Valentine 想いを君に
その日は、朝から空も晴れ渡り、冬場としては気温も上々、平穏な日々、と言えるはずだった。
東京都、警視庁。ただこの場所は、その平穏さを楽しめる場所ではなかった。勢い良く廊下を走る音がした後、
「翠、大変だッ!」
ドアが開くや否や、少年が血相を変えて飛び込んでくる。年の頃14,5歳ほど、赤髪金瞳で、幼い顔立ちをしている。
最初こそ慌てていた彼だが、次の瞬間にはその場に凍りついた。
「やぁ、柊一くん。ここは学校じゃないんですから、もう少し落ち着かないと」
にっこり微笑んでみせ、やんわりと男性が諭してくる。優雅にお茶を飲む様は腹が立つくらいで、怒鳴りつけてやりたかったのだが、それは彼の近くにいた少女のおかげで飲み込まれた。
「け、警視総監が、どうしてこんな場所に?」
若干引きつっているのは自覚していたが、それでも努めて丁寧な口調で、柊一。すると、男性、惣波廉警視総監は、平然と言ってきた。
「私のことより、君の方こそどうかしたんですか?」
「あ、そういえば。何か事件ですか?」
廉がここにいる理由を知っているからか、それまでパソコン作業をしていた少女、清宮明香莉が聞いてくる。その彼女の隣に座っている人物、東麻翠も、同様に柊一に目を向けてきた。だが、彼は大したことじゃないとかわして、自分の席に着く。
彼、仁科柊一は、中学生ながら、警視庁刑事部特別捜査スプレス課――通称特捜S課に所属するスプレスである。
スプレスとは、超人類という、遺伝子改良を受けた人間、ジェネティックレイスや、動物遺伝子を組み込まれた人間、バスタードの起こす犯罪を取り扱う刑事で、明香莉も翠もその1人だ。
彼らをまとめるのは、柊一の父親でもある響一で、現在特捜S課はこのメンバーで構成されている。ただ、かつての特捜S課の課長と務めていたのが廉で、そのせいか、立場上ごく稀ではあるものの、こうして特捜S課にやってくるのだ。
ただ、それだけでもないのも事実だろう。廉は、柊一がバスタード能力で生み出した青年、敦郎の父親も便宜上かって出てくれてはいるが、息子を心配して、というわけでもないはずだ。警視総監という立場になったからこそ、少なくとも響一には話している重大な何かがあってのことかもしれない。ただ、柊一の印象としては、単に廉が面白がっているように感じるのだが。
そんな廉に、柊一は半眼で言う。
「貴方がこんなところにいるのを見たら、敦郎だったらこう言いますよ。『こんなところで油売ってる暇あったら、てめェの仕事をさっさと片付けてきやがれ!』ってね」
「そうですねぇ…。あ、東麻くん、清宮くん、実は、お土産においしいケーキを持ってきたんです。今日はバレンタインデーですし、チョコレートケーキにしたんですが、いかがですか?」
「なーにナチュラルにシカトしてくれてるんですか!っていうか、お前らも餌付けされるな!」
さらっと笑顔で言ってケーキの箱を取り出してくる廉に、翠は戸惑いがちに、明香莉は見るからに喜んで受け取ろうとしているので、思わず柊一は声を荒らげてしまう。
だが、そんな柊一の胸中を知ってか知らずか――いや、多分解ってやっているだろうことは充分に理解しているのだが――、廉は笑顔を崩さず、柊一に向き直った。
「さすがですね、柊一くん。敦郎の真似、とてもよく似ていますよ。あ、君も良かったらケーキ食べますか?」
「…謹んでご遠慮させていただきます」
これも、きっと柊一が甘いもの嫌いだということを知っての台詞だろう。それには、怒りを通り越し、呆れすら出てきて、柊一は半眼で返し、コーヒーメーカーの方へと向かう。どうせ、翠も明香莉もケーキを食べるだろうから、その2人の分と、自分の分を入れるために。だが、不意に思い出したように手を止めて、窓際の課長の席に目を向けた。
「あ、課長はコーヒー入ってるから必要ないですよね?」
「…お前、ちょっとくらいは親切心を働かせたらどうだ?」
あまりの息子の言いように、それまでの騒動も無視して仕事していた響一もさすがに突っ込みを入れてくる。だが、柊一はそれを聞かなかったフリをして平然とコーヒーを入れた。
