時として

 その室内は、恐ろしい程の静寂に包まれていた。響くのはパソコンのキーボードを打つ音ばかりだ。だが、それがこの場所では普通なのである。
 警視庁刑事部特別捜査スプレス課――通称特捜S課。近年新設されたこの部署で働くのは、仁科柊一、東麻翠、清宮明香莉、そしてもう1人。
「はい、特捜S課…。あんたか、何の用だ?」
 静寂を破り、面倒くさげに電話応対をしている人物、課長の仁科響一である。
 彼は電話の相手と二言三言かわした後、通話を切って席を立った。
「俺は警視総監のところに行くから、後は頼む」
 ドアノブに手をかけながら言って、響一は特捜S課を後にする。その足音が次第に遠ざかり、ついに聞こえなくなると、
「はぁ〜」
 盛大なため息が響き渡る。それは、柊一のものだった。
「ど、どうしたんだよ?柊一」
 あまりのことに、翠が驚いた声を上げる。明香莉も、意味が解っていないような表情を浮かべていた。
「課長だよ。やけに苛立ってたっていうか、とりあえず余計なことしようものなら怒鳴られそう雰囲気だったろ?」
 疲れたような表情を見せ、柊一。うまく言葉には出来ないが、そういう雰囲気は確かに感じられた。
「あ、言われてみれば…」
「そうかな?ぼくは特に何も思わなかったけど…」
「お前は鈍いからな」
 納得してきた明香莉はともかく、未だに訳が解っていないような翠の台詞に、柊一は半眼で告げる。だが、それで黙っている翠でもなかった。
「何だよ、それ。人をバカにしたような言い方して」
「別にバカになんかしてないよ。ただ…」
「自分の近しい人間の気持ちも気付けないようじゃ、まぁ鈍いのかもって言いたいんでしょ、あんたは」
 不意に第三者の声が入り、室内にいた全員がそちらに目を向ける。そこには、青髪黒瞳で、眼鏡に白衣といった出で立ちの長身の女性が立っていた。
「え?氷狩先生、それって…」
「は、葉月先生、一体何の用ですか?」
 翠が疑問を口にするよりも早く、柊一が何とか無理矢理作った笑顔で聞く方が早かった。彼の反応の意味を知っている葉月は、あえて翠の方の質問に答えた。
「翠の一番身近な人物の行動から推察していけば、おのずと答えは…」
「先生ッ、何の用でうちに来たんですか!」
 葉月の言葉を遮って、今度は苛立ちを隠そうともせずに柊一。それには、さすがに彼女も柊一をからかうのを諦めたようで、まだ良く解っていないらしい翠から目線を外して笑うと、ファイルを軽く叩いて見せた。
「検案書が出来たから、わざわざ出向いてやったってわけよ。なのに、肝心な時にいないわけね、あんた達の課長さんは」
「課長なら、つい今しがた警視総監のところに行きましたよ」
 言葉の後半になるにつれて、次第に苛立った表情を見せる葉月に、思わず苦笑しながら翠が応じる。すると、彼女はその言葉に頷いてみせ、何の躊躇もなく今は空席の課長の席に腰を下ろすと、愛飲の煙草、プラシャンに火をつけ、言った。
「響一のことだから、そんな適当な理由つけてどこかでサボってんじゃない?それに、カエルの子はカエルって言うし。ねぇ、柊一?」
「あはは、何のこと言ってるんですか?葉月先生」
 煙草でこちらをさしながら意味ありげな笑みを浮かべる葉月の言葉に、柊一は笑顔で返す。ただ、目は決して笑ってなどいなかったのだが。
 もちろん、葉月は柊一の本性を知っているので、嫌味のつもりで言っているのは明らかだ。明香莉の前で本性を出せないのを知っていて、彼をからかって楽しんでいるのである。
 だが、そんなことには全く気付いていない当の本人の明香莉は、ぽんと手を叩き、ノー天気なことを言ってきた。
「あ、課長さん、響一さんっていうんですね。何か、柊一さんと親子って感じですよね?」
「や、実際親子だから」
 明香莉の間の抜けた言葉に、柊一は思わず脱力しながら言う。おかげで、先刻までの怒りはどこかに飛んでいってしまった。
「明香莉、知らなかったんだ?課長の名前…」
 その質問にはさすがに呆れたのか、苦笑を浮かべて、翠。それに、明香莉は笑顔で答えた。
「あ、はい。みなさん、課長って呼んでましたし」
「でも、警視総監は"響一くん"って呼んでたはずだけど?」
