行きとはうって変わって、それほど声をかけられずに院内を歩く。
 そんな中、暫く歩いた後、柊一がようやく口を開いた。
「氷狩ねぇ…。あいつが協力してくれるとは思えねェけど。『僕にそんなくだらないことをさせるつもりか!』ってな」
 亜純の声真似をしながら、ため息混じりに言う。それには翠も同意できるところがあったのか、苦笑しながら頷いてきた。
「でも、先生がそう言ってたんだし、きっと連絡取ってくれるんじゃないかな?」
「…うわぁ、氷狩、御愁傷様」
 翠の言葉に、柊一は思わず乾いた笑みを浮かべて呟く。その意味に、翠は気付いていないようだったが。
 氷狩亜純。警視庁科学捜査研究所――通称科捜研のホープと言われている青年だ。母に葉月、今は亡き父も医者だったという、完全理系の家にあって、早々にイギリスの大学を卒業、もう科捜研に勤め始めて2年になる。科捜研の先輩も彼の才能に期待し、母親似の美形で女性職員からの人気も高い、という話の彼だが、その実、めっぽう女性に弱く、特に実の母には全くと言って良い程逆らえない、という事実を知っているのはほんの少数の人間である。
「まぁ、それだったら氷狩も何が何でも調べてくれるだろ」
「何を調べてもらうんだ?」
 独白にも似た柊一の言葉に答えたのは大鎌警部だった。葉月との話を終えて戻って来たらしい。
 とりあえず車に乗るように促され、柊一と翠は後部座席に乗り込む。そして、庁舎に向かう道中で先刻の質問に答えた。
「…つーわけだ。何か気になるだろ?」
「街の中に、なぁ…。確かに、不自然ではあるな」
 柊一の言葉に、悟はどこか険しい表情で呟く。根が真面目な彼のことだ。柊一のように面白がって、ではなく、真剣に考えてくれているらしい。
「危険物の可能性はないのか?」
「それはないと思います。爆発物の類いでもなさそうですし、重量も質感も石ですから」
 言いながら、翠は柊一の持っている石に触れる。だが、自分が言った通り、ひんやりとした感触があるだけで、特に変わった様子はない。
「なるほど、それで科捜研か。だが、柊一、あまり余計なことに首を突っ込んで由香さんに心配かけるなよ?」
「何で俺だけなんだよ? つーか、母さんがどうしたってんだ?」
 唐突な悟の言葉に、柊一は不機嫌そうに返す。だが、彼はため息を一つついて言ってきた。
「お前が怪我してたから心配してたんだよ。それでなくても事件で怪我することが多いのに」
「良いじゃんか。元々傷だらけなんだ。ちょっとくらいどってことねェよ」
 吐き捨てるように言って、柊一は窓の外に目線を移す。その言葉の重みに気付いて、翠も悟も口を閉ざしてしまったことなど、目に入らないように。
 だが、その雰囲気を払拭したのも柊一自身だった。
「それにほら、多少の怪我は男の勲章とか言うんだろ?」
「…お前、随分古い言葉を知ってるな? 実は昭和の生まれか?」
「何でだよ! だったら、とっくに100歳過ぎてるっての。じっちゃんでも平成生まれだぜ?」
 苦笑じみた悟の言葉に、柊一は半眼になって呟く。その隣では、余程面白かったのか、翠が爆笑していたが。
「まぁ、何はともあれ、響一だけでもだいぶ心配かけてるのに、お前まで無茶してくれるな、ということだ」
「俺はともかく、確かに親父は母さんに心配かけまくりだったもんな」
「でもきっと、お前ほどじゃないと思う」
 人事のように言う柊一の言葉に、実情を知らない翠が半眼でつっこむ。それにはさすがに反論もある柊一だったが、余計なことを言おうものなら後がどうなるか解らないのでやめておく。それは、悟も同じだったらしい。
「知らぬが仏、とはよく言ったものだな」
「……同感」
 柊一も、乾いた笑みを浮かべて呟く。翠は知らなくて当然だ。今の彼を知る者は、おそらく柊一の言葉を信じないだろう。それくらい、父は変わった。
 そうこうしているうちに、車は目的地、警視庁に着いていた。事件があれば騒々しい内部だが、外観からはそんな様子を感じさせない。
「よしっ、じゃあ、早速科捜研に行くか。おっちゃん、ありがとうな」
「ありがとうございました」
「あぁ、くれぐれも無茶はするなよ」
 柊一と翠がそれぞれ礼を言うと、悟は笑顔で見送ってくれる。そのまま、2人は悟との挨拶もそこそこに、目的地へと向かった。
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〔2005.7.7〕
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