その後ろでは、なおもマイペースを崩さず、廉が紅茶を口に含んでからやや芝居がかった口調で言っている。
「それにしても、柊一くんの言う通りかもしれませんね。敦郎ならそんな台詞の1つや2つ言いそうですしね。全く、誰の育て方が間違って、そんなことになってしまったのか」
「あ、そういえばそうですよね。警視総監とは雰囲気が真逆ですし。最初、警視総監にお会いした時は敦郎さんのお父さんだって信じられなかったくらいですよ」
「あはは、君も言いますねぇ、清宮くん」
明香莉が心底不思議そうに同意していると、廉は軽く笑いながら聞き流している。これだけの会話でも、一応実の父親ということになっている廉に失礼な話ではあるのだが、実際は父親ではないだけに、彼の態度は平然としたものだった。
その父親の同意が得られたことで余計に火がついたのか、ついには拳まで握って明香莉が言ってくる。
「だってだって、敦郎さんってばひどいんですよ!いっつも私のことをからかって。それに、この間なんか、私が背の低さを気にしてるのを知ってるくせに、高いところにあるの取って下さいって頼んだら、明香莉は小さいからなってバカにしてー!」
「へぇ…」
ほぼ半泣き状態になって訴えてくる明香莉の言葉を聞きとめて、翠が物言いたげに拳を握って柊一を睨んでくる。だが、彼はそれを素知らぬ顔でかわし、翠と明香莉にコーヒーを出してやると、苦笑じみた笑みを見せ、言った。
「あ、でも、敦郎もきっと悪気があってのことじゃないと思うしさ。ほら、明香莉、かわいい反応返してくれるから」
「私はそんな女たらしみたいなこと考えるような子に育てた覚えはありませんけどねぇ。本当に、誰に似たんでしょうか」
折角のフォローも言葉も、廉の前にあっさり撃沈してしまう。しかも、わざわざ嫌味ったらしい言い方をして。さすがに、その台詞には、先刻まで怒っていた翠も苦笑していたが。
翠も知っているのだ。廉の言葉は、彼自身が息子のことで嘆いての言葉ではなく、実の父親である響一に向けたものなのだと。そして、ついでに柊一のことも遊んでいるということも。
実際、柊一も怒鳴りたくても怒鳴れない状況だからこそ廉がこんなことを言い出しているのは解っているのが腹立たしいし、自分でコーヒーを入れた後、真面目に仕事している響一の肩が怒りに震えているのも見て取れる。だが、ここで他の言葉を言っても無駄なような気がしたし、疲れるだけだとも思ったので、何事もなかったものとして、自分の仕事に戻ろうとしたが、
「はい、特捜S課です」
内線電話がかかってきて、それに翠が応対する。そのまま暫く話した後、受話器を置いて明香莉の方を向いた。
「明香莉、この間の事件の捜査資料あるか?一課が欲しいって言ってるんだけど」
「あ、じゃあ私が持って行きます。大鎌警部で良いんですね?」
「あぁ、頼むよ」
どうやら、捜査一課からの電話だったようで、翠の言葉に明香莉が二つ返事で承諾して、一度資料を探しに奥に入っていく。そして、戻ってきた時には、手に小さな箱を抱えていた。
「何?それ」
気になったのか、翠が聞くと、明香莉は少しはにかんだような笑顔を見せた。
「バレンタインチョコです。翠先輩には、いっぱいお世話になってますから、そのお礼です」
「あ、ありがとう」
明香莉の言葉に、最初こそ戸惑いがちだった翠だったが、受け取る頃には笑顔を見せていた。大方、突然のことだったから驚いていただけだろう。バレンタインには、日ごろお世話になっている人に感謝の気持ちを込めて贈り物を、という考え方が定着した今では、男女問わずに、お菓子なり日用品なり、何かを送ることが多い。明香莉も、毎年そういった理由でチョコをくれていた。
そんな彼女からチョコを貰って照れている翠の様子が面白くて、何気なくそちらを見ていた柊一だったが、
「あ、柊一さん、これ、私からのバレンタインチョコです。受け取ってくれますか?」
唐突に言われ、一瞬固まってしまう。だが、すぐに隣に立つ少女を見上げてみれば、笑顔でワインレッドの包装紙でラッピングした箱を差し出してきていた。
「え、あ、あぁ、ありがとう」
何とかそれだけを搾り出して、受け取ると、明香莉は「どういたしまして」と言って、ドアの方に向かう。
