触れ合える喜び。
君が傍にいる。そんな当たり前のことが幸せだなんて忘れていた。それだけ、オレにとっては貴重な時間で。
君を見つめていられること、君に触れられること、君を愛せること。その全てがかけがえのないもので。
こんなことを言ったら君は笑うかな?だけど、伝えたい想いだから。
「もっと、近くにいて?」
「え…?」
言ってみると、彼女は案の定間の抜けた声を上げた。その無防備な表情が、余計にこの心をくすぐる。
「そんなの良いからこっちにおいで、って言ったんだよ」
笑って、手招きしてやる。だが、彼女は拗ねたような呆れたような表情を作って返してきた。
「そんなのとは何? お腹空いたって言うから作ってあげてるのに」
「今急に腹減らなくなった」
だからおいで、そう言いたげに、手招いてみせる。ただ、それに素直に応じてくれる相手でないことぐらいは充分承知の上なのだが。
「ほんと、自分勝手」
「そういうとこもすきなんだろ?」
楽しげに言ってやると、彼女はうっと言葉を詰まらせた。ここで、そんなとこは嫌、ぐらい言えばからかわれずにすむものの、咄嗟に言葉が出ないのか、顔を真っ赤にして、図星ですと答えてくれている。
そんなかわいすぎる表情に、彼は思わず吹き出していた。
「ンな顔するくらいなら、素直に従っときゃあ良いのに」
「だ、誰がっ! 別にリッドが言うような顔なんかしてないしっ」
「オレが言うような、って、どんな顔?」
揚げ足を取るように言ってやると、また反論の言葉を見つけられないらしい。こちらに背を向けたままだが、悔しそうにしている様は背中越しにも見て取れた。それには、さすがに彼も声を上げて笑ってしまう。その行為も、彼女を触発するものでしかなかったが。
「もぅっ、笑うな!」
「しゃーねぇじゃんか。あんまりにもかわいすぎるし?」
手を止めて怒ったようにこっちに近づいて来た彼女に言って、その手を軽く引く。それだけで、彼女の体は彼の腕の中に収まっていた。
一度抱きしめてしまえば、先刻まで怒っていたはずの彼女も急に大人しくなってしまう。慣れた行為であるために、彼女が一番好きな抱かれ方を知っているから、その通りにしてやれば抵抗もしてこない。そうすることで彼女を思い通りにしてしまう自分は、ずるいのかもしれないけれど。
最初こそ、照れて戸惑っているように落ち着きがなかった彼女の動きが、抱きしめているうちに大人しくなって、今度はおずおずと彼の背中に手を回してくる。それに伴って抱きしめる腕に力を込めてやれば、それに応じるように彼女も強くしがみついてきて。
他人がこんなにも愛おしく感じるなんて知らなかった。彼女を知らなければ、人と触れ合うことを恐れていたかもしれない。こうして、自分の気持ちに正直になることも恥ずかしいことだと思っていただろう。
変われたのは、全部彼女のおかげだ。初めの頃は、ただややこしいことに巻き込む奴、ぐらいにしか思っていなかったくせに、現金だと笑われてしまうだろうか。それでも、今はこんなに大切だから、離したくないと思う。もう2度と離れることのないように。もう決して失わないように。
「…ね、苦しいよ」
小さく聞こえてきた声に、彼は思わず我に還る。どうやら、思いっきり抱きしめていたらしい。それに気付いて軽く彼女を離してやるが、少し赤くなった頬で小さく息をつく様子がかわいくて、そっと彼女の顔を上向かせ、口付けた。
「ん…っ!?」
始めは驚いたように声を漏らす。だが、それも一瞬のことで、深くしてやればすぐに応じるようになった。背中に回っていた手もいつの間にか首に回してきているから、彼もしっかりと彼女の腰と頭を支えてやる。
そっと髪をすくようにしてやれば、くすぐったそうに身をよじる。だが、それにも構わず髪をいじっていれば、次第に逃げることはせず、むしろもっと強く抱きついてくるようになった。
少しくせのあるダークグリーンの髪は、手触りが良くてつい触っていたくなる。こうしていられるのは、彼女が自分の恋人である証。今まではこうして触れることすら難しかったのがなくなったんだと実感する瞬間。それをもっと実感していたいから、こうして長くキスする度に触れてしまう。
「はぁ…っ」
唇が離れて、息をついたのは2人同時。息苦しさはあるものの、一緒に起こる快感もあって、彼らはどちらからともなく抱きついた。
「ほんと、随分素直になったよな」
「もぅ、誰のせいよっ」
