バスタードスラムの中でも指折りの自動車整備工場が高斗の実家だ。昔は柊一もよくここで遊ばせてもらっていた。
「うわぁ、相変わらず忙しそうだな…」
外から見える範囲内でも、整備士達が動き回っている。その中には何人か顔見知りの姿も見えたが、声をかけるのはやめた。そのまま、家の方へ向かう。
「ねぇ、折角来たんだし、おじさんに挨拶しなくても良いの?」
敦郎の行動に驚いたのか、翠が心配げに言ってくる。翠の言うおじさんとは、高斗の父、義高のことだ。柊一としても敦郎としても世話になったし、父の友人ということで本当に良くしてもらった恩人でもある。
「今行っても仕事の邪魔になるだけだろ? それより、とっととやることやっちまって、店閉めてから来た方が良いって」
「あ、そっか」
言ってやると、翠は今更気付いたように頷いてくる。本当に、しっかりしているのか抜けているのか解らないような翠の反応に、敦郎は思わず笑ってしまっていた。そんなことを本人に言おうものなら殴られかねないが。
そのまま歩を進めて、敦郎は高斗の家の前に行き、呼び鈴を押した。すると、ずっと待ってくれていたように、すぐに返事がある。
"開いてるから上がって来いよ。部屋にいる"
「了解」
軽く返して、敦郎は何の躊躇もなくドアを開いた。勝手知ったる何とやらで、迷うこともなく目的地に行き着く。
「よぅ、来たぜ。情報って何だ?」
「あ、いらっしゃ〜い」
敦郎が平然とドアを開けるや、少女の声が聞こえる。その後、一瞬の間。
「香織さん!?」
まず沈黙を破ったのは翠だった。さも自分の部屋にいるように、ベッドに寄りかかって雑誌を読みふけっているのは、柊一の姉、香織だった。茶髪金瞳で、姉弟だからか、その容姿はどこか朱音に似ている。
「お前、何堂々と居座ってンだよ…。人ン家だぞ?」
「あんたに言われる筋合いはないわよ。自分の家のように上がりこんできて」
呆れたような敦郎の言葉に、香織は顔も上げずに反論してくる。それにはさすがに拳を握った敦郎だったが、それは第三者の声に遮られた。
「わん!」
それは、犬の鳴き声のように聞こえた。いや、ジェネティックレイスである翠や香織には、そのまま犬の鳴き声として耳に届いていただろう。だが、バスタードである敦郎の耳には、はっきりとした言葉に聞こえた。
「あぁ!? お前の方があつかましい、だと? てめェが一番くつろいでンじゃねェかよ!」
床に寝そべっているシベリアンハスキーに向かって、敦郎は怒鳴りながら首輪を掴んだ。すると、犬、ロッキーは、苦しそうにもがく。だが、いつもの見慣れた光景であったために、誰も止めはしなかったが。
「まぁ、バカは放っておくとして、香織さん、今高斗さんはどこに?」
軽く咳払いをしながら、翠は舌戦らしきものを繰り広げている2人を無視して香織に問う。すると、彼女は、きょとんとした表情を見せ、すっと腕を伸ばした。
「翠くんの後ろにいるわよ?」
「え…?」
言われて、翠は恐る恐るといった感じで振り返る。見てみれば、確かにそこに探している人物はいた。長めの黒髪に紫瞳で長身の青年が、手に4つのカップを乗せた盆を持って立っている。
「た、高斗さん、いるなら言って下さいよ!」
「いや、お前らがあまりにも面白かったから、ついな」
翠の言葉にそう返しながらも、彼の目線は敦郎とロッキーの方に向いている。それに気付いて、ロッキーの口の端を引っ張っていた敦郎は、高斗の方に向き直った。
「何でこのバカ犬がお前の部屋にいるんだよ?」
「バカ犬言うな!」
敦郎の言葉に、ロッキーが文字通り吠える。だが、それはあっさり黙殺され、高斗が敦郎の疑問に答えた。
「お前がそいつを預かるのを嫌がったからだろ? 特捜S課の関係者で犬の言葉が解るのは、俺かお前のとこくらいだし」
「それは解ってるけど、だからってお前の部屋にあげることないだろ?」
「それもそうだな。そろそろ追い出すか。邪魔だし」
「おい、あっさり認めるな!」
香織、敦郎、翠の順にコップを手渡しながら、高斗がすんなり敦郎の言葉を受けたので、ロッキーは慌てて反論してくる。だが、それに対して反論するものは彼以外にいなかった。
ロッキーは、現在銃刀法違反等の罪で服役している元暴力団組長の飼い犬だった。だが、彼はかつての主人と決別し、今は警察犬訓練所に身を置くことになっている。その訓練の前期間の間、特捜S課の誰かの家で預かることになったのだ。全員の種族からして、明香莉はうさぎのバスタード、翠はジェネティックレイス、そして響一が狼のバスタードであり、その息子の柊一も犬語が解るということで、仁科家に、ということになっていたのだが、まず柊一が全力で拒否し、ロッキー自身もそれに賛同した。結果、ロッキーは身内に犬のバスタードがいる明香莉の家に来ることになったのだ。
「オレとしては、あの小僧の家に行くよりはよっぽど良い。あの小僧、見た目は女みてェなくせして、バカ力だから身が持たん」
「おい、ロッキー、言葉遣いには気をつけな?」
ここぞとばかりに言うロッキーに、高斗は平然と言う。ロッキーは知らないのだ。柊一と敦郎が同一人物だということも、今まさに彼が固く拳を握っているということも。
「あ、ねぇ、そういえば、翠くんが持ってるそれ、何?」
今更気付いたように言って、香織が翠の手の中の物体を指してくる。そういえば、朱音が変わる際に手渡されて以後、ずっと翠が持ったままだった。
「何か妙な匂いがすると思ったら、それか」
「あぁ、実は…」
高斗の言葉に頷いてみせ、今度は敦郎から物体を拾った経緯を話し始めた。
〔2005.9.26〕
BGM by 175R 『Melody』