「それじゃあ、私、捜査一課に行ってきますね」
明るい笑顔だけを残して、彼女は当初の目的を果たすために特捜S課を後にする。残された面々は、明香莉の行動に圧倒されたかのように呆然としていた。ただ1人を除いて。
「良いですねぇ。若い、若い」
「つーか、ずっと気になってたんだけど、何でてめェがここにいるんだよ?」
ティーカップに手を伸ばして心底楽しそうに言う廉の言葉に、1番最初に正気を取り戻した柊一が、ようやく素を見せて突っ込む。下手な発言をしようものなら殴り飛ばされそうな勢いではあったが、廉がそんなもので動じるはずもなく、ただ疲れたような表情を見せて言ってきた。
「いや、実は今、一日警視総監なんてイベントをやりにアイドルが来ていましてね。カメラとかインタビューとか面倒なので、逃げてきました」
「ンなこと言ってサボるなよ」
と、これは響一。柊一と翠に関しては、もはや呆れて言葉も出なかった。ただ、代わりに思い出したことがあるらしく、翠が聞いてくる。
「それで、柊一は何を言おうとしてたんだ?」
「え、あぁ、俺はそのアイドルがうちの課にも来るかもって話…」
「それは大変です!」
質問に答えていた柊一の言葉を遮って、急に廉が深刻そうに叫ぶ。その姿には、柊一と響一は呆れたような表情を浮かべて見ていたが、廉は特に気にした風もなく言葉を続けた。
「こうしてはいられませんね。それでは、折角逃げてきた意味がありません。では、私はこの辺で」
「とっとと帰れ」
親子が見事にハモって言うが、それもあっさり黙殺し、ちゃっかり翠にだけ挨拶をすると、廉は特捜S課からようやく出て行った。
その後、一瞬の静寂が訪れる。最初にその沈黙を破ったのは、残された3人のため息だった。
「やっと嵐が去った…」
心底疲れたように、響一。柊一よりも長くあの横行を見ていたからこその台詞だろう。
「まぁ、でも、良い置き土産はしてくれましたけどね」
「そんなのに喜ぶのは、お前か明香莉ぐらいだっての」
苦笑しながらの翠の言葉に、柊一は思わず半眼で言う。柊一が嫌がるのを知っていて、こうやってお菓子を持ってくるのはあてつけ以外の何者でもない。明香莉のように、邪心がなければまた別の話だが。
「それにしても、明香莉、毎年毎年、丁寧だよなぁ。綺麗にラッピングされた、手作りチョコ」
何となく、机の上に転がしておいた箱を横目に、柊一。それに、翠は自分の分の箱を見ながら言ってきた。
「それだけ感謝してくれてるってことだろ?」
「んで、俺とお前とじゃ、感謝の度合いが違うってか?」
それとはっきり解るほどの箱の大きさの違いに、柊一は思わず乾いた笑みを浮かべて応じる。何のことはない。量としては柊一の分も翠の分も大差ないはずだが、中身の形状的に箱の大きさに差が出ているだけだ。だが、実際、明香莉の翠に対する態度から考えると面白くないのも事実だった。
「尊敬してくれてるんだよ、誰かさんと違ってね」
――ぜってェそれだけじゃねェと思う…。
自信たっぷりの翠の言葉に、声には出さず胸中で反論する。ただの尊敬ではないことは、隣で見ている柊一の方が解っている。翠自身は、この態度から察するに確実に気付いていないと思うが。
密かにため息をついて、柊一は正面に座る翠を見やる。開けようかどうしようか迷っているのだろう。まじまじと箱を見つめている。こういうところは子供っぽいというか、何と言うか。
そうやって、暫く黙って見ていた柊一だったが、今更思い出して、口を開く。
「そういや、お前はくれねェのか?バレンタインプレゼント」
「へ…?」
言ってやると、翠はきょとんとした表情を浮かべ、間抜けな声を出す。だが、すぐに腕を組んで、呆れたような表情を作った。
「甘いもの嫌いなくせに、何言ってるんだよ?それに、別にお前に感謝の意を表すこともないしね」
「てめェ…」
あまりの言われように、柊一は思わず拳を握る。だが、次の翠の言葉には、それも出来なくなっていた。
「第一、自分もくれてないのに、人にだけ要求するのは、割に合ってないんじゃないのか?」
「う…」