笑いながら言ってやると、拗ねたような声が返ってくる。だが、決して離れようとはせず、むしろもっと抱きついてくるから、それに応じるように抱きしめてやって、髪をすくように撫でてやる。すると、彼女は小さく声を漏らした。
「どした?」
聞いてやると、彼女は少し体を離し、上目使いにこちらを見ながら嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「うぅん、こうやってもらうのが気持ち良いだけ」
「こう、って、撫でてやってること?」
言うと、彼女はすぐに頷いてくる。
「この手が、すごく優しく感じるんだもん。だから、嬉しい。リッドのこの癖、好きだよ?」
すき、という言葉を口にするのも珍しい、彼女が言った台詞は、彼の中に大きく響いた。その台詞が嬉しすぎて、つい意地悪を言いたくなる。
「じゃあ、オレ自身のことは? すき?」
「え…?」
意地の悪い笑みを浮かべて聞くと、彼女はきょとんとした表情で聞き返してくる。だが、すぐに意味を理解したようで、真っ赤になって顔を隠すように彼の胸に顔をうずめてきた。
「もぅ、そんなの聞かなくても知ってるくせにっ!」
「知ってるからこそ聞きたいんじゃんか?」
隠れていた彼女の体を引き起こし、顔を覗き込むようにして言ってみる。すると、彼女は耳まで赤く染めて、恥ずかしさに潤んだ瞳で睨んできた。だが、それにも動じずじっと答えを待っていると、ようやく、彼女はゆっくり口を開いた。
「…き、だもん。このまま、ずっとこうしていたいくらい、すき」
言った後は、また恥ずかしそうに抱きついてくる。その様子があまりにもかわいくて思わず笑ってしまうと、彼はまた彼女を引き離して口付けた。
今度は、最初から素直に応じてくる。想い合えるものがあること、それだけの強い気持ちを持てていること、それが、また新たな想いを生む。
ゆっくりと唇を解放してやれば、彼女は呆けた様子でこちらを見てくる。だが、すぐに笑顔を見せてくれるから、同じように笑みを返し、耳元で囁いてやった。
「なぁ、このまま俺の部屋で続きしない?」
「ッ…!」
言った瞬間、真っ赤になった彼女に思い切りはたかれる。今更照れるようなことでもないのに、彼女の反応はいつまでたっても新鮮だ。
「ちぇッ、何だよ。さっきまではあんなよがってたくせにさ」
「そ、そんなことないもんっ! それより、誰かさんのご希望のオムレツ、作りかけなんだから」
言って、彼女は腕の中から逃れていってしまう。だが、これ以上不平を言おうものなら本気で怒られかねないから、素直に従ってやるのだが。
ほんの少しの間でも構ってもらえたことで満足した彼は、そのまま再び新聞に目を落とす。だが、
「ね、リッド…」
「ん…?」
消え入りそうな小さな声で呼ばれて、彼はそちらに目を向ける。すると、彼女は明らかに照れたような顔を作っておずおずといった風に口を開いた。
「作り終わった後だったら、良い、から…」
「え…?」
予想外の言葉に、思わず聞き返す。すると、彼女はそれを聞き取れなかったと思ったのか、少し怒ったような表情を作って言ってきた。
「だからっ、続き! 食べ終わった後なら、まだ、良いよ…」
言葉の後半は口ごもるような調子になりながらも何とか言い切って、彼女は背を向けてまた料理に戻る。それには彼も驚かされて、次第に自分好みに変わっていく彼女の様子が嬉しくて笑ってしまうと、新聞を置いて彼女に近づき、後ろから抱きしめた。そして、耳元で囁く。
「んじゃ、早く作ってよ。お楽しみはその後、な?」
「ッ…!」
その言葉にも反応して真っ赤になる様があまりにもかわいくて笑ったらまた怒られてしまったけども。本当にかわいくて仕方ないんだからどうしようもないじゃないか。
「愛してるよ、ファラ」
「…うん、わたしも」
言ってやれば、今度は素直に頷いてくれる。そっと口付けてやれば、すぐに深くなって。
かけがえのない君が傍にいることが本当に嬉しいんだ。決して失いたくない、全てをかけても護り抜きたいものだから。
ここに君がいて、触れ合えることが、オレの最大の喜び。
あとがき:
突発的に思いついて携帯に打ち込んで書き上げた小説です。
なので、少し長めになってしまいましたが。
こういう甘い話は書いていて楽しいので、つい調子に乗って書いてしまいます。
髪をいじるくせ、というのを書きたくて書き始めたんですが、徐々に違う方向にも熱が入ってしまいましたね。
未来のリファラはこんな感じであれば良いなぁ、と思いつつ。
〔2005.6.2〕
BGM by 黒田倫弘『約束』