?」
「当然だろ?超人類ってのは、少しくらい離れてても見えるし聞こえる」
言いながら、柊一は小さな袋を取り出す。微量に、白い粉の入った袋。それが何を意味するかは、寺嶋達の方がよく知っている。
「あんな鍵ぐらい、ちょろく開けられたよ。ンで、中身を確かめて戻ってくるぐらいの時間、余裕であったぜ?」
「ッ…!」
挑発的な柊一の言葉に、先に動いたのは寺嶋の方だった。テーブルをひっくり返すことで進路を妨害し、勢い良く走り出す。確固たる自信が尽く崩され、さすがに危機を感じたのだろう。だが、ここで取り逃がせば、無敵の"アウトレイジャー"の名がすたる。
「翠ッ!」
「解ってる!」
相棒の威勢の良い声を聞いて、取引相手の方が大丈夫だと解ると、柊一は寺嶋を追い、腕を掴んで引き戻す。
「やっと尻尾掴んだんだ!逃がして…ッ!」
言い終わる前に、背後で水音が聞こえる。しかも、かなり大きな。プールなら、いくらでも水音ぐらいするだろうが、それでも嫌な予感がして視線を巡らせてみれば、先刻まであった翠と男の姿が見当たらない。
――まさか、あいつプールに落ちて…ッ!
「仲間を気にしている状況か!?」
胸中で舌打ちした柊一だったが、寺嶋の声で意識をこちらに戻す。寺嶋は、哄笑と共に柊一が掴んでいた腕を払い、鋭い爪を伸ばしてきた。
彼はライオンのバスタードだ。力、運動能力、加えて獰猛な爪は戦力的には申し分ない。だからこそ、今まで他の刑事達が取り逃してきたのだ。だが、柊一はその攻撃を軽くかわし、手を伸ばしてきたことを逆手にとってその腕を掴み、瞬間的に寺嶋の前に回りこんで、背負い投げた。
訓練で身体が慣れていたためにほとんど反射に近い動きだったが、そのおかげでさすがの寺嶋も背中を思いきり石畳の床に打ちつけ、すぐには反応できないようだ。そのスキにテラスの柱に背をつけさせた状態で後ろ手に手錠をかける。
「子供相手だから逃げられると思ったんだろうけどな、甘いんだよ。おかげで、カマにあっさり引っかかってくれて、やりやすかったぜ?」
言って、柊一は先刻ちらつかせていた、小麦粉の入った袋を寺嶋の方に投げる。だが、彼はそれに気付いても、苦しそうに呻くしか出来なかったが。
寺嶋が動けないのを悟ると、柊一は慌ててプールの方に向き直る。どっちでもないのを理由にプールの授業をパスしてきた翠だ。泳げるわけがない。やはり、今回の捜査、翠を同行させるべきではなかった。そう思ったが、
「何探してるんだよ?」
予想外の方向から声が聞こえ、振り返ると、翠がかなり息の上がった様子で立っていた。ずぶ濡れになっているところを見ると、やはりプールに落ちたらしい。
「無事だったのか?」
一応、気になって聞いてみる。すると、翠は心外だとばかりに睨んできた。
「当たり前だろ?お前は、ぼくが泳げないと思ってるかもしれないけど、経験がないだけで、それなりに浮かぶんだし、手足を動かせば泳げないこともないんだよ。第一、足がつくんだから」
何度も大きく息をつきながら言ってくる翠の言葉に、柊一は一方で納得しながら、それでも苦笑してみせる。はたして、翠の言う行動が泳いでいると言えるかどうかは疑わしいところだが、さわらぬ神にたたりなしということで、あえて口にしないでおく。代わりに、他に思ったことを言ってみた。
「そういや、お前が相手してた方の奴はどうした?」
「捜査一課の刑事さんが来て、連れて行ってくれたよ。取引相手の方は超人類じゃなかったからな。第一、ぼくが逃がすわけがないだろ?」
こんな状況でも、翠は減らず口を叩く。それを聞き、案外大丈夫そうだと解ると、柊一は明るく笑って翠の背を叩いた。
「うしっ、これで一応は終わりだな。せっかくだし、遊んでいこうぜ?」
顔を覗き込むようにして言ってみると、早速翠の反論にあった。
「バカなこと言うなよ!遊びに来たんじゃないんだぞ?それに、まだ仕事を最後までやり遂げたわけじゃないし、プールは嫌だって言ってるだろ!」
「良いじゃんか。せっかく来たのに、遊ばなきゃ損だって。つーか、それだけ濡れてりゃ一緒だろ?」
「一緒じゃない!ぼくは一刻も早く帰りたいんだ!」
柊一の楽しげな言葉に、翠は思い切り怒鳴りつける。まだ水着のことを気にしていた挙句、水に濡れたことがよっぽど嫌だったらしい。
結局、柊一は半ば翠の言葉を聞き入れる形で、寺嶋を連行することにした。
「あぁもう、絶対惜しいことしてるよな〜」
「一生言ってろ、バカ」
柊一の軽口に、翠は呆れたように返す。だが、次の瞬間には、柊一も翠も笑みを浮かべていた。
正反対な2人だから、無茶な行動も成果に変えられる。そして、正反対であると同時によく似た2人だからこそ、"アウトレイジャー"の名を背負っていけるのかもしれない。
あとがき:
888HIT記念の小説です。
海orプールネタということで、書きやすかったプールネタに。
や、海だったら、きっと翠は完全に溺れているでしょうから(笑)
で、ここだけの話、プールに落とすのをどっちにしようか、ギリギリまで迷っていました。
ギャグ要素を求めるなら、柊一かと。でも、翠が落ちるとまともな話で終わるだろうな、とか。
まともじゃなかったですけどね。ほら、水もしたたる何とやら、という感じで。
かなり楽しんで書かせていただきました。
最後になりましたが、報告&リクを下さった友達には感謝しています。ありがとうございました。
〔2004.8.9〕