そのまま、管理局も後にした2人は、外に向かって伸びる廊下を歩き始めた。
「さて、次は高斗さんのところだね。どうやって行こうか?」
 軽く伸びをしながら、翠は朱音を見上げて問う。その言葉に、一瞬考えるような仕草をした彼女だったが、すぐに気付いたような表情になって言った。
「車で行こう、って。敦郎に代わるから」
「え…?」
 朱音の言葉に、翠は驚いたような表情を見せる。その表情の真意は図りかねたが、とにかく、朱音は笑ってみせた。
「その方が早そうですもの。早くこの石についても調べたいでしょ? 翠さえ良ければそうするわ」
「でも、朱音は…」
 言いかけて、翠は言葉を濁す。どうやら、朱音を気遣ってくれているらしい。それに気付いて、彼女は首を振った。
「良いのよ。あたしが高斗と会っても大して話することもないし。それに、姉さんに会えただけで充分だから」
 言ってみせると、翠も朱音の想いが解ったのか、頷いてくる。そんな優しい翠の頭にそっと手を乗せ、物体を手渡すと、朱音は翠に背を向けた。
「じゃあ、行ってくるわ。先に外で待っていて」
 言うが早いか、朱音は走り出した。元来た道へ。先刻の場所だけではないのだ、誰にも見られずに姿を変えられる場所は。
"悪りぃな、朱音。いつも俺の勝手で"
 自分から言い出したこととはいえ、罪悪感に苛まれて、すまなさそうに、柊一。だが、それに答えたのは、思いの外明るい声だった。
――何言ってるのよ。あたしと貴方は違うけれど同じ、でしょ? それに、そんな貴方だから、あたしも付き合ってあげてるのよ。
 予想外の言葉に、柊一は思わず目を見張る。だが、すぐに笑うことが出来た。
"サンキュ、朱音"
 言い終わる頃には、身体を包む浮遊感。その一瞬後に彼を支配する感覚は、素の自分同様慣れ親しんだ長身の青年のものだ。
「うしっ、んじゃ、行くか」
 思わず口に出してしまいながら、敦郎。短くなった赤髪に金瞳、それを、近くにある鏡に映して確かめてから、そこを出る。
 身長が高くなったせいか、歩が早く進むような気がする。だが、早く行けるに越したことはない。外では、翠が待っているはずだ。
 そして、その姿は庁舎を出てすぐのところで見つけられた。
「悪りぃ、翠。待たせたな」
 声をかけると、翠は少し険しい表情でこちらを見てくる。
「ほんと、忙しい奴だな。ちゃんと朱音にお礼言ったのか?」
「当たり前だろ? 俺がそんな非道に見えるか?」
「見えるから言ってるんだ」
 きっぱりと言い切られて、それにはさすがに敦郎も表情を変える。だが、彼が口を開くよりも早く、翠が思いっきり吹き出して笑っていた。
「嘘だよ。そういうとこはちゃんとしてることくらい、普段のお前見てれば解る」
「何バカ言ってンだよ!」
 翠の言動に、敦郎は気恥ずかしくなって軽く翠の頭をはたく。こういうことを平然と言えるあたり、天然というか何というか。
「さってと」
 気持ちを切り替えるためにもわざとらしく言って、敦郎は駐車場を見回す。こんなこともあろうかと、ここには彼のための車が置かれてある。警視総監の権限で。
 警視総監との付き合いは響一の方がより長いため、その権限を多少は使える、というのもある。中学生だった当時の響一がこの辺りの不良を仕切っていたという話をそれはもう詳しく話してくれたのも、そんな響一をスプレスの世界に引き込んだのも、当時特捜S課の課長をしていた現在の惣波廉警視総監である。
 そんな縁もあって、廉は敦郎の父親役を引き受けてくれている。そのため、敦郎として出来ることは多い。
 実年齢から言えば免許など持てない柊一だが、それも警視総監の取り計らいだ。ただ、廉の実家である大企業、惣波ファイナンシャルグループの権限と、廉の実の息子で、現在行方不明になっている本物の惣波敦郎の戸籍を借りて実現した話だが。
「こんな事実知れたら、父さん・・・もただじゃおかないだろうな」
「他人事みたいに言うなよ…」
「だって他人事だし?」
 半眼で言う翠の言葉に笑顔で返して、敦郎はエンジンをかける。それにはさすがに本気で呆れてしまったのか、翠も何も言わなかった。
 警視庁を出て、暫く大通りを走る。平坦な車の流れに沿って。