 思い出したように柊一が言うと、明香莉はうっと言葉を詰まらせる。どうやら忘れていたらしい。だが、柊一の言葉は聞かなかったことにしようとしたのか、明らかに動揺した風ではありながらも何とか笑みを浮かべて、言った。
「え、えと、あ、あの、翠先輩は知ってたんですね?課長のお名前」
「え、あぁ、まぁね…」
 いきなり話題を向けられたからか、翠が生返事を返す。すると、柊一がそれを聞き、意外そうに言った。
「へぇ、僕はてっきり翠も知らないのかと思ってたよ。たまにうちで父さんに会っても、"課長"って呼んでたし」
「何年刑事やってきたと思ってるんだよ?大鎌警部だって名前で呼ぶ時あったし、知ってるさ。でも、ぼくの中では課長は課長だからね。それに、名前が似てるから、誰かさんをさん付けで呼ぶみたいで嫌だし」
「てめ…」
 あまりの翠の物言いに、思わず半眼で返した柊一だったが、すぐに言葉を飲み込む。うっかり明香莉の前だということを忘れていたのだが、それでも彼女は気付いていないらしく、にこにこしている。それに安堵すると同時に、翠の言葉に爆笑している葉月も何とか黙殺した。代わりに、別の言葉を紡ぎ出す。
「それにしても、課長、遅いね。折角葉月先生も来てくれてるのに、早く帰ってきてくれないかな?」
 葉月に早く帰ってほしい一心で、柊一。だが、彼女がそんなものに動じるはずもなく、あっけらかんと返してきた。
「柊一、あんた探しに行ってきたら?似たもの親子なんだし、あいつがいそうな場所くらい解るでしょ?」
「だぁかぁらっ、警視総監のところだって言ってるじゃないですか!」
 口調はいたって丁寧だが、隠しきれない怒りを若干ぶつけつつ、言う。そんな様子でも、明香莉は笑いながら言ってきた。
「本当に柊一さんと課長さん、似たもの親子ですよね〜。普段は落ち着いていらっしゃって、優しくて、にこにこしてて、でも怒っちゃうとちょっと恐いところとか」
「明香莉、それ、課長にあてはまっても柊一には…」
「充分当てはまるだろ?僕にも」
 翠の言葉を強い口調で遮って、柊一。笑顔を浮かべてはいるものの、瞳が「後で覚えてろよ」と言っている。ただ、翠がそんな脅しに屈するわけもなかったが。
「へぇ、どこの誰に、どの辺が当てはまるって?」
「明香莉が言ってくれた通りじゃないか。ねぇ?明香莉」
「え、あ、は、はいぃ…」
 柊一の言葉に頷いてみせるものの、明香莉は状況が全く読めていないために、2人が何となく険悪な雰囲気になっているのが恐いらしい。
 そんな状況の中、笑い声を上げたのは葉月だった。
「まぁ、確かに、今の響一になら、落ち着いてて優しいってイメージももてるかもね」
「それ、どういう意味ですか?」
 葉月の言葉を聞きとめて聞いたのは翠だ。それに、葉月はひとしきり笑ってから応じる。
「腐れ縁ってやつよ。高校の時に、ちょっとね。だから、昔のあいつもよく知ってるのよ。昔は、それはもう物に当たるわ、自意識過剰だわ、俺様主義だわで、手に負えなかったけどね」
「でも、付き合ってたんですよね、そんな父さんと」
 葉月の言葉に、柊一が不敵な笑みを浮かべて付け加える。刹那、柊一の額に、響一の机にあったごつい本――しかも、思いっきり角――が直撃していた。
「まぁ、そんなくっだらない冗談はさておき」
 痛みに悶絶する柊一はあっさり黙殺して、軽く咳払いをしながら、葉月。それには、さすがに翠と明香莉も苦笑を浮かべていた。
「あたしは、由香とも中学からの友達だしね。それで、否応なくあいつのことは知らされているってわけ。悪友みたいなもんよ」
――親父はそうは思ってねェけどな。
 また本をぶつけられるのが嫌で、今度は胸中で付け足す。
 実際、過去がどうであれ、響一は葉月を悪友とは思ってなどいない。かといって、良い方にとっているわけでもない。それはもう、天敵と呼べるほどの嫌いようだ。母、由香が葉月のことを口にするのはまだ良い。あれで、由香のことは何より大事にしている響一だ。ただ、柊一が主治医として葉月の名前を出すこと以外は嫌う。そんな名前も聞きたくない、と。よほどのことが過去にあったのか、それとも、
――単に母さん使って父さんのこと遊ぶから、か?