あまりにあっさり返されて、さすがにぐうの音も出ない。だが、言い訳もすぐに思いついた。
「時間がなかったんだよ。ここんとこ事件で立て込んでたし」
「それはぼくも一緒だろ?あぁ、そうか。手作りしてる時間はなかったってことだね?ご丁寧に、凝ったのくれるもんな?毎年毎年」
柊一が明香莉に対して使った言葉を皮肉に変え、余裕ありげな笑みを見せて、翠。それには、さすがに柊一も赤くなりつつ叫ぶ。
「バカッ、あれは姉貴が高斗に作ってるやつのついでだ!それに、お前だって毎年作ってるじゃんか?しかも、俺に合わせて、クッキーとかパイとか、そんな甘くないやつ」
「ぼくの場合は作るのが好きなんだよ。でも、柊一は甘いのが嫌いで、香織さんが家でお菓子作って甘いにおいが立ち込めるのヤだって言ってたのに、何でチョコは手作りなのかな?」
「ッ〜〜〜〜〜!」
そこまで言われれば、もはや完敗だった。この後何を反論しても、綺麗に切り返される気がする。
解ってはいるのだ、そんなことは。伊達に、2年も翠と付き合いがあるわけではない。それでも、そこまで突っかかってしまうのは…
――ったく、人の気も知らねェで…。
胸中で毒づき、柊一は机に頬杖をついて、仏頂面でコーヒーを口に含む。
翠が、ある実験を受けた後遺症で性別を失って、そのせいか恋愛ごとに疎いのは十分に解っている。バレンタインという日が、昔とは内容が変わってしまっているのも。だが、それでも、考えずにはいられなくなってしまうのは、自分の中にある想いをどう処理して良いものか未だに悩んでいるからなのかもしれない。
――何か、呑気にケーキなんか食ってるし…。
今度は、呆れ半分で呟く。先刻の廉の差し入れがまだ残っていたらしい。その様子に、後ろから翠の顔面をケーキに突っ込ませてやろうかと考えていた柊一だったが、不意に翠が顔を上げたので、その考えは未遂に終わる。
その翠はというと、笑顔を浮かべ、廉が持ってきたケーキの箱を掴んだ。
「あ、そうだ。折角警視総監が置いていってくれたし、これでも食べたら?ほら、バレンタインっぽいし」
「お前な、俺はチョコ嫌いだって言って…」
平然とケーキの箱を差し出しておいて、自分はしっかり目の前にあるのを食べている翠に、思わず半眼で返していた柊一だったが、面白いことを思いつき、いたずらっ子のような笑みを浮かべて翠の提案に乗る。
「そうだな、一口だけ食おうかな」
「へぇ、珍しいね、柊一が。だったら…」
「でも、全部もいらねェし、新しいのわざわざ崩す必要ねェだろ?俺はこれで充分」
翠の言葉半ばで、柊一は翠が手にしたままだったフォークをその手ごと掴み、ケーキを適当に切る。そして、一口大になったケーキを、フォークでさして口に放り込んだ。翠に食べさせてもらったような形で。
最初こそ状況が把握できずに呆然としていた翠だったが、ようやく気付いた頃には耳まで赤くなっていた。
「ッ…!」
「あー、案外いけるかもな?それほど甘くもねェし、これだったら食えるかも」
翠の様子に気を良くして、楽しげに言う柊一だったが、直後、殺気に気付いて振り返る。そこには、拳をこれでもかというほどに固く握り締めた翠の姿があった。
「ッ、だったら、最初から新しいの食べてろ!この、バカ柊一ッ!!」
その行為の恥ずかしさに耐えられなくなった翠に、柊一が勢い良く殴り飛ばされたのは言うまでもない。もちろん、響一は毎度見慣れた流れにため息をつき、傍観者を決め込んでいた。ただ、今更ながらに廉の言葉を深く受け止めていたりしていたのだが。
そして、捜査一課から帰ってきた明香莉が状況把握できず、心配するやら訳が解らなくなるやらで、新たな混乱を生むのだった。
あとがき:
バレンタインネタ、作ってしまいました。
書こうか書くまいか迷っていたんですが。
あげくに、元々考えていた内容とは全く違うものになってしまいまして。
警視総監なんて、元々出す予定なかったですしね。
しかも、柊一もちゃんと貰うものはもらえていたという…
で、折角なので、この小説、バレンタインのフリーにしようかと思います。
今日・明日の期間限定で。
ただ、著作権は放棄していないので、そこはお願いします。
〔2005.2.13〕