 それから少しして、翠が口を開いた。
「高斗さんが情報くれるって、一体何だろう?」
「さぁな。でも、すげェ面倒くさいことになりそうな予感…」
 乾いた笑みを浮かべながら、敦郎。出来るなら今厄介ごとに巻き込んで欲しくないところだが、そういうわけにもいかないだろう。
 これから会いにいく相手、神條高斗はシステムハッカーだ。システムハッカーとは、警察の依頼でロックのかかったシステムにハッキングしたり、違法データの抹消、ネットの違法行為を取り締まる等、ネット上での犯罪に携わる職種だ。そんな特殊な職種ゆえ、あまり知られていないし、また資格入手も、入手後にかかる監視・報告書など厳しい制約を受けるため、あまり好んでなる人はいない。
 高斗の場合、父親譲りの、機械への卓越した能力を持っていたというのもある。だが、最大の理由は、柊一同様、警察に捕まり、資格試験を受けさせられたからである。その時に、彼は警視総監の密命で警察沙汰に出来ない事件を秘密裏に解決する秘密探偵スーティアにも任命された。そんな面倒ごとになっても、柊一に対して不平を言わないのは、高斗なりの優しさからか、それとも、厄介ごとに柊一を巻き込んでしまったことへの罪悪感の表れかもしれない。
 柊一が"ヴァレン"に入るきっかけを作ったのは高斗だった。幼い頃から面倒を見てくれていた美咲の弟ということもあり、男兄弟がいなかった柊一にとっては兄同然の存在だ。柊一が捕まるということになった時も、他のメンバーは裏切って逃げたのに、高斗だけは残ってくれた。だからこそ、柊一も高斗には絶対の信頼を置いている。そうでなければ、敦郎としても刑事職に就きながら、高斗の秘密探偵の仕事を手伝うようなことはしようと思わなかっただろう。
 そして、その信頼の置き所は、高斗が仕入れてくる情報にもある。実際、彼の腕は確かだ。伊達に"天才的システム精通者システムハッカー"と言われていない。それに、彼の情報に助けられたことも多かった。
「でも、高斗からの情報って、だいたい捜査が面倒なんだよなぁ…」
 ため息まじりに、思わず呟く。当然、思い切り翠に頭をはたかれたが。
「何バカなこと言ってるんだ。簡単に片付く事件ばかりだったら、警察はいらないだろ?」
「だからって、何も殴ることはねェだろ!」
 怒鳴ってみせるが、翠はそっぽを向いて耳を貸そうとはしない。根は真面目な翠がなぜ自分と組んでいるのか、こうやって諭されるたび、時々解らなくなる。
――大方、養育係ってか…?
 自分の中で浮かんだ答えに、思わず乾いた笑みを浮かべる。あながちそれも間違いではないだろう。だが、そうであって欲しくないと思うのは自分のわがままだろうか。
「あ、ちょっと、柊一、そこ右!」
「へ…あ!」
 考え事をしながら運転していたためか、いつも右折する場所まで来ているのに気付かなかった。だが、何とかギリギリハンドルを切って、右折する。たまたま車の少ない時間だから問題なかったが、もう少し後の時間だったら曲がりきれなかっただろう。
「ほんとに、運転してる時ぐらいはしっかりしろよ。危なっかしくて乗ってられない」
「悪りぃ…」
 嫌味を言われても言い返せず、敦郎は苦笑しながら言う。だが、不意に表情を変えた。
「つーか、翠、お前、また名前間違ったろ?」
「う…」
 指摘してやると、翠は先刻までの威勢を失わせて黙り込む。本人も解っているが、一向に直せないのが悔しいらしい。
 翠は、朱音と柊一を呼び間違えることはさすがにないが、柊一と敦郎の名前は良く間違う。その理由は、
「仕方ないだろっ、柊一の時と敦郎の時はぼくの前じゃ見た目しか変わらないし」
 これも聞き慣れた答えだ。まだ明香莉の前で呼び間違えないだけマシか、と思うものの、反応が面白いからつい指摘してしまう。
「ほら、また喋ってると行き過ぎるぞ!」
「へーへー、仰せのままに」
 怒鳴るように言ってくる翠の言葉に気のない返事をして、敦郎は左折し、車を止めた。
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〔2005.9.26〕
BGM by 175R 『Melody』