 そういえば、警視総監から連絡が入る前、葉月からも電話があった気がする。内容は、彼女も言っていた通り、検死報告に来る、ということだったらしいのだが、その電話口で父は苛立った表情を終始浮かべていた気がするし、雰囲気がおかしくなったのはそれからだった気がする。
「葉月先生、さっきの電話で課長に何か言いました?」
 気になってきたので、一応聞いてみる。すると、彼女は紫煙を吐き出し、あっけらかんと言った。
「あぁ、今日入ってきた患者さんが、随分由香のこと気に入ってくれたらしくて、あんたも良い奥さん持ったわね、って言ってやったまでよ」
「…そのせいですか」
 葉月の言葉に、柊一は思わず脱力する。間違いなく、響一の機嫌が悪い原因は葉月だ。
「それが、何の関係があるんだよ?」
 質問してきたのは翠だ。その隣では、明香莉も解らないと言いたげに頷いている。それに苦笑しながら、実際には疲れも多少感じながら、柊一が答えた。
「母さんのこととなると大人気ないから、父さんは。それを知っていてからかってるんですから、葉月先生も人が悪いですよね」
 ついでに、「俺でも遊ぶなよ」と牽制も入れつつ言ってみるが、彼女は柊一の言葉をあっさり黙殺すると、昔を思い出すように言った。
「どんなに化けの皮かぶろうとも、そこだけは変わらないってね。あれで、ここら一体を騒がせた族の頭だとは、誰も思いはしないでしょうね」
「族…?」
「頭…?」
「……」
 葉月の言葉に、いちいち反応しながら翠と明香莉が呟く。ついでに、翠は何故か柊一の方に目を向けながら。その理由を最も知る柊一は、あさっての方向を向いて、「あんたもその1人だよ」とさりげなく付け足していたりする。言われた本人は、何気ない顔をして煙草をふかしていたのだが。
「あ、あの、氷狩先生、それって、息子の間違いじゃ…」
 葉月の発言がよっぽど信じられなかったのか、翠が納得のいかない表情で言う。それをみなまで言われる前に制そうとした柊一だったが、
   ガッ!
 いつの間にドアが開いていたのか、そこには噂の響一の姿がある。本人が戻ってきたということで、疑問は本人にぶつければ済む話なのだが、聞けない状況が既にそこにはあった。勢いよく拳をドアの開閉部に叩きつける響一の姿に、全員が唖然としてしまっている。
「か、課長、お帰りなさい…」
 もはや半泣きになりながらも、何とか挨拶する明香莉。それに響一は短く返事をして、自分の席に向かった。
――警視総監に嫌味言われたんだな…。
 狼のバスタードである響一が、この部屋での会話を聞いていて苛立っているということも考えられなくもないが、こっちの方が妥当だろう。警視総監は、葉月以上に響一の天敵だ。
 葉月も同じことを思っているのだろうか、乾いた笑みを浮かべ、響一の方を見ている。そんな姿を見慣れていない翠は面食らった表情をし、明香莉にいたってはもはや怯えていたが。
「さてと、全員揃ったことだし、検死報告始めようか」
 この状況でからかうのはヤバイと判断したのか、単に面倒くさくなって早く帰りたかったのか、おもむろに言って、葉月が席を立つ。それと入れ代わりに響一が怒りのままに勢いよく席につき、煙草に火をつけた。その様子を、残された3人がそれぞれの想いを抱えて、見ているとも知らずに。
 結局、その日、葉月が帰った後、響一が必要以上に言葉を発することも、柊一達が仕事以外の話をすることもなかった。





あとがき:
とりあえず、今週な更新。
駄文と呼べるのかどうかという長さではあるんですが、こんなところで。
や、ただ単に、裏で響一の話をあれやこれやとしている、と言う部分を書きたかっただけなんです(爆)
まぁ、その中で爆弾発言もしているわけで。
個人的に響一いじるのは楽しいので、またこんな話を書ければなぁ、と思います。
〔2005.3.13〕